第3話 何がハローワークだってんだ!!


 ぐったりである。

 この3件以外にも、受け入れてくれそうな事業者には片っ端から連絡してみた。だがこのご時世、まず求人があるというだけでも幸運なのに、その幸運をことごとく食いつぶしていくのだからどうにもならない。

 公園のベンチに腰を下ろし、私達は雁首並べて暗い顔をしていた。私は手にしたピルクルの紙パックをやけくそ気味に呷る。

「あーもう、どうしよう、もうっ」

「すまない……世の中の常識というのが、よく分からないんだ」

 私も暗いが、殺し屋はもっと深刻だ。励ますつもりでオゴってあげた午後ティーに、口を付ける気力もないようだった。

「物心ついた頃から10年間、俺はずっと武器の扱いや気配の殺し方、そんなことばかり教わってきた」

「だから、殺し屋の動き方や考え方が、身に染みついてしまってるんだな……」

「そっか……」

 ん?

「待て。ちょっと待て! あんた何歳?」

「16だが?」

 ピルクル吹いた。

「わっか!? うそだろおいっ!?」

「本当だ。何かおかしいか?」

「いや別に……」

 と口では言うが、おかしくないわけがない。絶対私より年上だと思ってた。まさか一回りも下だったとは……

 この険のある疲れた顔は、彼が辿ってきた道の険しさ故というわけか。

そう考えると、常識がないのを気にする彼が憐れにもなるし、こんなふうに彼を育てた連中に怒りも湧いてくる。

「やはり俺には普通の仕事など無理なのだろうか」

 俯き、じっと手元を見つめる殺し屋の姿は、あまりにもいたたまれない。

「……昔ねー」

 私はベンチに背中を預け、のけぞるように空を見上げた。殺し屋が目を向ける。私に、それから、空に。

 空は青い。下で蠢いている人間たちの心など素知らぬ顔で。

「大学出た後、就職できなくてさ。仕方なくバイトだけはやってたけど、ダメだね、自信が無いときは、厳しく言われるとすぐいじけちゃって。私生きてる価値ないのかなあって……そんなこと思ってたことがあるんだ」

「そんなことはない」

「ん?」

「君は価値のある人間だ。俺をこんなに助けてくれている」

「……ありがと」

 私は苦笑した。もちろん、自分でもそう信じているが、他人に言われるとなんだかくすぐったいものだ。

「でも、その時はホントにグダってたんだ。そんな私を、色んな人が助けたり、叱ったりしてくれて。ああそうか、って。私はこれをやろう、って。そう思ったから、勉強して、公務員になった」

「今の仕事に?」

「そ。今は、グダらずやれてる……かな? 分かんない、けど。少なくとも――ちょっと自分が好きになってきた、かな」

「君は本当に、誇りを持って仕事をしているんだな」

 殺し屋は微笑んだ。私の好きな、あの笑顔。

「俺もそうなりたい。なれるだろうか――なってみせる」

「その意気よ」

 と、そのときだった。

 何気なく視線を下に向けると、丸いつぶらな複眼と、目があった。

「ギャ―――――ッ!? 虫―――――ッ!!」

 いつのまにか私の大嫌いな節足動物が胸元にくっついていたのである! 子供の手のひらくらいあるでかいやつだ!

 私は飛び上がった。ピルクルが噴水のように飛散した。

 すると殺し屋が手を伸ばし、なんと虫を素手で掴んだ。脚をわさわささせているそいつを、公園のコンクリート壁に逃がしてやる。虫は大慌てでがしゃがしゃ逃げていった。

「あばばばばわわわわ……」

 私は青ざめたまま、彼の恐るべき行動を震えて見つめるしかない。

「あああああんた平気なの……?」

「何が?」

「虫!」

「ああ、女性は怖がるものなのだったな。俺は別に。毒がある奴は警戒するが」

 殺し屋はひょいと肩をすくめる。怖くないからって、素手で捕まえるだなんて信じられない。

「サバイバル訓練では森の中に数ヶ月隠れ住むこともあった。虫なんか怖がっていては身が保たない」

「はあ……サバイバ……」

「まず地形を利用して寝床を作ってな。食事は主に狩猟と採集、長期にわたるときは少し栽培もするんだ。楽しいぞ。世間の人はこれをキャンプというんだろう?」

「言わん言わん」

 私は鼻の前でパタパタ手を振った。

 とにかく彼は、分野が偏ってこそいるものの、高いスキルを持っているのだ。うまくハマりさえすれば、いい仕事ができるに違いないのだが……

「ん?」

 ふと、私の頭にアイディアがよぎった。

「常識、虫、サバイバル……か」

 と。

 突然辺りが静かになった、ような気がした。

 私は顔を上げる。訝って周囲を見回そうとする。その動きを殺し屋が手で制した。動くな、と彼が全身から放つ気配が物語っている。これと同じ感覚に、私は心当たりがあった。

 忘れるはずもない。あれは、ハローワークの事務所で……

 瞬間。

 耳を劈く破砕音が辺りを薙ぎ払った。

 と同時に私は空を飛んでいた。殺し屋が私を抱き、驚くべき脚力て跳躍したのだ。私達がほんの一秒前まで座っていたベンチが、みるみる穴あきチーズみたいになって吹き飛んでいく。

 敵だ。殺し屋を狙う上司たちが攻撃してきたのだ!

 心と体が硬直する。一歩遅れていれば、私達が穴だらけになっていた。慣れない恐怖で石のように固まった私を抱く腕に、殺し屋はほんの少しだけ力を籠める。

「俺が護る」

 ちくしょう。その一言で充分すぎる。

 殺し屋は、跳んだ。

 襲い来る銃弾をかいくぐり、彼は走る。公園の植え込みに飛び込んで、木々の間をすり抜ける。と、突然殺し屋が足を止めた。ぞっとする私……だが次の銃声は、この急な動きの変化を追い切れず、私達のはるか前方を虚しく通り過ぎていく。

 殺し屋は植え込みの影にしゃがみ、今度は低木の枝を折り取った。背後に向かって枝を投げ、一瞬遅れて自らも飛び出す。弧を描く枝が銃弾に引き裂かれるのを尻目に、私達は植え込みを飛び出す。枝を囮に使ったのか。

 そのまま公園から抜けだし、私達は市街地のビルの谷間に逃げ込んだ。

 銃撃戦……本物の銃撃戦。殺し屋の、狙いを逸らす機転は凄かった。慣れているんだ。こんなことばかりやってきたんだ。

 それでも私は、震えが止まらない。

 いつの間にか必死で殺し屋に抱きついている自分に気付く。殺し屋が私の髪を優しく撫でる。

「ひとまず大丈夫だ。立てるか?」

 無理だった。私はコンクリートの上にへたり込んだ。殺し屋が拳銃を取り出すのを、茫然と見上げる。

「どうする、また逃がし屋さん呼ぶの」

「もう金がない」

 首を横に振り、殺し屋は私に微笑んだ。そして口を開いた。聞きたくもなかったようなことを言い始めたんだ。

「俺の話を真剣に聞いてくれたのは、君だけだった」

 ……何?

「こうまで親身になってくれて、嬉しかった」

 ……何を。

「だからこれ以上君に迷惑をかけたくない」

 お前は一体、

「ありがとう。君に相談して、本当に良かった」

 一体何を言っているんだ!


 そして――

 殺し屋は、行ってしまった。

 抜き身の銃をぶら下げて。あれほど戻ることを嫌がっていた、彼の戦場へ。

 私を一人、現実の世界に残して。


 私はずっと座りこんでいた。

 立ち上がる気力もなく、ただ遠い騒ぎを聞いているだけだった。

 銃声。悲鳴。爆発の音。パトカーのサイレンが近づいてくる。が、何か破裂音がしたかと思うと、サイレンが不自然な唐突さで鳴りやんだ。

 分かっていた。殺し屋がなぜ、私をここに置いて出ていったのか。敵の狙いを自分に引きつけるためだ。私をこの馬鹿みたいな銃撃戦に巻き込まないためだ。馬鹿。彼一人でなら安全に逃げられたろうに――

 私の非日常は終わった。殺し屋も銃撃戦も爆発も、全部対岸の火事。またいつも通りの、代わり映えのない、でもすてきな日常が戻ってくる。

 戻ってくるんだ。

 ……それでいいのか?

 安堵しかけた私を、別の私が突っついた。

 もちろん、私には関係ない。

 殺し屋がどうとか、知ったこっちゃない。

 何が何だか分かってもいない。

 でも、一つだけ確かなのは……

 彼は、真剣に悩んでいた。

 今の自分を変えたくて、

 新しい未来に行きたくて、

 不器用に懸命に足掻いていた。

「なのにそんなあいつの相談を、真摯に受けとめられなくて」

 私は、

「――いったい何がハローワークだってんだ!!」

 立ち上がった。

 脚がガクガク震えてる。

 頭がグラグラ揺れている。

 今にも心が折れそうだ。

 ――でも!

 それがどうした!!

「うっおおおおおりゃああああああああああッ!!」

 雄叫び挙げて私は駆け出す。一直線に、殺し屋目がけて。



(つづく)

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