クロノス・リベルタス双星伝

チャプタ

序章:永き黄昏の時代 ~歴史の幕開け~

人類がその揺籃の地、太陽系第三惑星――通称「地球」を離れ、星々の海へと乗り出してから、永い歳月が流れた。

コールドスリープと亜光速航行が主流であった時代を経て、超光速航法が確立されると、人類の版図は爆発的な拡大を遂げる。無限とも思える宇宙空間へと生存圏を広げた人類社会であったが、その広大さゆえの距離的・時間的な隔絶は、社会の統一性を徐々に失わせ、やがて銀河系内における二つの巨大な星間国家へと収斂し、袂を分かつに至った。

銀河系の一角、オリオン腕に壮麗な宮廷文化と強大な軍事力を誇示する「クロノス帝政」。そして、ペルセウス腕を中心に多様な惑星国家が自由と共和を標榜し連合する「リベルタス共和国連合」。両者は、人類という単一種から派生した国家でありながら、その統治理念、社会構造、文化において、全く対照的な道を歩んでいた。

クロノス帝政は、建国以来数世紀の歴史を重ね、神格化された皇帝を終身元首として頂点に戴き、厳格な階級制度によって統治される専制君主国家であった。その首都、帝都クロノポリスは帝国の心臓たる人工惑星であり、歴代皇帝の威光を示す壮麗な建造物が天を衝くように林立し、既知宇宙随一の威容を誇った。黄金と白亜で幾何学的に装飾された皇帝宮殿、天まで届けとばかりに聳える行政院の尖塔群、秩序正しく区画され、清潔に維持された市街。だが、その息を呑むような華やかさの裏には、特権を世襲する門閥貴族階級の驕慢と、それに伴う陰湿な権力闘争、そして変化を拒み過去の栄光に固執する硬直した官僚主義が、帝国の隅々にまで深く根を下ろしていた。民衆の多くは、帝国の揺るぎない秩序と(少なくとも表面的には)安定した生活という恩恵に浴する一方で、重い税負担と、生まれによって人生の道筋がほぼ決定される厳しい身分制度の軛(くびき)に喘いでいた。彼らは日々の生活に追われる中で、政治への関心も、未来への希望も、徐々に、しかし確実に薄れさせていったのである。

当時の帝都下層市民が故郷の家族に宛てた手紙の一節が、戦後編纂された個人記録集『星屑の呟き』に残されている。そこにはこう綴られていた。

『帝都のパンは固いが、配給は途絶えない。それが陛下の御恵みさ。我ら平民は、多くを望まず、ただ己の分を守って生きていけばよいのだ』

この言葉に込められた諦念と、体制への恭順の裏に見え隠れするわずかな皮肉は、当時の帝国臣民の偽らざる心情を映し出していたのかもしれない。

若き皇帝マクシミリアン3世は、聡明さと改革への意欲を持つと噂されてはいたが、その玉座は未だ盤石ではなく、実権の多くは老獪にして権謀術数に長けた宰相ゲルハルト公ら保守派貴族に掌握されていた。帝国の巨大な機構は、あたかも皇帝の意志とは無関係に、ただ惰性によって、過去の栄光を引きずりながら動き続けているかのようであった。

一方、クロノス帝政による苛烈な支配と搾取に対し、独立戦争で敢然と反旗を翻して建国されたリベルタス共和国連合は、その名の通り、自由と平等を国家の基本理念として掲げていた。広大な星域から集まった、それぞれに異なる歴史と文化を持つ多様な国家・惑星が、対帝政という共通の脅威の下に連合を形成し、相互の主権を尊重しつつ運営されていた。その首都、自由首都フリーダムポートは、人工・天然の様々な形状の宇宙ステーションが寄り集まった巨大複合体であり、絶えず新しい文化、技術、そして情報が行き交う、活気と混沌に満ちた坩堝(るつぼ)のような巨大都市であった。最高評議会による民主的な意思決定が謳われてはいたが、現実は各惑星・国家の代表が繰り広げる利権争いと、ポピュリズムに迎合する政治家たちの権力闘争の場と化し、汚職や利権誘導が後を絶たなかった。

首都の裏通りに軒を連ねる安酒場で、グラスを傾ける一人の宇宙商人が、同席したジャーナリストにそう語ったという逸話が、当時の記録に残されている。

『自由の名の下に、誰もが自由に儲け、自由に発言し、そして自由に餓える権利がある。それがこのフリーダムポートさ。だが、それでも俺は、皇帝陛下の命令一つで首が飛ぶような場所より、ずっとマシだと思うね』

理想と現実の乖離に苦しみながらも、自由への渇望を捨てきれない、連合市民の複雑な心境をそれは示唆していた。

また、建国の経緯から強大な発言力を持つ統合軍は、歴戦の勇士として名高い統合軍総司令官マードック元帥のような実力者の下で、時に政治の意向を無視して独走する傾向すら見せていた。軍内部には、政治家への不信感と、帝政への強硬論が根強く存在した。自由の名の下に経済格差は拡大し、社会不安は増大。市民の間には為政者への不信感が募り、社会全体が不安定な熱気を帯びていた。

両国の間には、独立戦争以来の百数十年以上にわたる根深い不信と憎悪が存在し、銀河を事実上二分する形で長年にわたり断続的な戦争状態が続いていた。星間航路の要衝たるヘリオス・ゲート星系や、天然の要害ケルベロス回廊、資源豊富なエリダヌス星区などを巡っては、幾度となく大規模な艦隊戦が繰り広げられ、数えきれない人命と、惑星数個分の年間予算にも匹敵する膨大な資源が、一瞬にして宇宙の塵と消えていった。

しかし、ここ数十年は、互いに決定的な打撃を与えられぬまま、戦線は奇妙な膠着状態に陥っていた。散発的な国境紛争や、辺境宙域での小競り合い、互いの国力を削ぐための経済・情報戦は続くものの、かつてのような銀河の命運を賭けた大会戦は鳴りを潜めていた。人々は終わりの見えない対立に倦み、戦争があることが日常となり、一種の諦念と共に日々を送っていた。それはあたかも、太陽が沈みきらぬまま、地平線に長く留まる、憂鬱な黄昏時のようであった。

後世の歴史家、エミール・ランゲは、その主著『銀河興亡五百年史』において、この時代をこう評している。

「宇宙暦780年代。それは『永き黄昏』の時代と呼ばれた。かつての激しい戦火の記憶は風化し、人々は繰り返される日常の中に埋没していた。クロノス帝政はその栄華の内に構造的疲弊を深め、リベルタス連合はその自由の内に方向性を見失い漂流していた。銀河は、二つの巨人が互いに睨み合ったまま疲弊していく巨大な構造的疲労を起こしながら、ただ静かに、次なる時代の胎動を、あるいは終末への序曲を待っていたかのようである」

「そして歴史は、しばしばそうであるように、この息詰まる膠着した状況を打ち破るべく、対照的な特異な才能を持つ二人を、敵対する陣営の、ほぼ同時期に、歴史の舞台へと登場させた。それが統計学的にはありえない偶然であったのか、あるいは我々の理解を超えた宇宙の法則がもたらす必然であったのか、それは定かではない。しかし、いずれにせよ、二つの星がその鮮烈な輝きを放ち始めた時、『永き黄昏』の時代は終わりを告げ、銀河は再び激動の渦へと巻き込まれていくこととなるのだ」

歴史の歯車が、再び大きく、そして激しく動き出すその瞬間は、まだ誰にも明確には知られていなかった。

ただ、宇宙の深淵には、やがて銀河を揺るがすことになる二つの魂が、それぞれの場所で、それぞれの宿命を背負い、その非凡な才の萌芽を、静かに、あるいは激しく示し始めていたのである。

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