No.32 / 天蓋の花火と二人の迷子
本日の三題:エレベーター、花火、双子
ジャンル:近未来SF / ヒューマンドラマ
成層圏まで伸びる塔「バベル」の窓は、分厚い強化ガラスで閉ざされている。地上から立ち昇る有毒なスモッグを見ないで済むように、と大人は言うけれど、僕はただ空が見たいだけだった。
今日は年に一度の「浄化祭」。上層階級の子供である僕、カイにとっては、退屈なパーティーで作り笑いを浮かべる日だ。
だから僕は逃げ出した。パーティー会場の喧騒を抜け、立ち入り禁止区域にある旧式の貨物用エレベーターへ。錆びついたボタンを押すと、重たい扉が軋みながら開いた。
下降を始めた箱の中で、僕は息をつく。目指すは中間層のメンテナンスデッキ。そこなら、誰にも邪魔されずに祭りのフィナーレを見られるはずだ。
不意に、ガクンと大きな衝撃が走り、エレベーターが停止した。
中間層ですらない、名もなき階層。扉が開き、煤けた匂いと共に一人の少年が転がり込んできた。
「頼む、乗せてくれ! 追手が来てるんだ!」
彼は僕を見て、言葉を失った。僕もまた、彼を見て凍りついた。
薄汚れた灰色の作業着を着ているが、その顔立ちは鏡を見ているかのように僕と瓜二つだったのだ。
「……お前、誰だ?」
同時に同じ言葉を口にして、僕たちは黙り込んだ。
エレベーターが再び動き出し、重苦しい静寂が支配する。
「俺はリク。下層から来た」
彼がポツリと言った。
「一番近くで、花火が見たかったんだ。下層からじゃ、スモッグで何も見えないから」
リクの瞳は、僕が決して持っていない飢えのような光を宿していた。
僕はカイだと名乗り、上層の暮らしを少しだけ話した。何不自由ないが、鳥籠のような生活。リクはそれを、羨むでもなく、ただ静かに聞いていた。
不意に、窓の外が真昼のように明るくなった。
上昇するエレベーターの窓越しに、巨大な光の輪が弾ける。
赤、青、緑。鮮やかな光の粒子が、黒い雲を焼き払いながら降り注ぐ。
「すげぇ……」
リクがガラスにへばりつく。その瞳に、極彩色の光が反射している。
「これが、花火か……」
「違うよ」
僕は冷めた声で言った。
「あれは花火じゃない。大気浄化剤の散布爆発だ。あの光が毒素を中和して、一時的に空気を綺麗にする。僕らにとっては、ただの掃除の合図なんだ」
リクが振り返る。その顔には、絶望と、それ以上に深い哀しみが浮かんでいた。
「掃除……? こんなに綺麗なのに?」
その時、エレベーターの制御パネルが赤く明滅し、アラートが鳴り響いた。
『上層セキュリティゲートに接近。ID認証ヲ行イマス』
無機質な音声。リクの顔色が蒼白になる。下層民が上層へ侵入すれば、即座に処分される。
「……なぁ、カイ」
リクが僕の襟元を掴んだ。
「俺と服を、交換しないか?」
「え?」
「お前は自由が欲しいんだろ? 俺は……俺は、たとえ偽物でも、この綺麗な光の近くにいたい」
彼の提案は狂気じみていた。けれど、僕の心臓は早鐘を打っていた。
遺伝子操作で生まれた僕たち上層民には、「失敗作」として廃棄された兄弟がいるという噂を聞いたことがある。目の前の彼が、僕の片割れだとしたら。
僕たちは無言で服を脱ぎ、交換した。
清潔なシルクのシャツを纏ったリクは、完璧な上層民に見えた。煤けた作業着を着た僕は、どこからどう見ても下層の少年だった。
チン、と軽やかな音がして、最上階への扉が開く。
「行けよ、カイ」
リクが笑った。それは、僕が一度もできたことのない、屈託のない笑顔だった。
僕は頷き、閉まりかける扉の隙間から、エレベーターの奥に残る「自分自身」を見た。
彼は窓の外の人工的な光を見つめていた。まるで、宝物を手に入れた子供のように。
扉が完全に閉まり、僕は一人、下降する箱の中に取り残された。
窓の外では、最後の「花火」が打ち上がり、分厚い雲を黄金色に染めていた。
それは残酷なほど美しく、僕は初めて、この世界の空を綺麗だと思った。
さようなら、僕。
二度と会えない双子の片割れへ、僕は音のない別れを告げた。
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