【三題噺】君の声が聞こえた日

本日の三題:夕暮れの踏切、拾った手紙、消えた声


 その手紙を拾ったのは、夕暮れの踏切だった。

 夏の始まり。蒸し暑い風がシャツの裾を揺らし、アオイは学校からの帰り道、いつものように踏切が開くのを待っていた。

 カンカンカンと鳴る音に耳を塞ぎながら、ふと足元に視線を落とす。

 そこに、一通の封筒が落ちていた。

 少し湿った、古びた紙。だが、封は未開封のまま。表には滲みかけた文字で、こう書かれていた。

『君へ——また声が届くその日まで』

「……誰かの、手紙?」

 アオイはそれを拾い上げた。開けてはいけない気がしたけれど、なぜか指先が自然と封を破っていた。



 中には、短い文章があった。

『ねえ、君の声が聞こえなくなって、何年が経ったんだろう。』

『あのとき踏切で交わした約束、ちゃんと覚えてるよ。』

『だから、もしもまた、君の声が風に混じって届いたら——』

『もう一度、あの場所で。』

 アオイは思わず、手紙を持つ手を強く握った。

 誰が、誰に向けて書いたものか分からない。

 けれど、胸の奥に、なぜか温かさと寂しさが同時に込み上げた。



 その日から、アオイはときどき“声”を感じるようになった。

 教室の窓辺に立ったとき。公園のブランコに揺られていたとき。  誰もいないはずの場所で、ふと「アオイ」という名前を呼ばれた気がした。

 でも、振り返っても誰もいない。

 「気のせい」だと思おうとしても、聞こえた声は妙に懐かしく、どこかで聞いたことのある響きだった。



 一週間後、アオイは意を決して、手紙を拾った踏切を再び訪れた。

 同じ時間、同じ位置に立つ。

 沈む夕日が線路を照らし、鈍い金色の世界に変えていく中、ふと微かな“気配”が背後に現れた。

「……君?」

 誰かが、アオイの名前を呼んだ。

 振り返ると、そこにはひとりの少年が立っていた。

 制服は見慣れない。顔も知らない。

 でも、その瞳には確かに“知っている”という感情が宿っていた。

「……この手紙、君の?」

 アオイが差し出すと、少年は微笑んで頷いた。

「うん。でも、本当は君が持ってるのが正解だったのかもね」

「どういう、意味?」

 少年は目を細め、線路の向こうを見つめた。

「ずっと前に、君と“約束”したんだ。ここでまた会おうって。でも——あの事故で、僕の“声”は届かなくなった」

 アオイの頭に、ふいに古い記憶がよみがえった。

 小学生のころ、毎日一緒に通っていた男の子。ある日突然、姿を見せなくなった。

「……レン、なの?」

 少年は、嬉しそうに笑った。

「思い出してくれて、ありがとう」



 レンは“もうこの世にいない”。

 事故で亡くなったと、あとから聞かされた。でも当時のアオイはそれをうまく受け止めきれず、思い出ごと閉じ込めてしまった。

 その記憶が、いま手紙とともに戻ってきた。

「声がね、届かなくなるのって、本当に寂しいんだ」

 レンはそう言って、少し寂しそうに微笑んだ。

「でも、君が覚えていてくれたなら、それだけで——すごく救われる」

 アオイは、涙が頬を伝うのも気にせず、レンの名前を呼んだ。

「……会えて、よかった」

「うん。僕も」

 夕日が完全に沈む頃、レンの姿はゆっくりと溶けるように消えていった。

 手には、あの日拾った手紙だけが残っていた。



 今でも、アオイはたまに踏切の前に立つ。

 もう“声”は聞こえない。

 でも、あの夕暮れの約束だけは、胸の奥に静かに残っている。

 それは、過去と向き合うことの始まりだった。

 届かなかった声が、ようやく届いた日。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る