国会炎上!? 天然秘書ひまり、今日もやらかします!

志乃原七海

第1話。秘書ひまり、今日もズレてる!



タイトル: 秘書ひまり、今日もズレてる! 愛と笑いの国会奮闘記(コンプリート・エディション)


序章: いつもの議員事務所


永田町の一角に居を構える、代議士・大河内源一郎の議員事務所。そこは、積み上げられた書類の山と、格式高い調度品が同居する、独特の空気が流れる空間だ。主である大河内は、政界の荒波を幾度も乗り越えてきたベテラン議員。保守的で頑固な一面もあるが、どこか憎めない愛嬌も持ち合わせている。最近の悩みの種は、ハイテク機器への疎さと、そして何より、彼の新しい秘書、小鳥遊ひまりの存在だった。


ひまりは、太陽のように明るく元気な女性だが、いささか純粋すぎて、時に物事の捉え方が斜め上を行く、いわゆる「天然」と呼ばれるタイプだ。大河内への尊敬の念は人一倍強く、全身全霊でサポートしようと日々奮闘しているのだが、その熱意が空回りすることも少なくない。


そんな二人を冷静沈着に見守り、時に絶妙なフォローを入れるのが、ベテラン事務員の桜井健太だ。彼は、この混沌とした事務所のいわばバランサーであり、ひまりにとっては頼れる先輩でもある。今日もまた、この事務所では、予測不能な日常が繰り広げられようとしていた。


第一章: 目覚まし時計の地獄変


「…というわけで、先生。明日の予算委員会は午前9時開始。絶対に遅刻は許されません。総理も出席されますので」

事務所のチーフ事務員である桜井が、淡々とした口調でスケジュールを確認する。ソファで悠然と新聞を広げていた大河内は、「うむ」と頷きつつも、わずかに憂いを帯びた表情を見せた。

「わかっておる。…しかし桜井君、わしは昔から朝が弱くてな…」

その言葉を聞いた瞬間、デスクで書類整理をしていたひまりが、ばね仕掛けのように勢いよく立ち上がった。

「先生!明日の朝は、この小鳥遊ひまりに、全身全霊でお任せください!先生を1秒たりとも遅刻させません!この国の未来のために!」

そのあまりの意気込みに、大河内は少し面食らったように「お、おう…頼もしい限りだが、ほどほどにな、ひまり君」と応えるのが精一杯だった。

桜井は、やれやれといった表情を隠しもせず、ひまりに釘を刺す。

「ひまりさん、先生を叩き起こすのは最終手段にしてくださいね。あと、先生の安眠妨害で訴えられない程度に…」

「はいっ!桜井先輩!良識の範囲内で、全力で先生をサポートします!」

ひまりは力強く頷くと、その夜、決意を胸に秘め、大河内の安眠を守りつつ確実に起こすための、壮大な計画を実行に移したのだった。


深夜、ひまりは音を立てないよう慎重に大河内の寝室へ忍び込んだ。そして、枕元、サイドテーブル、窓際、果ては床の上まで、ありとあらゆる場所に次々と目覚まし時計を設置していく。デジタル時計、レトロなベル式、大音量が売りのものから、小鳥のさえずりで起こすという癒やし系まで、その数、実に10個。デザインも音量も、まさに多種多様なオーケストラだ。

「これでよし…全方位、死角なし!」ひまりは小声で呟き、さらに自分のスマートフォンを取り出すと、アラームを5分おきにセットし、バイブレーション機能もオンにした。「ふふふ、完璧です!」

満足げに頷き、そっと部屋を後にするひまり。彼女の頭の中では、明朝、アラームの大合唱と共に爽やかに目覚める先生の姿が描かれていた。


しかし、翌朝。

けたたましいアラーム音が事務所中に鳴り響いていた。ただし、それはひまり自身のスマホのアラームだった。飛び起きたひまりが時計を見ると、時刻はすでに9時15分を指している。予算委員会は、とっくに始まっている時間だ。

「ぎゃあああ!9時15分!?うそ!私の完璧なアラームシステムが!?」

血の気が引くのを感じながら、ひまりは寝室のドアへと走った。先生の部屋からは、奇妙なほど物音がしない。嫌な予感を胸に、ひまりは勢いよくドアを開けた。


そこに広がっていたのは、まるで激しい戦闘があったかのような光景だった。昨日ひまりが設置した10個の目覚まし時計は、見るも無残に破壊され、プラスチックの破片や歯車が床に散らばっている。そして、その惨状の中心で、部屋の主である大河内は、まるで嵐の後の静けさのように、スヤスヤと安らかな寝息を立てていたのだ。大鼾と共に。

「せ、先生ーーーっ!起きてくださいましーーーっ!委員会が!国が!大変なことにーーー!」

ひまりは半狂乱で先生の肩を揺さぶるが、巨岩のようにびくともしない。涙が溢れそうになる中、ひまりは最後の手段に出ることを決意した。深く息を吸い込み、ありったけの声で叫ぶ。

「先生!今週の『愛の不時着』、特別再放送です!しかも未公開シーン付き!」

その言葉は、魔法の呪文のように効力を発揮した。大河内は文字通り飛び起き、目を爛々と輝かせた。

「なにぃ!?未公開シーンだと!?どこのチャンネルだ!録画は!?」

「先生!おはようございます!」ひまりは安堵と焦りが入り混じった複雑な表情で叫び返した。「それより委員会!大遅刻です!」

「な、何ぃ!?」ようやく現実に戻った大河内は、壁の時計を見て顔色を変えた。「もうこんな時間か!ひまり君!なぜ起こしてくれんかったんだ!君の責任だぞ!」

「だって先生…!」ひまりは床に散らばった時計の残骸を指さした。「私の愛と努力の結晶たちが、こんな無残な姿に…!先生が、きっと夜中に無意識のうちに…!」

言い争いが始まりかけたその時、冷静な表情の桜井が、淹れたてのコーヒーを手に現れた。

「先生、おはようございます。タクシーは下で待機しております。…ああ、やはりこうなりましたか」桜井は床の惨状を一瞥し、ため息をつく。「ひまりさん、被害総額のリスト、後で作成しておいてください。経費で落ちるか確認します」

「桜井君まで…」大河内はばつが悪そうだ。

「ささ、先生、着替えはこちらに。ネクタイはこれでよろしいですか?」桜井は手際よく準備を進め、半ば強引に大河内を廊下へと促す。「ひまりさん、先生のカバンと資料の最終チェックを」

「は、はい!桜井先輩!」ひまりは涙をこらえて頷いた。

桜井は大河内をタクシーに押し込むと、乗り込む寸前の先生に小声で囁いた。

「先生、目覚まし時計代、ひまりさんのお給料から天引きするのは、現代ではパワハラにあたりますのでお気をつけください」

「う、うむ…」大河内はぐうの音も出ない。

タクシーが慌ただしく走り去るのを見送り、ひまりはその場にへたり込んだ。

「私…またやっちゃいました…先生に迷惑ばかり…うぅ…」

「大丈夫」桜井がひまりの肩を軽く叩いた。「先生は、ひまりさんの『熱意』はちゃんと分かってますよ。『方法』はともかくね。さ、事務所を片付けて、次の準備をしましょう。次は、後援会からのアレが届きますから」

「はいっ!ありがとうございます!」少し元気を取り戻したひまりだったが、桜井の最後の言葉に首を傾げた。「…アレ?」


第二章: ギョギョッ!愛と勇気の魚料理(時々、缶詰)


桜井の予告通り、その日の午後、事務所には大量の発泡スチロール箱が運び込まれた。送り主は、大河内の地元、海に近い後援会からだ。箱を開けると、氷に埋もれた新鮮な魚介類がぎっしりと詰まっていた。

「わー!すごい!」ひまりは目を輝かせた。「先生、地元の漁港から、海の幸がどっさり届きましたよ!今夜は豪華海鮮パーティーですね!」

しかし、大河内の表情はなぜか晴れない。箱の中を覗き込み、困ったように顔をしかめた。

「うーん…魚か…。ありがたいんだが…実は、わしは魚がどうも苦手でな」

「ええっ!?初耳です!こんなに美味しそうなのに!」ひまりは驚きの声を上げた。

「子供の頃にな、アジの骨が喉に刺さって以来、トラウマなのだ。食卓に魚が出ると、あの小骨を探す手間と恐怖を思い出してしまって、どうも箸が進まん…」

大河内の意外な告白に、ひまりの瞳に使命の炎が宿った。

「先生!お任せください!このひまりが、先生の魚嫌いを克服してみせます!骨の心配なんて一切無用!絶対に美味しいって言わせてみせますから!」

その熱意に、桜井が冷静な、しかしどこか面白そうな視線を向けた。

「ほう、ひまりさん、腕によりをかけますか。…まあ、念のため、私の方でも『保険』を用意しておきましょうか。先生には内緒で」

「保険なんて必要ありません!私の愛と工夫で、先生を魚好きにしてみせます!」

そう宣言すると、ひまりはエプロンを締め、事務所の小さな給湯スペースへと向かった。大量のレシピ本とタブレット端末を広げ、魚嫌いの人でも食べられる絶品料理の開発に没頭し始めたのだった。


その夜、事務所の応接スペースに、ひまり渾身の料理が並べられた。テーブルの中央には、こんがりとキツネ色に揚がった、見るからに美味しそうなコロッケが大皿に盛られている。

「先生、お待たせいたしました!」ひまりは自信満々に胸を張った。「名付けて『ひまりスペシャル!骨なんか怖くないぞクリームコロッケ』です!」

「ほう…コロッケか」大河内は、恐る恐るといった様子でコロッケを眺める。「魚の気配は…あまりしないな。どれ、一口」

フォークでコロッケを割ると、中からはとろりとした白いクリームが溢れ出した。大河内はそれを慎重に口に運ぶ。そして、次の瞬間、驚きに目を見開いた。

「…!!こ、これは…うまい!実にクリーミーで、魚特有の生臭さが全くない!それでいて、ほのかに魚介の風味が感じられる…!やるじゃないか、ひまり君!」

「本当ですか!?やったー!」ひまりは満面の笑みで飛び上がらんばかりに喜んだ。

「しかし、一体何の魚を使ったんだ?白身魚か?丁寧にすり身にしたのか?」大河内は感心したように尋ねる。

「えへへ…」ひまりは少し照れたように、しかし誇らしげに答えた。「実はこれ、先生もよくご存知の…サンマの蒲焼缶詰です!」

「…ぶっ!」大河内は飲んでいたお茶を危うく吹き出しそうになった。「…さ、サンマの缶詰だと!?あの、甘辛い蒲焼の!?」

「はい!」ひまりはキラキラした目で続ける。「缶詰なら、最初から骨はきれいに処理されてますし、味もしっかりついてて、クリームとの相性も抜群かと!下味も不要ですし!我ながら天才的なひらめきです!」

「ひまり君…」大河内は呆れたような、がっくりしたような複雑な表情を浮かべた。「わしはだな、送っていただいた新鮮な地魚をだな…その、骨がない状態で、素材の味を楽しみたかったのだ…。まさか、食卓にサンマの缶詰で作ったコロッケが出てくるとは、夢にも思わなんだ…」

「えー!でも、美味しいって言ってくれたじゃないですかー!」ひまりは不満げに唇を尖らせる。

その時、絶妙なタイミングで桜井が姿を現した。手には、透き通るような白身や鮮やかな赤身が美しく盛り付けられた、立派な舟盛りを持っている。

「先生、お口直しにこちらはいかがでしょう?」桜井は穏やかな笑みを浮かべて舟盛りをテーブルに置いた。「懇意にしている料理人に頼んで、送られてきたお魚の中から、骨を一本残らず丁寧に取り除いてもらった、獲れたての地魚のお造りです。ひまりさんの愛情たっぷりなコロッケも素晴らしいですが、せっかくの後援会からの海の幸も楽しまないと、もったいないですからね」

「おお!」大河内の顔がぱっと輝いた。「桜井君、気が利くじゃないか!これだよ、これ!わしが食べたかったのは、こういうものなのだ!」

大河内は、新鮮な刺身を嬉しそうに堪能し始めた。

「…先生が喜んでくれてよかったです」ひまりは少ししょんぼりしながらも、安堵の表情を見せた。そして、桜井に向き直る。「桜井先輩、ありがとうございます…。やっぱり先輩には敵いません…」

「いいんですよ、ひまりさん」桜井は微笑んだ。「その斬新な発想力は、ある意味、誰にも真似できませんから。…ところで先生、そのサンマコロッケ、意外とビールに合いますよ」

「…む?」半信半疑でコロッケを口にし、ビールを一口飲んだ大河内は、少し驚いたように目を見開いた。「…おお、確かに…。これはこれで、悪くないな…」

結局その夜は、新鮮な刺身と、ひまり特製のサンマ缶コロッケが、仲良く大河内の胃袋に収まることとなったのだった。


第三章: 華氏と摂氏と韓流と。〜仁義なき温度戦争〜


国会での質疑応答を終え、事務所に戻った大河内は、いつものようにソファに深く腰掛け、タブレット端末で韓流ドラマの鑑賞を始めた。彼のささやかな楽しみの時間だ。一方、ひまりはデスクでパソコンに向かい、黙々と事務作業をこなしている。

しばらくして、大河内がブルッと身震いした。

「…うーん、ひまり君。なんだかこの部屋、寒くないかね?どうも体が冷えるんだよ」

「先生、暖房なら、ちゃんと入れてありますよ」ひまりは画面から視線を外さずに答えた。「環境に配慮して、エコ設定の22℃です」

「…なに?22℃だと?」大河内は訝しげにリモコンを手に取り、液晶表示を確認した。「ひまり君、これは本当に暖房なのか?冷房の設定と間違えているのではないのかね?」

「はい?」ひまりはきょとんとして大河内を見た。「ですから、暖房の22℃設定ですけど…。何か問題でも?」

「馬鹿を言え!」大河内の声のトーンが上がる。「暖房で22℃なんて聞いたことがないわ!暖房というのはな、部屋をガンガンに熱くしてこそ暖房だろう!28℃とか、なんなら30℃とか!22℃なんて、外の気温と大して変わらん!これは実質、冷房だ!そうだろう!」

「いえ、先生」ひまりは困惑しながらも説明しようと試みる。「一般的に、冬場の室内の推奨設定温度は20℃から22℃だとされていますし…それに、これ以上温度を上げると、お肌にもよくない乾燥を招きますし…」

「一般論などどうでもいい!」大河内は声を荒げた。「わしが!寒いと!言ってるんだ!なぜ暖房の温度をそんな、凍えるような低さに設定するんだ!君は、わしを風邪でも引かせようという魂胆か!さては、わしが楽しみにしている韓流タイムを邪魔したいんだな!」

「そ、そんなつもりは…!ありません!」ひまりは必死に否定する。「でも、数字の上ではちゃんと暖房モードですし…」小声で「もしかして先生、温度計の仕組み自体を、あまりご存じない…?」と呟いたのが、運悪く大河内の耳に入ってしまった。

「なんだと!?この、年の功もわきまえん若造が!わしを誰だと思ってる!いいから、さっさと温度を上げろ!これで体調を崩したら、君の責任だからな!」

ひまりは、今にも泣き出しそうな顔で、恐る恐るリモコンに手を伸ばした。その時、まるで計ったかのようなタイミングで、桜井が事務所のドアを開けて入ってきた。

「おや、先生、ひまりさん。何やら室温以上にヒートアップしているご様子ですが、何かありましたか?」

「桜井君、聞いてくれ!」大河内は、まるで救世主が現れたかのように桜井に訴えかけた。「ひまり君がな、暖房を22℃という、冷房と見紛うような温度設定にして、このわしを凍えさせようとしてるんだ!」

「ち、違いますぅ!」ひまりは涙目で反論する。

桜井は状況を即座に把握すると、冷静にリモコンを手に取った。

「なるほど、22℃ですね。…先生、失礼ですが、もしかして以前、アメリカなどで生活されたご経験がおありですか?あちらは温度表示が華氏ですから、暖房でも70度(摂氏にすると約21度)くらいが一般的ですが…」

「…いや」大河内は一瞬考え込んだが、首を横に振った。「わしは生まれも育ちも、純国産だが…」

「左様でございますか」桜井はにこやかに頷いた。「では、単純に先生のお体の感覚として、現在の22℃では少し肌寒い、ということですね。承知いたしました」彼はこともなげにリモコンを操作する。「では、先生のご希望と、ひまりさんのエコ意識の間を取りまして、まずは25℃に設定してみましょう。これでしばらく様子を見ていただけますでしょうか?」

「…う、うむ」大河内は、先程までの剣幕が嘘のように、あっさりと頷いた。「まあ、25℃なら、よかろう」

リモコンが操作されると、エアコンからふわりと暖かい風が流れ出し、部屋の空気が穏やかに温まっていくのを感じた。

「さ、桜井先輩…!」ひまりは感心して目を見張った。「すごい…!あんなに頑なだった先生が、一瞬で納得しました…!」

「ひまりさん」桜井はひまりにだけ聞こえるように耳打ちした。「先生のようなタイプの方には、理屈で説得するよりも、『体感』と『納得感』を提供することが大事なんですよ。あと、温度設定で揉めたくないなら、黙って少しずつ温度を上げていくのが、波風を立てないコツです」

「は、はいっ!勉強になります!」ひまりは深く頷き、桜井の言葉を心に刻んだ。

快適な温度になった部屋で、大河内は再びご機嫌な様子で、韓流ドラマの甘美な世界へと没入していく。その傍らで、ひまりは空調システムの奥深さを改めて学んだのだった。


第四章: 消えたバッジと、確信犯?


ある日の朝。大河内は、いつものように国会へ向かう準備を進めていた。ひまりが甲斐甲斐しくネクタイを締め直し、ジャケットに袖を通す手伝いをする。

「先生、今日もビシッと決まってます!日本の未来を、どうぞよろしくお願いいたします!」

「うむ」大河内は満足げに頷き、スーツの襟元に手をやった。議員の身分を証明する、大切な議員バッジを留めようとした、その時だった。

「…あれ?…ないな。ひまり君!」

「はい、なんでしょうか?」

「議員バッジだ!」大河内の声に焦りの色が混じる。「議員バッジが見当たらん!どこへやった!?」

「ええええっ!?」ひまりの顔からサッと血の気が引いた。「ぎ、議員バッジ!?…ま、またですか!?この間の、洗濯機に回してしまった悪夢が再び!?」

「いや、前回は確かに君のミスだったが…」大河内は必死に記憶を辿る。「今回は違うはずだ!確かに昨日、外してこのデスクの上に置いたはずなんだが…!」

「だ、大丈夫です先生!」ひまりはパニックになりながらも、決意を込めて叫んだ。「私が、この事務所をひっくり返してでも、必ずや見つけ出します!先生の魂の証である、議員バッジを!」

宣言通り、ひまりは猛烈な勢いで事務所内を捜索し始めた。デスクの上をかき分け、引き出しを片っ端から開け、ソファのクッションをひっくり返し、果てはゴミ箱の中まで覗き込む。書類が宙を舞い、ファイルが床に散らばり、事務所はあっという間に混沌とした状態になった。

「ない!ない!どこにもありません!」半泣き状態でひまりは訴える。「先生、まさか昨日の夜、懇親会の後、酔っ払ってどこかに落としてきたとか…?」

「失敬な!」大河内はむっとした。「わしはそこまで耄碌しておらんわ!」

「じゃあ、もしかして、今日も…スーツのポケットに入れたままとか…?」ひまりは最後の望みを託して尋ねた。

「いや」大河内は自分のポケットを念入りに探りながら首を振る。「今日は朝、着る前にちゃんと確認したから、それはないはずだ…」

ひまりは、いよいよ途方に暮れそうになった。捜索は完全に行き詰まったかのように思われた。その時、ちょうど出勤してきた桜井が、事務所の惨状と二人の様子を見て、状況を即座に察した。

「おはようございます。…先生、またバッジをお探しですか?」

「桜井君、頼む、一緒に探してくれ!」大河内は藁にもすがる思いで桜井に助けを求めた。

しかし、桜井は慌てる様子もなく、クスリと小さく笑みを漏らした。

「先生」

「ん?なんだね?」

桜井は、大河内の胸元、スーツの襟に設けられたフラワーホールを、ゆっくりと指さした。

「…こちらで、朝日を浴びて燦然と輝いているものは、一体何でございましょうか?」

桜井の指さす先を、大河内とひまりは同時に見つめた。そこには――当たり前のように、しかし確かな存在感を放って――金色の議員バッジが、しっかりと留められていた。

「…あ」大河内は、あっけにとられたように声を漏らした。

「…え?」ひまりは、力が抜けたようにその場にへたり込みそうになった。「…ええっ!?先生、ちゃんと、最初から付けてたんですか!?」

「ああ…」大河内は、バッジに触れながら、照れたように笑った。「そうだった、そうだった。うっかり、すっかり忘れていたよ」

「もう…先生ったら!」ひまりは、安堵と脱力が入り混じった表情で、ぷうっと頬を膨らませた。

「ひまりさん」桜井が、いたずらっぽい笑みを浮かべてひまりに言った。「先生は、きっと、ひまりさんを少しからかってみたかっただけですよ。ねえ、先生?」

「こ、こら、桜井君!」大河内は慌てて咳払いをする。「…まあ、その、ひまり君、いつもすまんな。ありがとうな」

そう言って、大河内はひまりの頭を、少し照れくさそうにポンと撫でた。ひまりは、驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな、はにかんだ笑顔を見せた。


終章: 日々は続く


その夜、ひまりは自分の日記帳にペンを走らせた。

『今日も先生は、ちょっとドジで、おっちょこちょいだったけど、やっぱり私の大好きな、尊敬する先生です!桜井先輩のフォローは神業だった。私ももっと頑張らなきゃ!』


こうして、大河内源一郎と、秘書ひまりの、愛と笑い(そして少しのドタバタ)に満ちた国会奮闘記は、今日もまた、新たな、そしておそらくは相変わらずな一日を終える。そして、その傍らには常に、冷静沈着な桜井健太が、二人の背中を優しく、そして時々面白そうに見守っているのだった。この事務所の日常は、きっと明日も、明後日も、同じように続いていくのだろう。大河内が韓流ドラマを見ている限り、そして、ひまりがズレている限り。

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