EMA 電子の小悪魔

湖城マコト

前編

『カルフールの中では誰もが理想の自分になれる。カルフールの中では何だって出来る。カルフールはたくさんの出会いに溢れている。その名の通り、カルフールとは世界中のユーザーの人生が交わる巨大な交差点なのです。さあ、あなたもカルフールでの仮想現実を楽しんみませんか?』 


 現在では三億人を超えるユーザーが利用しているとされる巨大メタバース「カルフール」。キャッチーな台詞と共に、渋谷のスクランブル交差点をモデルにした仮想現実上の交差点を、多種多様なアバターが行き交うインパクトのあるCMはあまりにも有名だ。 


 VR技術の向上と共に、多くのユーザーを獲得していったカルフールは、そのキャッチコピーの通り、何でも出来る。アバターは現実の人間と見紛うようなリアルなものから、アニメや漫画風のキャラクター、人間以外の生き物や無機物に至るまで、多種多様な選択肢の中から自由にキャラクターをクリエイトすることが出来る。 


 加えて、ユーザーの趣味趣向に合わせてあらゆる楽しみ方が出来る工夫が成されており、気軽に他のユーザーとの交流が楽しめる「スクエア」、MMORPGやFPSなどのゲームが楽しめる「タワー」など、用途に合わせてたくさんのエリアが設けられている。これらによって多くのユーザーの需要を満たすと同時に、目的に合わせた住み分けも行っているのだ。 


 私、さざなみサラことアバター名「リップル」も、メタバース空間カルフールを楽しむユーザーの一人だ。ブロンド髪の長身の美女のアバターを使って、普段はカルフール内に存在する架空の学校「電私立でんしりつカルフール学園」で活動している。カルフール学園を利用しているのは現役世代の学生が最も多く、放課後や長期休み中に、同年代との交流を楽しむための場所として解放されている。


「おはよう、リップル先生」

「おはようございます。エスター先生」 


 すれ違ったスタッフのエスター先生と挨拶を交わす。私はカルフール学園に夏休み期間のおよそ一カ月間、教育実習生という設定で勤務することになっていた。恩師への憧れを込めた白衣が私の勝負服だ。


 メタバース上に存在するカルフール学園は本物の学校と異なり、単位も存在しなければ明確なカリキュラムが存在するわけでもない。あくまでも自由参加の、学校風の交流の場だ。どちらかといえば、放課後のクラブ活動の感覚に近いだろう。そんな中でも勉強を通して己を高めたいという現役学生の声は多く、希望者には塾のような形式で、夏期講習も行われている。私は現在そこのスタッフとして、講師の先生の補佐という形で授業に関わっている。


 大学の夏休み期間中にこの仕事をすることになったのは、アルバイトとして登録していた家庭教師紹介所のスタッフさんから、新たな形の教育関係のアルバイトして紹介してもらったのがきっかけだった。今後はカルフールはもちろん、他社のメタバース空間においても、アバターを介したバーチャル塾、バーチャル家庭教師といった分野が成長していく見込みとのことだ。


 もちろん、アルバイトとはいえ学生たちの勉強に携わる以上は、難易度の高い採用試験をパスしてきた。メタバース空間でアバターを介してとはいえ、大勢の生徒たちの前に立つこの機会は、私にとっては理想的な環境だった。


 私は教師志望で、現在は大学の教育学部に通っている。来年には教育実習も控えていて、この一カ月間のメタバース上でのお仕事は、今後のためにも良い経験になるだろうという確信があった。講師の先生が元私立高校教師で、色々なアドバイスも貰えているし、アバター越しとはいえ、実際の学生を前に勉強を教えたり、交流を深めるのことにはやり甲斐を感じている。 


 もちろん、実際の教育現場はこんなに甘くはないのだろうけど、それでも確実に私の成長に繋がっていると思う。アルバイトを始めてから早一週間。毎日がとても充実していた。


「流石にまだ誰も来てないか」 


 時刻は十二時三十分。私は十三時開始の授業に先駆けて、今日の担当であるB教室にやってきた。ここはメタバース空間なので、ファストトラベル機能を使えばカルフールのどこからでも瞬時に教室までワープできるので、ほとんどの生徒は開始ギリギリまで校内の別の施設か、カルフール内の別の場所で過ごしている。 


 教卓でデータファイルを開き、今日授業する範囲の最終確認をしておく。講師の先生の計らいで、時々解説を任せて頂ける機会も増えてきたので、生徒達の大切な時間を無駄にしないように、心構えを含めて準備はしっかりしておきたい。


「こんにちは。早いね」 


 誰かが扉を開けて教室に入ってきた音がしたので、生徒の誰かだろうと思って顔を上げると、思わぬ来客に私の表情は引きつった。


「ず、ずいぶんと攻めたアバターね」 


 教室に入ってきたのはゾンビだった。比喩でも何でもない。腐敗した体にボロキレを纏ったその姿は、誰がどう見てもゾンビだ。ここは現実ではなくメタバース空間の中。現実よりはゾンビと遭遇する可能性はあるけれど、それはゲームや体験型アトラクションを楽しむエリアに限った話。より一般向けで、多くのユーザーが行き交うこのエリアでは、刺激の強いコンテンツには制限がかかっている。ゾンビなどその最たるものだ。


 生徒の誰かがMODでも使って私を脅かそうとしているのだろうか? 残念だけどホラー映画が平気な私は、この程度じゃ驚かないけどね。


「正体は誰? 講師の先生が来る前には元の姿――」 


 言いかけて、右手に馴染みのない感覚が生まれた。いつの間にか私の右手には拳銃が握られていて、視界の右下には拳銃の装弾数らしき表示が、ゾンビの頭上には、ヒットポイントらしき緑色のゲージが表示されている。やはりゾンビシューティング系のゲームを思わせるけど、この仕様は本来、ゲームをプレイするためのエリア「タワー」にしか適用されず、学園エリアでは表示すらされないはずだ。何か通常では考えられないことが起きている。 


 異常はそれだけでは終わらない。扉の向こうから続々とゾンビが教室の中へと侵入してくる。困惑する私の視界の上部に表示されたのは「MISSION・ゾンビの襲撃を耐え抜け」のメッセージ。


「さっきから何が起きているのよ!」 


 メタバース空間とはいえ、ゾンビに囲まれて食い殺されるなんてごめんだ。私は訳も分からぬまま、拳銃でゾンビ軍団を迎え撃つこととなった。


「私を侮ったわね。昔はお兄ちゃんのゲームに付き合わされて、2P側でゾンビを撃ちまくってたんだから」 


 三分間ゾンビの襲撃を耐え凌いだら、視界の上部に「CLEAR」のメッセージが表示された。扉から絶え間得なく続いていたゾンビの流入はピタリと止まり、私の築いた屍の山(元々屍だけど)も、発光を伴う演出で跡形もなく消滅した。


 お兄ちゃんありがとう。当時はウザいとか思っていたけど、全てはこの日を生き延びるために教え込んでくれたんだね。絶対にそんなわけはないけど、今は都合よくそう解釈しておくことにするよ。


「白衣に赤が映える……なんて言っている場合か!」 


 息も絶え絶えだけど、何とか生き延びることが出来た。ゾンビの攻撃を受けた個所には、傷跡や出血でダメージ表現がされている。これもやはりゲームエリアのタワー限定の仕様だ。ゾンビの攻撃を受けてもゾンビ化せずにダメージだけで済んでいるのは、ゲーム特有の主人公補正ということでいいのだろうか? もちろん、そこをリアルにされても困っちゃうけど。


「凄い凄い。突然発生したゾンビにヘッドショット連発するなんて、お姉さんなかなかやるね」 


 突然、第三者の声と共に軽快な拍手が教室内で反響する。まだ敵がいたの? 拳銃を握る手にも自然と力が籠る。


「女子生徒?」 


 顔を上げてみるといつの間にか、襟とスカートが赤色のセーラー服を着た少女のアバターが、教卓を挟んで私と向かい合っていた。髪形はロングで、背中には悪魔の羽飾りのついたリュックを背負っている。そんな可愛らしい外見とは裏腹に、その表情には問題児のような、挑戦的な笑みを浮かべていた。夏期講習の生徒の中にこんなアバターは存在しなかったはずだけど、他の教室の生徒さんだろうか? 担当の生徒でなくとも私にはスタッフとしての責任がある。幸い怪我はしていないようだけど、動揺している可能性はあるし。


「今のってバグだったのかな。あなたは大丈夫だった?」

「大丈夫も何も、あのゾンビを発生させたのは私だよ」

「……冗談だよね?」 


 無邪気で、それでいて蠱惑的こわくてきに、少女は口角を釣り上げた。悪魔の微笑み。そんな言葉が脳裏を過る。口では疑問を呈しながらも、その言葉の持つ不思議な説得力を否定しきれない私がいた。


「平和な学園でゾンビパニックが起きたら面白いかなと思ったけど、授業前で混乱は最小限だったな。まあ、白衣姿でヘッドショットを連発する面白いお姉さんを見れたから良しとしよう」

「あなたは何者なの?」

「私の名前はエマ。カルフールで活動しているなら、噂ぐらいは聞いたことがあるんじゃない?」

「電子の小悪魔エマ。都市伝説だとばかり……」 


 カルフール内で半年前ぐらいから囁かれ始めた、エマという名のアバターの噂。セーラー服を着た可憐な少女の姿と、悪魔の羽が特徴だとされている。


 エマが現れると、カルフール内には決まって混乱が起きる。エリア内のアバターの容姿が全て、一瞬だけ別の姿に変わってしまったり。まったく別のエリアに突然転移させられたり。今回のように、異なるエリアで起きるべきイベントや現象が別のエリアで発生したり。


 真偽の程は不明だが、エマと遭遇したユーザーたちの様々な体験談がカルフールには溢れている。エマはカルフール内の事象を自由に操れる力を持っていると考えられており、その正体は何らかの目的で運営側が用意した管理者権限を持つアバター説、ハッキングによる愉快犯説、果てにはカルフール内のバグが自我を手に入れた情報生命体説まで、様々な説が囁かれている。


 所詮は都市伝説だし、自分に関係のない話だと思っていたけど、こうして目の前で異常が起きた以上、エマの存在を認識せざるを得ない。


「大正解! サイン書いてあげようか。もちろん証明としてNFTで。将来プレミアつくかもよ?」

「と、とりあえず遠慮しておくわ」

「えー! 私と会えるなんて激レアなのに」 


 エマはむくれ顔で教卓に両腕と顎を乗せた。ちょっと小生意気だけど、拗ねた子供みたいで何だか可愛らしい。最初こそゾンビ出現のインパクトに引っ張られて身構えていたけど、こうして間近で見ると都市伝説の存在というよりも、夏期講習で接している学生たちと、そこまで変わらない印象を受ける。


「エマ。あなたは一体何者なの? ネット上じゃ色々な説が飛び交っているけど」「話してあげてもいいけど、今はあまり時間は無いかな」


『学園エリアで異常が発生しました。大変申し訳ございませんが、緊急メンテナンスのために、エリア内のユーザーの皆様には、三分後に強制ログアウトして頂きます』 


 校内にカルフール運営からの放送が流れた。緊急メンテナンスの原因は間違いなく、先程エマが出現させたゾンビの襲撃だろう。私も三分後には強制的にログアウトさせられてしまう。


「エマもログアウトするの?」

「誰にも私をログアウトさせることは出来ないよ。だって私は電子の小悪魔エマだもの」 


 まったく説明になっていないけど、強制ログアウトにも巻き込まれないなんて、エマはやはり特別な存在のようだ。


「そろそろ時間か。あなたの正体について興味津々だったのに。残念」

「また会う機会があったら、話し相手になってあげる」

「約束よ」


『強制ログアウトを実施します』


「そういえば、私の方はまだ名乗ってなかったね。私はリップル」 


 名乗ると同時に、私の意識はメタバース空間カルフールから現実世界へと引き戻される。ログアウトする直前、エマが笑顔で手を振っているのが見えた。  


 ※※※  


 その日の夜。私は仕事終わりの兄、漣マルクを誘って、焼き肉屋でお肉にがっついていた。エマの騒動で結局、今日の授業は無しになってしまったし、明日、明後日とメンテナンスのために学園は休校が決まり、結果的に私は三日分のお仕事が流れてしまった。経験値を求める私にとっては、お給料以上に、三日分の授業時間を失ってしまったことの方が惜しい。お兄ちゃんに焼肉でも奢ってもらわないとやっていられない。


「まさかサラが、カルフールでエマと遭遇するなんてね。貴重な体験で羨ましいよ」「その代償に、私の貴重な時間が失われたけどね」 


 兄妹であることを抜きにしても、今夜焼肉を奢ってもらうのを厚かましいとは思わない。お兄ちゃんは現在二十七歳。子供時代からのゲーム好きが講じて中学時代から本格的にプログラミングを学び始め、現在はゲームクリエイターとして、大手IT企業「グラン・シャリオ」のゲーム開発部門に勤務している。熱心なカルフールユーザーでもあり、知的好奇心からエマの都市伝説にもずっと興味津々だった。そんなお兄ちゃんにとって、妹の私がエマと遭遇したことは間違いなくビッグニュースだ。焼肉を奢ってもらう代わりにエマに関する情報を話す。これは身内ならではの緩さを前提とした、正当な取引なのである。


「それで、エマはサラの前でどんな魔法を?」

「一言で表すなら、ゾンビパニック的な」 


 程よくお肉も育ってきたところで、私は今日体験した出来事を、可能な限り詳細にお兄ちゃんに語り聞かせた。目を輝かせながら頷き、時には真剣な表情で思考を巡らせる。話に聞き入るお兄ちゃんの姿には、少年のような純粋さと年相応の大人としての理知的な雰囲気が同居していて、妹の私でも思わずドキっとしてしまうようなギャップを持っている。


 モデルとして活躍していたフランス人のママ譲りの端正なルックスと長身を持つお兄ちゃんはとても存在感があり、今も他の女性客から定期的にお兄ちゃんに視線が刺さっているのを感じる。安心してください。私は奥さんや彼女じゃなくて血を分けた妹なので! 羨ましい、あるいは恨めしい視線を私にまで向けてくるのはご容赦ください!


「どうやらサラが体験したゾンビパニックは、タワーの人気タイトルの一つである『ミレニアムオブザデッド』のデータを流用して生み出されたシチュエーションのようだね」

「実際に体験した私が言うのもなんだけど、別のエリアにタワーのゲームを再現することなんて可能なの?」

「エリアごとに仕様を切り替えているだけで、カルフール内のあらゆるエリアが同じベースシステムで構築されている。ゲームクリエイターの視点で言わせてもらうなら、管理者権限か、あるいは高度なプログラミング技術を有していれば、カルフール内で起きる現象や仕様を、異なるエリアに流用することは理論上可能だ」 


 私には専門的なことは分からないけど、私の関係者の中でお兄ちゃんは最もこの分野に精通した人間だ。お兄ちゃんが言うのなら、そういうことなのだろう。


「エマは噂通り、少女の姿のアバターだったんだよね? 俗にいう中の人にはどんな印象を持った?」

「外見通りの、十代の女の子だと思う。普段からお仕事でその年代の子たちと接する機会は多いから、成りすましかどうかぐらいは見極められるつもりだよ。あの小悪魔感は、とてもAIには出せないと思うし」 


 もちろんアバターを介したやり取りなので、エマが外見通りの年代の少女であるという確証はない。それでも、普段からお仕事で学生たちと向き合っている私の感覚は、エマ本人から外見と違わぬ少女性を感じ取った。


 身内であり、エマと遭遇した当事者でもある私の感覚を信用してくれたのだろう。お兄ちゃんも肯定的に頷いてくれた。


「それを聞いて少し安心したよ」

「安心って、何が?」 


 お兄ちゃんは何に対して安心したのだろう? 思いがけぬ反応に私は首を傾げた。


「エマにもちゃんと、血の通った中見が存在しているようで何よりという意味。エマの正体を巡っては、超常的な仮説も少なからず存在しているからね」

「それって、例えばどんな?」

「無数のバグが集合して自我を得た情報生命体説や、不謹慎な話だけど、過去にカルフールに接続中に亡くなった少女の霊が、アバターのままさまよっているとする説まで。トンデモ寄り意見も数多く見られる。そもそもエマ自体が都市伝説的な存在だったから、そういった説と結びつけたくなる心理は分からないでもないけどね」

「お兄ちゃんもその可能性を疑っていたと?」

「前述のプログラミングや管理者権限の話は、あくまでも理論上可能というだけで、正直、可能性はそこまで高くないと考えていた」

「確かに、高度なプログラミング技術や、管理者権限を持った人がそこら中にいるわけじゃないものね」

「結局のところ、僕も都市伝説的なロマンを感じていたのかもしれないね。神秘性と言い換えてもいいかもしれない。そう考えていた方が都合が良いから」 


 お兄ちゃんは自嘲気味に苦笑したけど、神秘性という表現には私も思う所があった。話しているうちにエマには人間臭さが感じられたけど、初見の印象では、この世ならざる存在と遭遇した神秘性を感じたのは事実だ。


「結局のところ、エマは何者なんだろう」

「彼女のことが心配かい?」

「……もう、お兄ちゃんったら」 


 まだ何も言っていないのに、私の心中を察している。血を分けた兄には何でもお見通しのようだ。


「メタバース空間とはいえ、教育者を志す身としては、エマの悪戯を見過ごせないよ」 


 これ以上悪戯を続けたら、きっとそれはエマのためにはならない。押しつけがましい正義感かもしれないけど、見過ごしてなんておけない。


「流石は僕の妹だ。予定が飛んでしまったのを逆手にとって、カルフールでエマを捜索してみたらどうだい?」

「意気込んだ矢先に情けない話しだけど、そもそも都市伝説的な存在のエマと再会なんて出来るのかな? 今日のことも偶然だろうし」

「運も絡んでくるけど、サラならきっと大丈夫だよ」

「その根拠は?」

「サラの話を聞く分に、エマはサラに興味を抱いた様子だ。僕の知る限り、エマが誰かに興味を示すなんて初めてだし、案外向こうから接触してくるかもしれないよ」 


 流石に楽観的過ぎるよお兄ちゃん。そう都合よくはいかない。 私はまったく期待せず、焼けたお肉を頬張っていた。  


 ※※※  


 翌日。アルバイトの予定が飛んでしまった私は、朝からカルフールにログインすることにした。去年、アルバイト代を溜めて奮発したゲーミングチェアに深く腰掛けて、フルフェイスのヘルメットに似た、ヘッドマウントディスプレイを被ってメタバース空間カルフールの世界へと私は飛び立つ。


 現実世界は酷暑で、とても気軽に外を散歩する気にはなれない。その点、天気に左右されないカルフールは行動の自由度が高い。特に予定や宛てもないけど、適当にカルフール内をブラブラしてみることにした。 最初に立ち寄ったマルシェのエリアだ。昨今はカルフール内で通販を行うことも可能で、現実そっくりのメタバース上で、現実に近い感覚で商品を手に取ったり、衣服に関しては試着スペースで、現実の姿をベースとした身体データに商品の着せ替えを行うことも可能。現実さながらのショッピングを楽しむことが出来る。気晴らしに買い物したいとも思ったけど、金欠気味なところにアルバイトの予定が飛んでしまったので、今日はウインドウショッピングだけに留めておこう。


「やっぱりここが一番落ち着くな」 


 一通り物欲に蓋をしたら、今度はマルシェを一望出来る高台へと移動し、一つだけ設置されているベンチに静かに腰を下ろした。普段はあまり人がいない場所だから、広大なカルフールの中に、自分だけのプライベートスペースを持てたみたいで気に入っている。


 体験型のアクティビティや、現実さながらのショッピングと比べると地味だけど、仮想現実ならではの風景をのんびりと楽しむのも一興だ。本場フランスのマルシェを模した温かみのある場所を、個性豊かなアバターが行き交う様は、まるでファンタジーの世界に転生したかのようで趣深い。初心に返るという大袈裟かもしれないけど、こういった何気ない風景にこそ、メタバースの特別さを感じられる気がする。


「ヤッホー、リップルお姉さん。昨日ぶりだね」 


 いつの間にか、無邪気な笑顔の持ち主が私の隣に座っていた。私の聖域に当たり前のように侵入してくるその姿は、小悪魔エマの名に相応しい。


 エマの服装は変わらずセーラー服のままで、特徴的な小悪魔の羽とリュックの存在感も健在だ。私も変わらずお気に入りの白衣を羽織っているし、絵面だけ見れば生徒と教師が学校外での遭遇といったところだ。


「どうしてここに? まさか偶然通りがかったわけじゃないでしょう」

「昨日のゾンビ騒動の勇ましい立ち回りでお姉さんに興味が湧いて。移動のログを手繰って追いかけてきたの」 


 どうやらお兄ちゃんの読みはドンピシャだったみたい。私は何もしていないのに、本当にエマの方から会いに来ちゃったよ。発言がネットストーカーみたいで怖いけど……。


「マルシェに寄ったみたいだけど、結局何も買わなかったね。ひょっとしてお財布事情厳しいの?」

「言っておくけど、責任の一端はあなたにもあるんだからね。私、昨日の騒動で仕事が飛んじゃったんだから」

「ご、ごめん。そのことは謝るよ」 


 てっきり追い打ちをかけてくると思ったけど、エマは意外にも素直に頭を下げてきた。舌戦上等と身構えていた私も思わず毒気を抜かれてしまう。無邪気だとばかり思っていたけど、素直に謝れるところもまた小悪魔的なのかもしれない。


「昨日の騒ぎ。どうしてあんなことをしたの?」

「これって取り調べ?」

「そう身構えなくても大丈夫。これは純粋な興味で聞いてるだけだから」 


 怒りが無いと言えば嘘になるけど、今はエマに対する好奇心の方が勝っている。エマとは何者なのか。エマは何を目的としているのか。もっとエマのことを知りたい。


「学校にゾンビが出現したら面白いかなって、ほんの思いつき。よくあるじゃん。授業中に何か非日常が起きる妄想」

「その想像を楽しめるのは学生時代だけ。教師志望としては最悪の事態」 


 ほんの思い付きだったのかと思うと怒りが込み上げてきたけど、今は我慢だぞ、私!


「昨日のあれ、どうやったの?」

「タワーのゾンビゲームのデータを学園に書き加えただけだよ。ゾンビゲームの方に廃校ステージってのがあるから、親和性も高かったし」

「簡単に出来ることじゃないよね。プログラミングが得意なの?」

「ううん。難しいことは分からない。ほとんど感覚でやってるから」

「それじゃあ、特別な権限を持つ関係者とか?」

「関係者といえば関係者だけど、元々の権限は一般ユーザーと一緒だよ。今の私はシステムを感覚的にいじっているだけ」 


 エマはプログラミングの知識に明るいわけでも、特別な権限を有しているわけでもない。世間話でもするような物言いに裏表は感じられず、彼女はただ真実だけを口にしているのだろう。だけど、感覚だけでプログラムを操るなんてことが本当に可能なのだろうか? いくらここがメタバース空間とはいえ、そんなのまるで、天地を想像する神様の仕業じゃない。


「あなたは一体何者なの?」

「その質問には昨日答えたでしょう。私は電子の小悪魔エマよ」

「それは知っている。私が知りたいのは、あなたの存在そのものよ」

「シチュエーションによっては、情熱的なプロポーズの言葉かもね」


 茶化すような言い方とは裏腹に、エマは初めて表情を曇らせた。カルフール内のアバターは、ユーザーの表情筋の変化による感情の機微を繊細に読み取り、現実と見紛う程にリアルな感情表現を可能としている。今のエマの表情は紛れもなく彼女の感情だ。


「私の存在か……なかなか酷なことを聞くね」

「それでも、聞かせて」

「どうしてそこまで?」

「あなたのこと、何だか放っておけない」


 普段の私ならここまで踏み込むことはないだろう。だけど今は、ここで一歩を踏み出さないときっとエマの手を取ることは出来ないという直感があった。これは教師志望としての、ある種の正義感なのだろうか? それとも漣サラという私個人が、エマを放ってはおけないと感じているのだろうか? 自分の感情がよく分からない。自分のことだからこそ分からない。


「……そうだね。噂が広まって色々な私が独り歩きしているから、リップルお姉さんにぐらいは、真実を知っておいてもらうのも面白いかも」 


 本当に面白いと思っているの? エマ、あなた今にも泣きだしそうな顔をしているよ。


「私はね。カルフールをさまよう可哀想で可愛い魂だけの存在。いわば幽霊だね」

「魂?」

「うん。本物の私は、カルフールにログイン中に生身の肉体が事故に遭って死んじゃったの。それなのにあら不思議。私の意識は今もこうしてカルフールの中で生き続けている」


 あまりにも淡々とした語り口の、それでいて衝撃的な告白だった。今私はどんな表情をしているのだろう。もしかしたら鏡写しのように、今にも泣きだしそうな顔をしているのだろうか。


「肉体のかせから解き放たれた私の魂はカルフールへと適合し、この世界の一部となった。その直後から、この世界に起こり得るあらゆる事象を自由自在に操れるようになったわ。今の私はSF界隈で言うところの情報生命体ってやつなのかもしれないね」


 魂であり、カルフールの一部であり、そして自らを情報生命体とも語る。情報の奔流に私は混乱していた。息継ぎをしなければ情報に飲み込まれてしまいそうだ。


「驚いたよね。リップルお姉さん、目に見えて動揺してるよ」 


 私を嘲笑うかのように、エマは不敵に口角を釣り上げた。違う。きっとエマは私を馬鹿にしているんじゃない。表情を作ることで感情を隠しているんだ。自分を霊だと称することに、心が痛まないはずがない。


「……魂だからエマなの?」

「びっくりした。よく分かったね」

「私、日本とフランスのダブルなの」 


 最初は本名か愛称をそのまま名乗っているのかと思っていたけど、エマが自身を幽霊と称したことでまったく別の可能性が頭を過った。魂はフランス語で「ameアーム」と言う。そしてエマの綴りはEMA。逆から読むことでエマは魂となる。カルフールはフランスの企業が開発を手掛けたメタバースで、カルフール自体もフランス語。だからこそエマは、この名前を名乗ったのかもしれない。肉体が存在しない自分は魂であると、その名前に悲しいメッセージを込めて。


「もしかして、存在に気づいてもらいたくて騒ぎを?」

「まさか。私はそこまで感傷的じゃないよ。幽霊であっても意識はある。だったら楽しく過ごしたいじゃん。最初は四六時中カルフールを探索しているだけで楽しかったけど、結局はサービスの提供範囲という限界がある。だからより刺激を求めて、色々な遊びを試すようになった。それはそんなにいけないこと?」

「だからといって、他のユーザーに迷惑をかけるのは駄目よ。きっと運営にだって目をつけられる」

「そうね。幽霊の戯れも、度が過ぎればファントムとなる。だけど、悪霊として成敗されるなら、それはそれで刺激的じゃない?」

「それは破滅願望よ。破滅願望なんて口にするものじゃないわ」

「もう破滅してるよ。私は魂だけの幽霊だもの」


 その言葉に、即座に反論することは出来なかった。生者である私はどう足搔いてもエマを理解することは出来ない。そんな立場で説教染みた真似をするのなんて、あまりにもおごっている。


「こんな話、やっぱりドン引きだよね。メタバースで生き続ける幽霊とかキモイし、人様に迷惑ばかりかけて、コンピュータウイルスかよって感じだよね」


 私の驕りを見透かしたのだろうか。エマの言葉は自虐であると同時に、私に対する失望が含まれているように感じられた。数秒前に戻って発言を取り消したい……いや、この考えも愚かか。教師志望として、この世界に生きる一人の人間として、言葉の重みには気を付けなくてはいけなかったはずなのに……私は何をしているのだろう。


「驚かせてごめんね。こんなに語るつもりはなかったんだけど、お姉さんは何だか話しやすくて。今日のことは、真夏の怪談に出くわしたとでも思って、テキトーに流しておいてよ」 


 テキトーに流せるわけないじゃない。今まで誰にも打ち明けたことのない秘密だったんでしょう? 私になら話しても良いと思えたんでしょう? なのに私はその思いに何も応えられていない。ただ、生者という安全圏から、知ったような口を利いただけ。


「バイバイ。リップルお姉さん」

「待ってエマ!」


 ベンチから立ち上がると同時に、始めから誰もいなかったように、エマの姿が一瞬で消失した。私が伸ばした右手は虚空を切る。エマはカルフールの一部だから、この世界のどこにでも現れ、消えることが出来る。そんなエマと手を繋ぐことは文字通り、雲を掴むような話なのかもしれない。


「どうしたらいいのよ……」 


 一人取り残されたベンチで私は意気消沈する。去り際のエマの「バイバイ」はきっと、「また今度」ではなく、「もうこれっきり」というニュアンスだろう。声色がそう物語っていた。


 エマが私に興味を抱いてくれたから、今日はこうして再会することとが出来たけど、エマが私に失望した今、もう彼女との再会は二度と叶わないかもしれない。 今日はもうこれ以上、カルフールに留まっているような気分じゃない。失意の中、私は視界の右下に表示されているログアウトの表示を押した。


「……ああ、私は泣いていたんだ」 


 意識が現実へと戻り、ヘッドマウントディスプレイを外した私は、右頬を一筋の涙が伝っていることに気がついた。私はエマに失望されてしまったことが悲しいのだろうか。それともエマの心に寄り添うことが出来なかった己の無力さが悔しいのだろうか。この複雑な感情に名前をつけることは難しかった。 


 仲の良い友達は帰省や旅行で都内を離れているし、重くて不可思議な相談をして、行楽に水を注すのも申し訳ない。だから今夜も、お兄ちゃんに話を聞いてもらおう。


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