第37話「封じられた神託の島と、“心の岸辺”」

 その島は、霧の海に沈む影のような場所だった。

 地図にも名を持たず、誰も近づこうとはしない。かつて神託が降りたという伝説だけが語り継がれ、今はただ“封じられた”とされている。


 ミサとレティアは、波の音がわずかに聞こえる小舟の上にいた。曇天の下、目指すはその“神託の島”。


 ミサの胸の中では、いくつもの声が静かに重なっていた。沈黙の神殿で得た“無響契約”の記憶。それは、言葉にならなかった想いと向き合う力。

 しかしこの島では、そもそも“想いを伝えるという行為”すら許されてこなかったという。


 「この島に降りた神託は、世界に“拒絶”を与えたっていう記録が残ってる。誰にも選ばれなかった魂が、そこで“最初の拒否”を学んだんだって」


 ミサの言葉に、レティアは頷く。


 「つまり、今度の交渉相手は、“自分から話すことを望まない魂”か……」


 「うん。それでも、わたしは向き合いたい。拒まれることが前提でも、心はきっと“知ってほしい”と願ってる」


 それがミサの信念だった。誰かの痛みが“伝えられなかったから存在しない”とされることが、何よりも耐えがたかった。


 島に到着したのは、昼過ぎだった。

 しかし空は厚い雲に覆われ、太陽の光すら遮られていた。


 岸辺に降りたふたりを迎えたのは、静まり返った森と、石で囲われた古い社(やしろ)。

 島全体が、まるで時間の流れから取り残されているようだった。


 「……ここ、まるで“眠ってる”みたい」


 ミサの囁きに、レティアは剣の柄に手を添えながら警戒を強める。


 社の奥へ進んでいくと、石碑がひとつだけぽつんと佇んでいた。そこには、言葉ではなく、ひとつの“割れた鏡”が埋め込まれていた。


 ミサはその鏡に手をかざす。


 ——瞬間、視界が反転する。


 空間が裂け、ふたりは“神託の記憶”の中へ引き込まれた。


 そこは、光のない海辺だった。

 波は凪ぎ、風すら吹かない。


 そして、遠くに見える“影”。

 それは、背中を向けた人のようで、けれどその輪郭は曖昧で、はっきりしない。


 ミサは静かに近づき、心の中で言葉を紡いだ。


「あなたは、“選ばれなかった”のね」


 影は反応しない。


 けれど、ミサには分かった。

 この影は、“拒絶”そのもの。

 誰にも見られなかった。

 誰にも呼ばれなかった。

 誰にも愛されなかった。


 だから、言葉を閉ざした——

 だから、名を持たなかった——


 ミサはその背に、ゆっくりと語りかける。


「あなたのことを、誰かが“拒んだ”のなら——わたしは“受け入れる”」


「あなたが沈黙を選んだのなら——わたしは“黙ってそばにいる”」


「あなたが、ずっとそこにいたことを——わたしは“忘れない”」


 言葉が届く保証はない。

 けれどそれでも、ミサは語り続ける。

 魂の奥底に向かって、何度でも——


 やがて、影が微かに振り返る。

 その目に映るのは、涙に濡れたミサの瞳だった。


 「わたしの名はミサ。あなたが名を持たないのなら、今ここで名前を与えるよ」


 「あなたは、忘れられたものじゃない。……ずっと、見てる」


 その瞬間、影が震える。


 そして——崩れるように光へと変わった。


 現実に戻ると、石碑の鏡に一筋のひびが走り、そこからまばゆい光があふれていた。


 《無響契約ノクターナ・コントラクト》が静かに反応し、新たな契約の形がミサの胸に刻まれる。


▶ スキル進化:《慰留契約(エンブレイス・コントラクト)》

 ——“拒絶の記憶”と向き合い、存在を肯定することで魂を癒す力を得た。


 ミサは石碑の前で膝をつき、深く息を吐いた。


 レティアがそっと支えに来る。


「……無理してないか」


「ううん、……ちょっとだけ、苦しかった。でもね、それ以上に“報われた”の」


 ミサは微笑んだ。

 その表情は、傷つきながらも誰かを想い続ける者のものだった。


「わたしね、拒絶されたこと、たくさんあったんだ。過労死するまで働いた職場でも、どれだけ頑張っても、誰も見てくれなかった。

 でも、今は違う。……あなたがいてくれるから」


 レティアはミサを抱きしめた。

 言葉はなかった。

 けれど、その沈黙は、すべてを語っていた。


 ふたりは静かな海辺に立ち尽くし、夜の帳がゆっくりと島を包み込んでいく。


 “拒絶”を越えて、“共鳴”はさらに深くなる。


 そして、次なる旅の扉が、また静かに開かれようとしていた。


(つづく)

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