還る場所
第27話 ただいまの夜
「おかえり~」
灰翼のアジトに戻ると、扉を開けた瞬間、声が飛んできた。
場所は南市郊外、かつて社員寮として使われていた建物を改装した中規模拠点だ。
元は解体予定だったらしく、最低限の修繕だけが施されている。
だが、共有スペースや台所、仮眠室など一通りの設備は揃っており、現在は10人程度のメンバーが常駐できるようになっている。
「帰ってきたァーーーッ! 晃、沙耶ちゃん、ログイン確認ッ!!サーバー落ちしてなくてよかったァァ!!」
シゲルだった。いつもどおりのテンション、いや、いつもよりテンション高めだ。
「うるさいわよ、シゲル。声がでかいのよ」
沙織が後ろからツッコミを入れる。
柿沼は無言でこくりと頷きながら、椅子に座って湯飲みをすする。
「……いや、だって、この人たち帰ってきたってことは、つまりだよ? 我が灰翼のエースDPS兼カリスマバッファーが帰還したってことでしょ!? これはもはや神回確定案件!!」
「……お前、何言ってるか全然わかんないんだけど」
晃が呆れたように返すと、シゲルは得意げにウィンクしてみせた。
「通じないのがまたイイんだよ、こういうのは」
「つまり、今日はご飯もお酒も豪華ってことね。私もちょっと奮発しちゃったわ」
沙織が手をパンと叩いて、にやりと笑った。
どこか楽しげで、やけに堂々としている。
「え、ちょっと待って……そんな盛大な流れなの?」
沙耶が戸口から顔を出し、目をぱちくりさせていると、沙織は肩をすくめた。
「大丈夫。全部やるから。みんなで、ね。それにね」
沙織は目を光らせ、ゆっくりと口角を吊り上げた。
まるで勝負が始まる直前のラスボスのように不敵に笑う。
「私、料理の腕はそこそこだけど、酒のセレクトには自信あるのよ」
***
アジトの狭い台所に、人が集まっていた。
沙織がエプロン姿で主導し、沙耶と晃が隣で切ったり炒めたりしている。
「ねぇ、それ、ちょっと切り方違う」
沙耶が手元を覗き込みながら、指をさす。
「いや、そっちこそ雑だろ」
晃が肩をすくめて返す。
「雑じゃないもん。ほら、いつもみたいに交代しよ」
「……まったく、やれやれ」
自然なやり取りだった。
昔からそうだった。
口では文句を言いながら、気づけば並んで、同じ鍋を囲んでいた。
黙々と炒め物に取りかかる晃の手元を、沙織がふと覗き込む。
「ふふ、ほんと、いいお婿さんになるわよ、晃くん」
「ちょっ、沙織さん……!」
沙耶が思わず真っ赤になって振り向いた。
キッチンの入口からシゲルがひょいっと顔を出し、にやけ顔で叫んだ。
「ちょっとちょっと、今の『夫婦の自覚発言』、データベースに即格納でーす! 兄妹タグもつけときますね、これぞ尊みの極み!」
「おい」
晃の声に動じた様子もなく、シゲルがしゃべり続ける。
「いやほんとさー、夫婦ムーブ多すぎて追いきれないんだけど!?キッチンでイチャイチャ禁止ね!」
晃がキュウリを投げつける。
「ぐはっ、ありがたくいただきます!」
シゲルはキャッチして、そのままかじった。
「つまみ食いしてる暇があったら、そっちの配膳やっといて!」
沙織の声が飛ぶ。
柿沼は黙って皿を並べ、配膳の準備をしていた。
その横に、淡いピンク色の液体が入ったグラスがそっと置かれる。
「……それ、自分で作ったんですか?」
晃が尋ねると、柿沼はこくりと頷いた。
「カルピスベースに、ちょっとだけリキュール。あと、飾り」
グラスの縁にはチェリーと小さな紙傘まで添えられていた。
「……かわいくない?」
沙耶が思わず笑って言うと、柿沼は無言のまま、もう一口だけすする。
シゲルが吹き出しながら呟いた。
「いや、この人だけルート開放されてない感あるんだけど……隠しキャラ枠?」
沙織はというと、酒瓶を抱えて戻ってきた。
「はいこれ、北環湾の地酒。冬は港が凍るってのに、よくこんな綺麗な香り出せるわよね。で、こっちは山間の復興蔵。『灰雪仕込み』って言って、戦後の灰混じりの雪水で醸したのが始まりなの。こっちは南市限定の地酒。地元民しか知らないやつ。
……で、私の推しがこれ。『鬼殺し・漆黒』。熟成二十年。やばいわよ、これは」
「なにそのラインナップ……」
晃が目を細めると、シゲルが耳打ちしてくる。
「この人が一番ヤバいって。灰翼の酒豪レジェンド、沙織姐さん。鬼殺し装備して笑ってるんだけど?もうラスボスかよ」
「聞こえてるわよ、シゲル。ほら、君たちも飲みなさい。今夜はいい夜だから」
「姐さん、勘弁して」
アジトに笑いがこだまする。
その中で、晃がふとシゲルを見ると、ほんの一瞬だけ、寂しそうな表情をしていた。
──あれ?と見直した時には、すでにいつもの軽妙な調子に戻っていた。
***
その宴は、夜中まで続いた。
思えば、灰翼の仲間たちは、晃にとって最初から特別だったわけではない。
成り行きで出会ったはずだった。
必要に迫られて始まった関係だった。
それでも、気づけばこの場所は戻るべき場所になっている。
笑い声の中に自分の居場所があって、視線の先には、信じていいと思える人たちがいた。
──もう、ただの共闘なんかじゃない。
晃にとって、灰翼はいつのまにか、守りたい仲間になっていた。
小さな紙コップに注がれた酒を片手に、晃がふと周囲を見渡す。
「……にぎやかだな、ここ」
晃のぽつりとした声に、沙耶が隣で微笑む。
「うん。でも、きっと最初から、こうなる場所だったんだと思う」
ふたりのグラスが、静かに触れた音がした。
しばらく黙ったまま、晃は沙耶の横顔をちらりと見た。
すぐ隣で、肩が触れそうな距離に沙耶がいる。
その体温が、かすかに腕を伝ってきて、晃は思わず息を止めた。
「……あのとき、こうして戻ってこられるなんて思ってなかった」
「うん。わたしも」
沙耶の声は小さかったが、はっきりとした響きを持っていた。
「でも──今は、ちゃんと帰ってこられた。あなたと」
一瞬、晃のまぶたがぴくりと動いた。
(……今、『あなた』って言ったか?)
戸惑いと、くすぐったいような感情が胸をかすめる。
(やばい、口元がにやける)
思わず手を口元に当てて、誤魔化すように咳払いをした。
横目でみると、沙耶は何も言わず、ただいつものように微笑んでいた。
けれど、ふと横目で見るその表情が、どこか大人びて見える。
ずっと近くにいたはずなのに、こんな顔をするんだ、と胸の奥に静かなざわめきが走る。
晃は言葉に詰まったように、そっと眉を寄せた。
くすぐったいような、照れくさいような、それでいて少しだけ嬉しい。
不意に呼ばれた『あなた』という言葉が、思っていた以上に、自分の中に残っていた。
「……ありがとな」
「ううん。こっちこそ」
短く交わされたやりとりに、深いものが宿っていた。
互いに多くは語らなくても、確かなものがそこにあった。
***
その夜、シゲルの仕掛けたサプライズが最後に待っていた。
部屋の照明が一瞬だけ落とされ、壁際のモニターに映像が浮かび上がる。
避難所で暮らす子どもたちの姿が、音もなくスライドのように流れた。
誰かが手を振っている。
誰かが笑っている。
誰かが「ありがとう」と書いた紙を掲げている。
「これ……」
沙耶が呟くように言う。
野田がリモコンを下ろし、ぽつりと答える。
「録画してもらったんだ。避難所にいる、助けた子たちに」
晃はモニターを見つめながら、胸の奥に言葉が浮かんでは、静かに沈んでいくのを感じた。
「あのときの子たち……じゃないかもしれないけど」
「でも、無駄じゃなかったって、少しだけ思えるだろ」
晃はゆっくり頷いた。
──違う。無駄じゃなかった、なんて言葉で終わらせない。
もっと救う。
もっと繋ぐ。
そのために、自分はここに戻ってきた。
「……ありがとう、シゲル」
晃がそう言って、軽く拳を差し出す。
シゲルも無言でそれに応じて、拳と拳をぶつけた。
「よかったな」
ぽつりと、シゲルが言う。
晃は小さく頷いた──が、次の瞬間ふと目を伏せる。
かつて救えなかった命──シゲルが言っていた、矯正施設で命を落とした妹のことが、晃の脳裏をよぎった。
そして今も、どこかで助けを待っている誰かがいる。
──まだ、終われない。
晃の目が、静かに前を向く。
「やるぞ」
夜の静けさの中で、ひとつの決意が形になった。
その熱は、まだ誰にも届いていない。
──だが、間違いなく、物語は次へと動き始めている。
そのときだった。
アジトの奥で、通信端末がけたたましいノイズを発した。
「……今の、何の音?」
沙耶が振り向き、シゲルがすぐに端末に駆け寄る。
「電波ジャック? 違う……これ、外部からの暗号信号……」
シゲルの指が端末を叩く。数秒後、画面に解析結果とともに、
小さな発信者コードが表示された。
──NSH-U01。
「仁科くんか」
「……仁科?」
晃が目を細める。その名を最後に聞いたのは、もう何ヶ月も前のことだった。
仁科佑真──高校時代の親友で、沙耶とも親しかった。
沙耶が連行された後、混乱の中で連絡が途絶え、ずっと消息は不明のままだ。
思えば、『灰翼』という名前を初めて耳にしたのも、彼からだった。
あの頃はただの噂話のように聞き流していた。けれど──
画面には、さらに意味深な文字列が浮かび上がる。
『エンコード・ゼロ。対象識別コード:YAK-001──交戦規定第七条、即時展開』
晃にはわからなかったが、周りの空気が一瞬で張りつめた。
(……何が起きた?)
「……始まったな」
晃の心の声に答えるように、シゲルが静かに言った。
***
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