縁側

フシ

第1話縁側の役目

 物置き部屋から出したばかりの炬燵に入って、随分前に買って読まずに積んだままになっていた単行本に、鎌田旬二はかかっていた。炬燵に電源は入っていない。


 仰向けの姿勢から横向きになったとき、窓越しに、外の暗さが目に入る。

 窓側の手前まで這って空を見上げると、雲が一面を覆っていた、いまにも雨が降りそうだ。

 本に視線を戻したときあまりの暗さに―よく読めたな、……と驚いた。


 洗濯物を干していたことを思い出して、慌てて一階におりる。

 開け放たれた縁側がもうすでに濡れている。

 飛沫のような雨が微かに居間の畳にとどいていた。

 しっかり濡れているサンダルを引っ掛けて、庭に干してある洗濯物を外し、居間の中央に放り投げる。何度かそれを繰り返す。


 濡れた足を、縁側の隅で干からびて縮んで

いた雑巾で拭いて上がると、秋驟雨になった。

 慌てて雨戸を引っ張り出すと、雨粒が激しく音を立てる。


 縁側についた足跡を雑巾で拭くと、遠い記憶で、お寺かお城の天守閣に上がったときのことだとばかり思い込んでいたことが甦る。


 いつから、その場所がお寺かお城でのことと思うようになったかは解らないが、こどもの頃の低い目線からの印象が、ごっちゃになったのだろう。


 ごっちゃになった記憶の中で、旬二はお寺ような建物を囲うように突き出た廊下に這うように寝そべっていた。

 清水の舞台ほど高くはないが、木製の廊下の、低い手摺の間から見える木の天辺は、かなりの高さを思わせる。

 軋む廊下が抜けそうな恐怖心を感じながらも、なぜかそこにいる幼い旬二が、ニコニコ笑っているところで記憶は消える。


 木製の軋む廊下に階段は見当たらない。

どうやって上がり、どうやって下ったのか

、なぜそこにいるのか、さっぱり解らない。



 旬二が、二階の自分の部屋に戻ると、半開きのカーテンの隙間から見える窓に、走る電車の窓にあたる雨粒のように、斜めに流れているのが見えた。風もかなりあるようだ。

 窓から見下ろす、庭越しの通りに人影はない。


 薄暗い部屋に、突然、鳩が鳴き出した。

 一時間置きに飛び出して鳴く鳩時計が午後

六時を知らせる。

―─ しまった、結びの一番を見るのを忘れた……。

 十四日目の結びの一番の横綱同士の結果しだいで、星の差二つで先頭に立つ、旬二の推す大関の優勝が決まっていたかもしれなかった。

 十四勝で優勝出来れば、来場所の横綱昇進は間違いない、これで来場所は四横綱となる

相撲ファンにしか解らない興奮を、旬二は確かに感じていた。


 祖父の秋三朗が生きていたときには、帰宅するとすぐに結果が解った。

『物言い』が付いた取り組みなどは詳細に

説明し、ときには祖母のハルを相手に再現して見せたりした。

 そんなとき秋三朗は縁側を土俵際に見立てて、うっちゃりなんかしてたから、ハルは

いくつも痣ができていた。


 しかし、いつも身体を痛めるのは秋三朗の方で、体重で二十キロ、身長も八センチ高い

ハルをうっちゃるのは流石に大変そうだった。


 ハルが秋三朗に口答えすることは一度も無

かったが、祖母は陰で祖父の写真を線香で焼きながら何か呟いていたことを、祖父以外の家族は皆知っていた。


 そんな秋三朗が亡くなったのは九年前、ハルも後を追うように三ヵ月後、ぽっくり逝った。

 二人合わせてかなりの額になった保険金は、父の弟にあたる、気まぐれな叔父の寒助

の選挙資金に消えた。

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