第5話 後悔しなかった道を選んでも、きっと後悔する

 オレは診察で生え際の毛先までも調べつくされ、直人が運転する助手席でぐったりと横になる。


 サンルーフから夜空を見上げても故郷のような美しい星空は見られず、代わりに電光がビルのガラスや金属に反射して煌々と街を照らしている。


 明けない夜はないというが、ここには沈む夜もない。


 正直なところ、オレには眩し過ぎて鬱陶しい。


 心も身体も重く沈んでいるのに、この夜は目も耳も頭も不思議と冴えていた。


「お前の夢ってこれで叶ったのか?」


「なにが?」


「要塞の仕組みを知った。外の世界を知った。あとは初恋の相手を探すくらいだろ」


「あと、直人みたいな人間になるって目標があるよ」


「お前には無理だ。そもそも、どうやって他人になるんだよ」


 それはそうだと思いつつ、最初にやることは親父からもらったヒントの答え合わせだ。


 一つの欲望が叶えば、また次の欲望が生まれる。だが、今回は自分の力で達成したものが一つもない。


 多分、親父はオレがこうなることを見越して手紙を寄越した気がする。


「暫く遊んで暮らせるだけの金はあるんだろ?」


「一様ね」


 直人がずっと住まわせてくれればの話だが、節約すれば半年は遊んで暮らせるはずだ。


「だったら都市観光でもしながら将来プランを考えておけ。いつまでも手助けしてくれると思うなよ」


「分かってるよ……。でもさ、直人は囚われの街に来たときオレたちが手を貸したわけじゃん」


「十二年分の手助けしろってか? お前、全然分かってねーだろ」


 直人は思い耽るように背もたれに脱力する。


「冗談だよ。でも、改めて考えると十歳の頃から実家離れてたってヤバいよね」


「厳密に言えば俺が囚われの街に来たのは十一年と三ヶ月前だ」


「音信不通で親はかなりショックを受けたんじゃない?」


「どうだろうな」


 直人はどうでもよさそうな顔でハンドルを切った。


「どうだろうって……会いに行ってないの?」


 直人のあっさりした態度に、オレは驚きを隠せなかった。


 彼の生い立ちなど知るよしもないが、十歳児で囚われの街に来たのだ。きっと親も心配してただろうし、一目会いたくなるものだと思っていた。


「ずっと調査書をまとめていたからな。それに、兄弟たちは外に出て帰ってこないのが普通なんだ」


「兄弟いたんだ」


「十五人。今はもっと増えてるはずだ」


「凄いお盛んだな」


「全くだよ」


 直人はクスリと笑ったが、話の内容はちっとも笑えるものじゃない。


「どんな飯が食いたい? 昔好きだった店を探してるんだがもうなくなったみたいだ」


「直人が食いたいのでいいよ」


「じゃあ寿司屋でも探してみるか」


「もしかして、都市のお寿司ってドラマみたいにバリエーション豊富だったりする?」


「要塞よりネタは多いはずだ。美味いかどうかは店次第だろうがな」


 直人は徐にスマホを取り出すと、端末に向かって「Mira、美味い寿司屋をナビして」と言った。


 無機質な声で『かしこまりました』と返事があり、車の液晶画面にナビゲーションが表示される。


「なにそれスゲェー」


「人工知能。無限に知識を蓄えていく機械だ」


「機械生命体ってやつ?」


「生命ではないな。人間らしい思考アイデンティティを持ったAIみたいなものだ」


「ようわからん」


「色々と質問してみるといい。人に嘘はつけないから」


「ふーん。直人は今いくつですか?」


『解答:二十二歳です』


「直人に彼女がいたことはありましたか?」


『解答:私が知る限りでは居ませんでした。ただ許嫁がおりました』


「へー、へぇ〜」


 オレはニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「あんまふざけた質問するなよ」


「じゃあ最後、直人はどうして頭がいいんですか?」


『解答:第十かっ……』


 直人はミラが答えている途中で端末を取り上げた。


「十回? ……なんか凄い英才教育でも受けたの?」


「そんなところだ」


 微妙な空気になりながらナビに従って進み、有料駐車場に車を停める。


 コンビニと居酒屋を通り過ぎた十字路に、宣伝が控えめなテナント店があった。


 チャリンチャリンとドアベルが鳴る。入り口近くにはアロワナの入った水槽があり、一列のカウンターが目に入る。


 本場の寿司が出てきそうないい雰囲気だ。


「——何名様だい?」


「二名です」


「すぐ後にご予約のお客様が来るんだ。端の方に座ってくれ」


 店主の無愛想な態度に驚きながらも案内された席に座る。


「メニューは壁に貼った板書きがあるから、どんどん頼んでくれ」


「じゃあ、全種類一貫ずつで」


「六十四貫あるけど、食べ切れるかい? アレルギーは?」


「問題ないです」


 直人がよく食べるのは知っていたが、オレも同じ数食べられるだろうか。でも、折角来たのだから全部試してみたい。


「……同じので」


「はいよ」


 五分と経たずに最初の寿司が握られ、次々下駄板に並べられていく。


 聞いたこともない魚が次々に出てきて、それぞれが独特な味付け。店主のこだわりが一貫一貫に表れている。


 魚介はこんなにも種類があるのかとつい感心させられた。


 三十貫ほど食べた頃、店のドアが開き、ドアベルの音が鳴り響く。


「——予約した。温泉川だ」


「はい。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 迷彩柄の分厚い服を着た男女四名が堂々した態度で席につく。


 温泉川と名乗った女性は直人の隣に荒々しく座ったが、直人は彼らに目もくれずパクパクと寿司を食べていた。


「寿司ネタ全種を四人分。あと一番高い酒も」


「六十四貫ありますけど、アレルギーは?」


「問題ない」


 ——どこかで見たことがある顔だ。


 美しい顔立ちで一目でスタイルが良いとわかる体型。袖口から見えた筋骨隆々な二の腕が、若干親父と似た雰囲気を感じさせた。


「……なんだい。人の顔をジロジロ見て、失礼じゃないか」


「あ、いえ、すみません」


 女性に睨みつけられ、オレはしまったと言わんばかりに頭を下げた。


 すると、その女性は「ん?」と首を傾げ、直人をじっと見つめる。


「——榮家の人間か?」


 女性は直人の家名を言い当てた。


「誰だよ」


 食事の邪魔をされた直人は初対面にも関わらず不愉快そうに睨みつけた。


「驚かせたなら悪かった。知り合いに雰囲気が似ていたものでね」


 直人は「はぁ」と小さく息をつき、不信感を隠さずにいた。


「そっちには一様世話になってるし、今その一人を世話してる立場だからさ。挨拶しておこうと思って」


 直人が更に怪訝そうな顔を浮かべるのを見て、女性は困った様子で連れの一人に顔を向ける。


「おい、お前の弟だろ。挨拶ぐらいしたらどうだ」


「めんどくさい」


「隊長命令だ」


 男はすごく嫌そうな顔で席から立ち上がり、こちらに近づいてきた。


「——壱真兄(かずにい)」


 直人は男を見て少し驚きながら呟いた。しかし、相手は誰だかわかっていないのか首を傾げた。


「……俺をそう呼ぶってことは本当に弟らしいな。でも、見覚えないし。いや……年齢的に直人か?」


 直人と顔立ちの似た男は顎に手を当てながら名前を言い当てた。


「久しぶり」


「生きていたんだな。調査報告は済ませたのか?」


「これからだよ」


「早くしろよ。出し抜かれるかもしれねーぞ」


 壱真という兄は直人の隣にいるオレを一瞥して席に戻った。


 短いやりとりで兄弟の微妙な距離感が伝わってくる。再会を喜ぶ様子は一切なく、赤の他人に話しかけたみたいだった。


 温泉川はやってしまったと言わんばかりにあんぐりと口を開けてアホ面を晒していた。


「……す、すまん。嫌な空気にしてしまった」


 温泉川が両手を合わせて謝る。彼女に非があるわけではないが、正直飯は不味くなった。


 直人は「別にいい」と言って再び寿司を食べ始める。


 店内は静寂に包まれ、店主が気を利かせたのか口を開いた。


「——お客さん。会話が弾むのは結構ですが、寿司を食べないと置くスペースがなくなりますよ」


 温泉川の下駄には溢れんばかりの寿司が乗せられ、彼女は苦笑いを浮かべながら三つまとめて口の中に放り込む。


 もぐもぐと音を立てながら彼女はまだなにかを言いたけにオレたちを見つめる。


 ゴクリと豪快な合図が鳴ると、女性は胸を叩いて深呼吸をしだした。


 忙しない人だ。


「こ、このまま会話が途切れるのは気分悪いし、折角だから自己紹介させてもらうよ。私の名前は温泉川彼花(ゆのかわかれか)。調査隊のリーダーをやっている」


「榮直人だ」


「オレは志楽野良です」


「〝しがらき〟って言うのか。良い苗字だな。それと同じ苗字の先輩が初恋の相手だったんだ」


「へぇー」


 唐突な告白に反応に困る。


「……えっと、どんな人なんですか?」


「頼りになって、怒ると怖いけど優しい人だよ。すぐに拳骨が飛んでくるけどね」


 それは優しいのか?  


 ふと、親父に拳骨を食らったときを思いだしたが、あの行為に優しさなんてない。死ぬほど痛かった。


「でも、寂しいときや悲しいときにはなにも言わずに頭をゴリゴリ撫でてくれるんだ。そのときの手が大きくてさ。えへへ、へへへへへ」


「へ、へぇー。今も好きなんですね」


 オレがそう言うと、温泉川は顔を曇らせて「まぁね」と頷いた。


「なにかあったんですか?」


「久しぶりに挨拶にいったら結婚していたんだ」


「えぇ……」


「彼には子供が居て、その子が三歳になった頃に奥さんは亡くなってたの。私は結局未練タラタラで会いにいったんだけど、彼の生活はとても苦しそうで、勇気を出して『私も一緒に支える』って告白したら、もう来るなって怒鳴られたんだ……」


 重いなぁ……聞いたのはオレだけどこんな話するなよ。もっと空気悪くなるわ。


「う……うぅ……」


 温泉川は鼻水をずびずびと吸い上げ、泣き出した。


「えぇ!? ちょっと大丈夫ですか」


 彼女の情緒の不安定さに驚きながら、オレは周囲に助けを求める視線を送った。


 だが、よくある事なのか全員に顔を逸らされた。


「こっちは〝二十年以上続いている〟初恋だぞ! 普通、ちょっと会わなかったくらいで結婚するか?」


 温泉川は気を荒立てながら机を叩く。


「そもそも、初恋をそこまで引きずりませんよ。あと疑問に思ったんですけど、会わなかった期間ってどのくらいですか?」


「三年」


「じゃあ結婚してもおかしくないですよ。寧ろ、三年も会えない用事ってなんですか」


「寝取られたあああああああああああ!!」


 この場合はNTRじゃなくてBBSだ。寧ろよく三年も会わないで好きでいられたな。


 思ったより酷い性格を除けば顔もルックスもかなり良い。積極的にアプローチすれば誰でも堕とせる気がしなくもない。


 ぶっちゃけ顔は好みだった。


 間に挟まれるように座る直人はただ呆れた様子で緑茶を啜る。


「——恋は盲目というが、お前ら互いに初恋が美化され過ぎやしないか? 冷静になって今話している相手の顔をよく見てみろよ」


 その言葉にオレと温泉川は顔を見合わせる。


 十年も経っていたから顔すら覚えていなかったが、確かこんな感じだったと過去の想い出と重なった。


「あの、もしかしてですけど……」


「私も同じこと思った。お前ら、囚われの街出身か?」


 あぁ、オレの初恋の相手だ。


 思わず頬を引き攣らせる。


「お前、浩也の息子だったのか……」


 温泉川は赤面した顔を両手で覆い隠した。


「あの、なんかすみません」


 好きな相手の子供なら早く気づけよ。オレもだけどさ。


「よく囚われの街から出れたな……あそこで生まれた人間は外に出られないものだと思っていたよ」


「あなたこそ、どうやってあの街を抜け出したんですか?」


「君たちと同じだよ。浩也に連れだしてもらったんだろ?」


「オレは直人に連れ出してもらいました」


「どうやって……あの装置外せたのか?」


「装着する前に細工をすれば外せるよ」


 目を丸くする温泉川に、直人はさらりと答えた。


「やっぱり一度装着したら外すのは無理か……君は一度もチップを付けずに、あの街で生活していたんだな」


「親父に守ってもらってたので」


「流石だ。——いや、だからか……」


 なにが『だから』なんだ?


 温泉川は突然どこか遠くを見つめだした。


「貴方は親父とどういう関係なんです? 後輩って言ってましたけど」


「ただの調査仲間で、私は彼と同じ大学に通っていたんだ」


「大学、ですか……親父が学問に取り組んでいる姿は想像できないですけど」


「ふふ、確かに。でも、学費免除者だったんだよ」


 親父はかなり優秀だったってことか。


「そういえば、親父が外の世界にしかないDVDとかを持って帰ってきていたんですけど。貴方が運んできてくれたんですか?」


「私じゃないね。多分、浩也の仲間だと思う」


「その人の名前って分かりますか?」


「えっと、村田孝宏。佐竹葵。四月一日蜻蛉。そして私だ。一緒に行動したことはないけど全員同じ目的で浩也の元に集ったんだ」


「なら、親父が囚われの街に入ったとき、一緒にいた人って誰ですか?」


「村田孝宏だな。半殺しにしたからよく覚えているよ。自分のせいだとか言ってたからな」


 温泉川は憤りを含んだ声色で答えた。


 なら罪悪感から物資を送っていた可能性があるな。


「彼がどこに住んでいるのかわかりますか?」


「どっかにメモしてあったはずだから探せば見つかると思う。連絡先、交換しとくか?」


「ありがとうございます」


 オレは温泉川の電話番号をメモした。


「なぁ、浩也は……私のことなにか言ってなかったか?」


 温泉川は頬を赤らめて尋ねてきた。


「特になにも言ってませんでしたよ」


「そ、そうか……」


 親父のことは諦めて新しい恋を見つけた方がいい気がする。


 先に食事を終えたオレたちは軽く挨拶して店を後にする。


 欲しい情報は思わぬ偶然で手に入ったものの名残惜しさが残る。それ以上に、新たな蟠りが胸の辺りにできていた。


「——直人、正直どう思う?」


 夜も深まり、人通りの少なくなった道路を車が走行する。


 街灯や建物の差し込んだ光がフロントガラスを流れるように過ぎていく。


 このまま目を閉じてしまいたい気分だった。


「なにがだ?」


「親父の話だよ」


「聞いていなかった」


「嘘つけ」


 オレは冗談混じりに直人を否定した。


【囚われの街から出られたんだな。あそこで生まれた人間は外に出られないものだと思っていたよ】


 温泉川の言葉が引っかかる。なぜ彼女はそう思ったのか……。


 都市ではどうなのか知らないが、『志楽』という苗字はかなり珍しいと思っていた。名前を聞いた段階で息子なんじゃないかと疑わないってことは、親父の息子が要塞から出られる筈がないと本気で思っていたってことだ。


 精密機器チップの装着は義務ではないが、街の外に一歩も出られず、要塞の庇護もなく、生活が圧倒的に不利になる。


 それでもその選択は自由だ。


 でも、温泉川の視点では親父の息子でさえ外に出られず、まるで強制されているように見えていた。


 嫌な可能性が頭にこびりつく。


 親父は外から来た人間で、囚われの街で母と出会ったと話していた。なら、母は生まれながらにしてあの街の住人だった可能性が高い。


 そもそも、オレが要塞から出ることを誰にも話してはいけなかったのか。その理由は説明されていない。


 親父のヒントに、オレに母親がいないのか書かれていたのか。


 思わず冷笑が漏れる。


 本当はずっと考えてきたことだ。でも、自分が関わってきた人たちはそんな人間ではないと言い聞かせてきた。


「——あまり過去に囚われるなよ。お前はもうあの場所に立っていない。これから此処で始めていくんじゃないか」


「……やっぱり直人は全部知っているんじゃないのか?」


「さぁな。でも、お前がずっと親父さんのことを気にしているのはわかる。父親を一人残してきたことが後ろめたいんだろ」


「そうだよ。オレは親父から受けたものを置き去りにしている」


 職人としての技術も、鍛えた身体も、恩も、愛情も、これから捨てていく。


「でも、あの人は強い」


「知ってる」


 温泉川が言った「流石だな」という言葉が心につき刺さる。


 本当にその通りだ。息子を一人で守り、育て、最後まで隠し続けてきた。全て抱え込んできたのだ。


「親父さん今はもう完全に独り身だから温泉川がそのうちアタックするかもな」


「それは……勘弁してほしいな」


 初恋の相手が義母になるなんて、さすがに耐えられそうもない。




 疲れて瞼を閉じると、母のことを思い出す。


 その最も古い記憶は親父と約束をしたあの日のことだ。


 土砂降りの中を帰宅した父から沢山の水が滴り落ちていて、どうして傘も刺さずに濡れて帰ってきたのか、物心ついたばかりのことで覚えていない。


 ただ親父の縋るように抱きしめてくる腕が、当時の幼い心を強く保たせた。


 親父の言葉は、今でも心の奥底に響いている。


 これは、——心的外傷トラウマなのだろう。


 愛する人を失くしていた彼に、オレは恩返しをしておくべきだった。

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