第5話 JC20 日野

   JC20 日野


 美悠みゆの乳房がゆさゆさと揺れる。仰向けなのにしっかりと盛り上がりがある。千葉哲哉は腰を動かしながら、我慢できずに言った。

「ごめん。おれ、もう、いきそう」

 えっ? という顔をして、敷き布団に背をつけている女は、

「ペットボトルでも握っててよ」

と、言った。そのことばに一瞬なえて、絶頂ぜっちょういただきが、少しだけ降下したような気がした。

「だって、あたしまだ。あたしまだ…」

と、言われるから哲哉は困って、垂直に動かしていた腰を、ゆっくりと斜めに動かしてみた。

「ねえ。そんなでっかな眼で、見つめないで」

「はい?」

「あたし今、子宮に集中したいのに、見つめられてると、ちゅくちゅくしちゃうから…」

と、アニメの歌詞のようなことを言って、「顔にタオルかけておいて」、とまた、無理な注文をしてきた。マジ、もう、無理!

「美悠巡査長、自分、いきます!」

 そういって、がーっ、と腰をピストン運動させて、哲哉は精子を放った。もう、こどもできてもいいや、とふたりとも思っていたので、ナマだ。

「ええ~っ」

 なえたペニスを子宮にくわえて、巡査長、と呼ばれた美悠は、哲哉の腰を両足でからめ、離さない。

「ひどいよう。あたし、まだなのにぃ」

 そんなこと言われたって…。哲哉は下半身と同じくちょっとしぼんで、箱ティシューを美悠のあたま近くに引き寄せる。ひとしきりぐずぐず言っていた美悠は、あきらめたようにティシューを二枚引き出すと、股間に当ててバスルームへと消えた。

 シャーッ、と、湯を流す音が聞こえる。

 哲哉はすっぱだかのまま、冷房の効いた室内で、さっきまでふたりで絡み合っていた布団の上に、ひとり、寝っころがる。

 見られていけない書類や書籍って、なんだろう。

 あたりを見回しても、そんなもの、どこにもなかった。目につくのは、化粧道具、というか、お肌の手入れ用化粧品ぐらいだ。小ざっぱりとした部屋。一般人に見られてヤバいものはきっと、物入れにきちんとしまってあるんだろう。

 シャワーの音は消えていて、美悠は石けんで身体でも洗っている様子だ。

 三枚のカードという落し物が戻り、ほどなくして、ぼくらの交際は始まった。新年を迎えてすぐだったかな。

 カードは、南口階段に落ちていて、児相職員ふたりが届けてくれてということだった。確かにそのとき哲哉は、医療ガスにかかわる安全管理研修会の説明者として、市民病院へ急ぎ向かっていたのだ。病院は北口まっすぐであったのに、一度南口へ降りてしまい、なんだかおかしいと、慌てて行き先を検索した時に、落としていたらしい。

 病院での研修会を終えて紛失に気がつき、その足で交番へ向かったら、巡査長の美悠がいた。今しがた届きました、チバテツヤさん、と、名前を呼ばれた。ぼくたちは確かに、三回かかわっていた。一度目は歌舞伎町の交番、二度目は代々木の派出所。それから今回の豊田。

 もうお互い、三度もかかわったんだからこれはもう、そういった運命なんじゃないかと、思い込んでしまった。

 春ぐらいに初めてエッチをして、それから美悠は、おれのことを上司に報告したらしい。警察官の決まりだ。三十一になった巡査長からの、はじめての交際報告だったので、交番に勤務する同じくノンキャリアの上司たちは、この時期に想定外、といった感じで、面食らったらしい。

 それから、へえ、医療機器メーカー勤務、へえ。じゃあ、まあ、硬いほう? 別れた時、嫌がらせとか、そういったことしないタイプ? くれぐれもさ、情報をもらしちゃいけないよ。部屋の中の書類や書籍は、絶対に目に触れさせないようにね。などと、冷やかしともとれる、念押しをされたらしい。

 正確には医療機器、ではなく医療ガスをあつかう会社に勤めている哲哉だったが、まあ、医療機器も扱っているし、介護施設なども展開しているので、ざっくりとそんなところでいいか、と思った。きっと、美悠の報告から、勤め先に関しては警察内部で、きっちり調べはついているんだろうし。


「ねえ。外に食べに行こうよ」

 明日、美悠は非番あとの週休だけれど、自分は勤務である。お互いの休日をすり合わせるのは至難の業で、だからこうやって仕事帰り、哲哉は女性巡査長がひそやかに暮らすアパートを訪ねては、二時間ほどではあるが、短い至福の時を過ごすのだった。

「駅周辺だと、上司や巡査たちに鉢合わせするから、立日たっぴ橋わたった先の店にしよ」

 美悠のリクエストだ。哲哉にとっても、多摩川と甲州街道に挟まれた住宅地を歩くことは、嫌どころでなく、むしろ、ちょっとした喜びだった。

 美悠のアパートを訪ねたことによって哲哉は、日野の用水路をはじめて知った。水郷すいごうといわれる茨城県出身の哲哉にとって、日野の用水路は、故郷とはまたひとあじ違った、なんだかわくわくするような、ちょっと感激する風情をたたえていた。

「ねえねえ。すごいね、ここ。各家かくいえがミニ皇居こうきょ状態じゃない!」

 ん? という顔をして美悠は、その例えが適切なのかどうが、思案しているようだった。

「自分んちに入るために、橋が架かってるんだよ」

「あたし、見慣れちゃった」

 日野の一部地域には、用水路が縦横じゅうおうに走っている。おそらく田んぼをつぶして建てたであろう住宅が、水路に添って並んでおり、家の玄関や車庫に入るために、各戸の前に、コンクリートの橋が架けられているのだ。その橋の下を、清流とも言える農業用水が流れている。

 皇居に入る二重橋みたいだし―。

普通の民家が、皇居のミニチュア版に思え、こんな光景なかなかない、と哲哉はいっとき興奮して、美悠に同意を求めた。当の美悠は赴任四年半目にして、とうに見飽きてしまった風景らしい。

「小学校だかに、水車があったよ」

「いなか、っちゃあ、いなか?」

「いや、これ、めったにないよ。すごいよ」

 水がある風景はいい。なんでだろうなあ、落ち着くの、と、哲哉はときどき考える。きっとヒトが、水から上がってきた長い長い歴史をもっているから? それとも今現在、ヒトの体の大部分が水だからなのか。

「日野に住んでもいいなあ」

「えっ? なんで?」

「いいとこじゃん。もし美悠がもうしばらくここで勤務するならさ」

「なによ。だめだよ。満期だもん。え~」

と嘆くように美悠は、日野で五年勤務したから、そろそろ希望の移動先をリストアップしなければならない、と言った。

「五か所全部、てっちゃんのうちのそばにしちゃった。千駄ヶ谷、信濃町、市ヶ谷、原宿、それと東中野。どこも忙しいんだけど、新宿と大久保はハンパないから、もう体力的にも気力的にもキツくて、できればパス、ということで」

 ふたりは、立日橋へ直接つながる多摩川右岸の歩道にのぼった。夏の蒸し暑い空気は変わらなかったけれど、川岸というだけで心もち、涼しい感じがする。

 カモメなんだろうか、水鳥のモニュメントを直角にまがると、頭上には一直線に通った多摩モノレールの軌道があらわれる。

「そういうとこ、落ち着かないよ。実際、なんでおれ今、代々木に住んでるのかわからないとこあってさ。単に、学生時代からの延長で…」

 もし、所帯を持つなら、と哲哉は言いかけ、美悠を見た。背丈は哲哉とほぼ同じくらい、百六十センチのまん中ぐらいはあるんだろうか。つい最近カットした髪は、ショートだけれど、ふんわりと形よく、丸めのシルエットを作っている。そんな彼女は、風に吹かれながら、左側の欄干から多摩川を眺めていた。

「夜だとよく見えないね」

「ああ」

 ふたりして歩みを止め、欄干に両手をついて、はるか下方の川面を眺めた。

 人も車も途絶えた瞬間があり、欄干につかまったまま、哲哉は美悠にキスをした。もう少し長くしていたかったが、頭上にモノレールが通り過ぎたので、唇を離した。

「まっすぐ行ってご飯食べたら、おれ、このまま立川駅向かうから、送れないけど大丈夫?」

「あ、全然いいよ。あたしも立川まで行って、電車で一駅戻ってもいいし」

「そのほうがぼくとしては、安心」

 美悠は自分に対する心づかいにちょっと満足したのか、口角を少しだけあげて笑顔を作った。


 入ったのは少しお高めのファミレスで、ふたりとも、ビーフハンバーグなどという、がっつり系を頼んで、ライスと一緒にたいらげた。コーヒーのサンデーをデザートスプーンですくっている美悠を眺めながら哲哉は、

「仕事、大変?」

と、尋ねた。美悠は下唇にアイスをつけながら、なにを今さら? という顔をした。

「いつも通りだよ。日野はぜんぜん平穏なほうだよ」

 でも、いつも緊張状態が続いてるでしょ、というと、「責任があれば、どんな仕事もそうじゃない?」、という答えが返ってきた。

「すこし、ゆっくりすれば…」

 プロポーズのつもりだった。美悠もうすうす分かってはいるのか、唇を舌でぺろりとなめると、空になりかけたチューリップ型の容器の底を、スプーンでカチャカチャかき混ぜながら、

「うん」

とだけ言った。

「てっちゃん…」

「なに」

「目が、でかい」

 うっ、となった哲哉に向いて、

「耳も、ほら、あたしが好きな俳優の…」

「えと、鈴木…?」

「そうそう。それに似てる!」

「顔全体は、似てないってことか。だってあの人、目が細いじゃん」

「まあね」

 そう言って、うふふと笑った美悠の右ほほに、くっきりとえくぼができた。哲哉はなんだか急に、涙が出そうになった。警察官であるこの人を、守ってみたいな、そう、思った。

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