第4話 父の涼助
実家に戻った旬二が最初にしたことは、庭の手入れであった。
四十坪の家屋に対して、荒れた庭は七十坪ほどあり、生い茂った雑草が余計に家屋を退廃しているように感じさせた。
雑草はすべて、手で毟り取るより仕方なかった。不規則な置き石が、微妙な間隔であった為、鎌を振ることが殆んどできなかったのだ。
旬二は、叔父の寒助のディスカウントショップで働きながら、毎日草毟りに励んだ。
一ヶ月ほどかかって取り除いた雑草は、干からびた池を程よく埋め尽くした。その上から土を被せて平らに均す。
若かりし頃、祖父の秋三朗が掘って造った池を、もっと祖父と一緒に楽しめばよかったと思う。
旬二は一人で池を眺めた記憶がない。
池を眺めているとき必ずそばに誰かいた。
それは父の涼助であったり、祖父の秋三朗であったり、叔父の寒助も記憶にあった。
旬二はこどもの頃から、一人でいる人のそばに寄っていく性質だったようだ。
それは成人してからも変わっていない。
父の涼助は、よく川で鯉を釣ってきては池を彩った。
いつもはじめに池の変化に気付くのは祖父の秋三朗で、その様子で気付くのが旬二だった。
涼助は元々多趣味で、腰を痛める前は釣りの他に、草野球チームに入っていたし、ボーリング場の会員にもなって大会で優勝したことも少なくない。
そんな父の涼助の趣味の中で、祖父の秋三朗は釣りを一番好んでいたようだ。
秋三朗は確かに涼助の為に池を造ったのだと、旬二には思えてならない。
早期退職してからの父の涼助は、本を読んで過ごす時間が多くなった。仕事をしていたときには新聞以外の読み物をしている姿の父の記憶が、旬二には無かった。
父の涼助は四人兄弟の次男であったが、長男の正助は若くして亡くなっていたため、実質長男の役目を強いられることとなったらしい。
祖父の秋三朗が六十五歳で退職した翌年、 地元の高校を優秀な成績で卒業した叔父の寒助は、涼助の援助を得て大学へと進学した。
何とか見られる庭になっところで、旬二は物置きになっている縁側に取りかかった。
半世紀をとうに過ぎている母屋は、不要品もかなり溜まっている。昔の庭付きの家にはあっても不思議ではない、寧ろある方が様になる物置き小屋が、鎌田家には無かった。
昔の田舎の旅館を想わせる木造の三階建ての母屋の三階に、旬二は入った記憶がない。
二階から三階に続く階段は、急に傾斜がきつくなる。
こどもの頃入ることを禁じられていた三階は、当時、叔父の寒助が使っていた。
未開の地である三階に、こども心に好奇心だけで登ろうとして、四つ上がったところで引き返したような記憶が微かにある。
急な階段が恐くなって止めたのか、誰かが来そうな気配で止めたのかは憶えていない。
旬二が高校を卒業する頃には、特に誰かの部屋として三階は使っていなかったから、多分その頃から物置き部屋として使われていたのだろう。
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