訳アリのオネェ冒険者は虐げられた孤独な少女を溺愛したい

@kuraitsuki

第1話 鎖の少女①



 響き渡る咆哮。逃げ惑う大人達。置いてけぼりにされた数人の奴隷と、ぐちゃぐちゃに壊れ、動かなくなってしまった馬車。


「逃げろ!」

「……ぇ」


 突然背後から聞こえたその声に驚き振り返れば、わたしと同じように両手両足を鎖で繋がれたおじさんが、険しい顔をしてこちらを見ていた。


 地べたに這いつくばい、馬車の下敷きになっているその人は、苦痛の表情を浮かべている。咄嗟に手を伸ばせば、彼は小さく首を振った。


「俺はもうムリだ。足の感覚がない……アイツらももう、戻っては来ないだろう。嬢ちゃんだけでも逃げてくれ」

「でも……」

「いいから逃げるんだ! あのバケモンが戻って来る前に!」


 半ば怒鳴るようにそう告げる彼に、胸がツキリと痛んだ。ぐったりと頭を下げたおじさんの表情が、すでに生きることを諦めているように見えたから。


 わたしに出来ることがほとんどないことは知っている。だとしても、この身を案じてくれた優しい人を死なせたくなかった。


「……ったすけ、呼んでくるから、まってて……!」


 ここに来るまでにいくつかの馬車とすれ違った。もしかしたら、まだここへ向かっている馬車があるかもしれない。おじさんはほんの少し目を大きく見開くと、やがて眩しいものを見るみたいにその目元を緩めて、もう一度わたしを見た。


「………………ああ、待ってるよ」


 穏やかな声にどこが不安を感じる。わたしなりの全速力で、獣と業者達が去って行った方向とは逆の坂道を駆け上った。


 逃走防止用の重い鎖のせいで大股では走れず、何度も何度も転んでしまった。その度に腕や足に傷が出来てしまったが、痛がってなんかいられない。


 いま、わたしが走るのをやめたら、助けを呼ばなかったら、ひとりの命が失われるかもしれないのだ。


 だから、どうか、誰か……──!


 背後でおじさんの叫び声が響いた。胸の辺りがスッと冷えて、怖くて堪らなくなる。振り返ることは出来なかった。


 そして不意に前方から聞こえてきた馬車の音に気付き、まだ望みはあると希望を抱く。冒険者が乗っていてくれたら良い。とても強い冒険者が乗っていてくれたなら、きっとおじさんを助けてくれる。


 気が焦って大股で駆け寄ろうとして、また転んでしまった。どしゃりと崩れた身体が、今度はうまく動かない。


「……たすけ……て……っ」


 目の前に現れた馬車に手を伸ばし、起きあがろうともがく。喉の方からゼェゼェという音が聞こえて、息をするのが苦しかった。


 助けて。お願い、助けて……!


 もう声も出しづらくなってきていて、意識が飛んでしまいそうだった。酷い眩暈がして、目の前がよく見えない。それでも必死に手を伸ばしていると、近くで馬車が止まった音が聞こえた。


「ちょっと、あなた、大丈夫!?」


 駆け寄ってきてくれた誰かがわたしの身体を抱き上げ、心配そうに声を掛けてくれたのを聞いて、この人ならとすがった。


「たす……け、て、おじさん……しんじゃう……」


 精一杯おじさんのいる方へ指をさして助けてくれと願えば、その人は息を呑むようにして顔を上げ、すぐにわたしを抱き抱えたまま馬車へと戻った。


 中には他にも人が居て、驚いたようにわたしを見ている。


「全速力で下って!この先に負傷者が居るわ!」

「了解!」


 鞭が馬を打つ音、馬車が走り出す音。それらを意識が遠のいていく中で聴いて、目の前は真っ暗に沈んだ。もう身体の何処にも力が入らなくて、おじさんが助かることだけを願い、重く冷たい意識を手放した。









【 オネェ冒険者は孤独な少女を護りたい 】








 依頼をこなした帰り道。山道を下る馬車に揺られ、今日の夕食は何にしようかと考えていた、そんな時だった。


 突然馬車が急停止し、御者が慌てた様子でこちらに声をかけた。


「すんません! 突然馬車の前に女の子が……!」


 そう言ってオロオロする業者に呆れ、窓から様子を伺えば、傷だらけの細く小さな足が馬の向こうに見え、ギョッとする。


「ちょっと! 倒れてるじゃない! 轢いたの!?」

「違います! この子が勝手に倒れたんでさぁ!」

「──っ、とにかく助けるわよ!」


 急いで馬車から飛び降りて、馬の前へと走る。窓からは足しか見えなかったが、横たわる少女の全貌を見るなり言葉を失った。


 細い両手と両足に不釣り合いな大きな鎖。全身傷だらけで、あちこち打撲ができて紫や青色に皮膚が変色してしまっている。


 乾いていない傷口からは血が伝い、裸足の足の裏は鋭い石で裂いてしまったのか、ぐちゃぐちゃになってしまっていた。


 そんな少女を急いで抱き上げれば、必死に手を伸ばし、坂の下の方へ指を指して「たすけて」と弱々しく声を漏らした。


「おじさん……しんじゃう……」


 懸命に喉を鳴らす少女に胸が締め付けられる。重い鎖を引き攣り、大人でも苦しいこの坂道を必死に登ってきたのだろう。


 呼吸は荒く、ゼェゼェという音が混じっている。もはや考える時間もない。少女を腕に抱えたまますぐさま馬車に戻り、御者に馬車を全速力で走らせた。


 少女の言うおじさんとやらがどうなっているのかはわからない。だが、この山道には人を襲う獣がいて、一般人が狙われたならひとたまりもないことだけは確かだ。


 少し下った先で大破した馬車が見つかった。フェンリルが数匹馬車側で何かに食らいついているのを見つけ、手遅れだったと知る。


 ならばせめて、遺体だけでも……──


 剣を構えフェンリル達を切り捨て、少女の言うおじさんとやらを見下せば、少女と同じ鎖を付けられていた。奴隷の売買は国に禁じられているというのに、いまだに違法取引で人身売買をする馬鹿が存在しているらしい。


「クズが……」


 違法取引ゆえに護衛を付けなかったのだろう。こういった無茶な強行をする行商人が獣に襲われたという事故はいくつもある。こうして目の当たりにしたのは久しぶりのことだったが、不愉快極まりないものだった。


 国境を越える際に使うものなのだろう。壊れた馬車と共に落ちていた目隠し布を拾い上げ、遺体に掛けてやる。身体のあちこちが欠けてしまった男を抱き上げ、その際にジャラリと鳴った鎖に眉を顰める。


 それは、少女にも同様に繋げられていたものだった。冷えた怒りが込みあがり、同時に虚しさも募っていく。


 奴隷廃止の法律が出来上がった後も、こうして秘密裏に奴隷は作られてしまう。どうしようもない借金を背負ってしまったものや、親のいない孤児、はたまた生活苦による子供の口減らし……──


 親が子を捨ててしまう国なのだ。


 獰猛で人を捕食する野獣が蔓延る森にぐるりと囲まれたトリス国は、他国に攻め込まれることは少ないが、他国へ行くこともまた難しい国であった。


 故に行商人は護衛を雇い国境を越えなくてはならず、国が物流のために他国へ飛空艇を飛ばそうにも、燃料の捻出や資源の買付料とで火の車経営が続き、国内の物価を上げざるを得ず、貧困家庭が増えると言う悪循環が起きている。


 力ある冒険者達や騎士団で森の獣達を狩り、獣の数を減らそうと試みてはいるものの、広すぎる森に手が足りていないのが現状だった。


「サーフィスさん、もう出しますぜ」


 御者が辺りを警戒し馬車に戻るように促す。他の獣が血の匂いを嗅ぎつけて来る前にここを出発しなくては、次はこちらが餌食になりかねなかった。


 馬車に乗り込み、少女が未だ意識を失ったままでいることに胸を撫で下ろす。こんな光景、見なくていい。


 必死に助けを求めた彼女に、この男の死は知らせても死に様なんか見せたくない。そのまま街まで馬車を走らせ男の遺体を聖殿へ連れて行き、早々に供養を任せその場を離れた。


「さて、この子はどうしましょうか」


 馬車を引いていた御者は聖殿を後にするなり、さっさと次の仕事へと行ってしまった。


 未だ意識の戻らない少女を横に抱きかかえ、医者に診せようと行きつけの町医者のところへ徒歩で向かう。が、道中やけに視線を感じることに気付く。


「あらやだ、鎖付けたまんまだったわ」


 人々の視線を辿れば少女の手足に向かっていて、更には続けて不審な目をこちらへ向けて来るじゃないか。


「これ、アタシが何かしたと思われてる?」


 ふぅ、とため息を吐いて腕に抱いている少女を見る。ふいに、弱々しく開かれたヘーゼル色の瞳と視線が合った。


「あら」

「…………」


 何かを言おうとして口は開くものの、彼女の喉からは何の音も出てこない。無理に喋らせるのは酷だろう。なにせ小さな体で、重い足枷を付けたまま地獄のような坂道を登っていたのだから。


「お嬢さん。今からお医者さんのところに行こうと思っているのだけど、このまま連れて行ってもいいかしら?」


 なるべく優しく声をかけてやれば、少女は無言のまま小さく頷いた。それに安堵して、できるだけ彼女の身体に負担がかからないように振動を抑えながら急いで町医者まで向かったのだった。



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