三つ子の魂が眠るまで

古賀裕人

第1話 晩飯代の稼ぎ方

 放課後の教室で、アンドリュー・レッドメインは魔法応用学の課題をノートに書き付けながら、余った脳みその半分を使って、新しくできたという定食屋のことばかり考えていた。


 聞くところによるとその定食屋は辺境伯領に本店があり、メニューには異国風の珍妙な料理ばかりが並ぶのだという。地元では既に行列の繁盛店で、平民も利用する大衆店であるにも関わらず、一部貴族の覚えも目出たく、今回の王都出店は待ってましたの大進行との触れ込みだ。


 辺境伯領と聞くと嫌なクラスメイトの顔が浮かぶが、とにかく自身の知識の中に異国風の珍妙な料理とやらが心当たらない以上、もう今は考えても無駄だろうという結論に至った。とにかく行ってみるしかない。無駄な思考に使っていた脳の機能を少しだけ呼び戻して、さっさと課題を片付けてしまうことにする。


 アンドリューは魔法応用学という分野に些かの興味も持てなかったが、かといって苦手教科でもなく、それ故にペンを走らせる手は止まらない。筋道を得るために新たな視座を取り込む必要もなく、正答へ至るための新鮮な閃きさえ求められない単純作業は少しだけ悲しい。そんな気もした。気がしただけかもしれない。正直分からない。


 兎にも角にも晩飯だ。

 できれば血液が増強するような熱心な肉料理が豊富にあると良いが、どうやら色々な種類の魚を様々な調理方法で食べさせるという話もあるし、訪れたその時の気分で決めるしかないだろう。

 風の噂では「臭いヌードル」というものも大変に人気らしいが、臭いヌードルというものが果たして美味であり得るだろうか。分からない。分からないからこそ、必ず食べたいと思う。


 アンドリュー・レッドメインという男は知的好奇心が特別に旺盛な青年という訳ではなかったが、既知のものに比べれば、まだ未知のものを好む傾向にあることは間違いなかった。それは未知のものに悦びが宿るからではなく、既知のものが退屈を運ぶからという理由からなのだが。


 とはいえ食事をするにも先立つもは必要で、実際のところアンドリューは現在、正真正銘の一文無しであった。


 いつだって一文無しだ、という訳ではもちろんない。昨晩まではそれなりの硬貨を所持していたはずなのだが、夜が明ける頃には綺麗さっぱりと無くなっていたのだ。気味が悪い。きっと不思議な夜というものが、この世界にはあるのだ。


 パリッと書き上げたノートを筆記用具もろとも革の鞄にぎゅむぎゅむと詰め込んで席を立ち、教室を出る前に指をパチリと鳴らすと、全ての机と椅子が従順な新学期のようにピシッと整列した。そんなことをする必要はなかったが、そんなことがしたくなった。


 廊下を進み、階段を降りて、左手にグラウンドを見ながら校門へ向かう。グラウンドではいくつかのクラブが夕方の活動をしていて、その中にはいくつか見知った顔もあった。熱心なことだ。あるいは学業よりも。

 彼らは誰よりも学生の権利を行使し尽くしているが故に、やや輝いて見えなくもない。自分とは少しだけ生き方が違う、と思わなくもない。ただ、あまり意味のない感想だと思ったので、すぐに記憶から消した。


 校門を出て右手の坂をしばらく上ると、貴族生徒用の寮がある。一般寮よりも造りが豪奢でメイドや世話係の部屋も用意されているのが特徴といえば特徴だ。そして、すっかり住み慣れた我が家でもある。


 アンドリューは自身の専属メイドであるセーラに見つからないように裏口からそっと寮内に入り、クリスティアン・ファースの部屋の扉をトトントントントトンと6回ノックすれば、数秒後には見慣れた顔が音も立てずに扉を開けてくれるという寸法である。いつもそうだし、今日もそうだ。


「金なら貸さないぞ」


 クリスティアン・ファースは眉間に皺を寄せながら開口一番そう言って、そのひどく整った顔を曇らせる。

 しかしアンドリューは丸っきり心外だという顔で「貸してくれなんて言ってない」と返し、革鞄からノートを取り出して顔の良い友人に手渡す。


「君の分の課題をやっておいた。銀貨5枚で良い」


 クリスティアンは手渡されたノートをパラパラと捲り、サッと内容を確認すると、一瞬ギョッと目を見開いてから大きくため息をついて、上着のポケットから金貨を1枚取り出し、アンドリューに投げて寄越した。


「いや、こんなには必要ないが」

「いいや、安いくらいだね」


 クリスティアンは嘘みたいな爽やかさで微笑みながらアンドリューの肩をパンパンと叩き、「あまり遅くなるなよ。セーラが心配する」とだけ言って、さっさと部屋へ戻って行った。全身がキザな奴である。だが、物の価値というものを分かっている。


 思惑通りに晩飯代をせしめたアンドリューが、入ってきたのと同じ裏口のドアから音もなく出ていくと、その影は日の暮れゆく街へとあっという間に消えていった。

 煙が空に溶けるように。

 あるいは、ポイズントードが池に飛び込むように。

 臭いヌードルが待っている街へと。


【つづく】

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