第12話「黒き砦、血塗られた契約」

 霧雨の中、西の砦は沈黙していた。

 かつては王国の重要な防衛拠点だったその場所は、今では禍々しい魔力に包まれ、近づくだけで肌を刺すような痛みを覚える。


 ミサは湿った地面に片膝をつき、崖下から砦を見上げていた。


 砦の外壁には、血のような紅の紋章が浮かんでいる。

 それはまるで、ここが“契約”の場であることを主張しているかのようだった。


「本当に……ここにスカアハがいるのね」


「ほぼ確実だ。魔力の波動が今までの比じゃない」


 背後で、レティアが小声で答える。鋭い瞳は崩れかけた外壁を見つめ、剣の柄に自然と手が添えられていた。


「ミサ、無理はするな。敵は“言葉”じゃなく、“意志”そのものを喰らう化け物だ」


「……でも、私にしかできない」


 ミサは立ち上がり、風になびくローブの裾を押さえながら微笑んだ。


「私は“交渉者”だから。相手が人でも魔でも、まずは心に触れてみたい」


 その言葉に、レティアは少しだけ目を細めた。


「ほんと……変わったよな、ミサは」


「……そう?」


「うん。最初は今にも逃げ出しそうな子だったのに、今じゃ私よりずっと前を見てる」


 レティアは笑いながらも、そっと手を伸ばしてミサの頬に触れた。

 ミサはその指に自分の手を添え、小さく囁く。


「私、あなたがいてくれたから変われたんだよ。あなたが、何度も私の手を引いてくれたから」


「だったら……もう引かないでくれ。私のそばにいてくれ。戦いの中でも、ずっと」


 静かな約束だった。けれど、剣よりも鋭く、魔法よりも深く、互いの胸に刻まれる言葉だった。


「……うん。絶対、そばにいるよ」


 地下水路を通り、砦内部に潜入する計画は、成功率が低いとされていた。


 魔物が巣食い、罠が張り巡らされている——

 それでもミサたちは前進する。


 フェリスが前を走り、静かに罠を解除しながら進む。


「この水路、だいぶ古いね。教団も使ってなかったみたい。チャンスかも!」


 石壁の隙間から冷たい水が滴る。空気は湿っていて、腐った苔の匂いが鼻を突いた。


 ミサはその中で、心の奥にあった声を思い出していた。


 ——「あなたもいずれ、私のようになる」


 スカアハの残留意識がそう囁いた、あの夜。


(私は、そうならない。誰かを信じて生きるって、決めたから)


 やがて、鉄製の扉が現れる。砦の地下に通じる“唯一の裏口”。


 フェリスがピンを取り出し、数秒で鍵を解錠する。微かな金属音が響いた。


 レティアが剣を抜き、ミサに目配せをする。


「ここからは本番だ」


「……うん」


 ミサは深呼吸を一つ。扉を押し開けた。


 そこには、異様な光景が広がっていた。


 赤い蝋燭が無数に灯され、壁には奇怪な文字が刻まれている。

 中心には黒い円環——その奥、玉座のような椅子に座っていたのは。


「久しぶりね、“鍵”の子」


 スカアハだった。


 黒く長い髪を揺らし、真紅の瞳がミサを捉える。


 変わらない、美しさと孤独の混じったその姿。


「ようこそ、契約の場へ」


(つづく)

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