第三章:『四季が踊る歪んだ楽園』

 屋敷の庭には四季が同時に存在し、東の庭では桜が舞い、西の庭では紅葉が燃え、北の庭では雪が静かに降り、南の庭では常夏の花が咲いていた。しかし、その美しさの奥には、時の流れに抗う不自然さ、ある種の狂気が潜んでいた。


 東の庭の桜は、いつしか千年の時を経ても散ることなく、その花びらは血のように濃くなっていった。西の庭の紅葉は、焼け焦げたような色をしており、葉を踏むと灰のように崩れた。北の庭の雪は決して溶けることなく、その中には凍りついた生き物の姿が透けて見えることもあった。南の庭の花々は香りを失い、触れると硝子のように砕けた。


「この庭は私たちの心を映している」オスカーはある日、リリアに言った。「美しく見えるが、その実、歪んだ永遠の姿だ」


 リリアはそれを聞いて、静かに東の庭の桜を見つめた。花びらは風に揺れていたが、決して散らなかった。


「人間だった頃、私は桜が散るのを見て泣いたことがある」彼女は遠い目をして言った。「今は……散らないことの方が悲しい」


 オスカーは彼女の隣に立ち、自分の手を見つめた。精巧な関節と人工の皮膚。人間のようでありながら、明らかに違うもの。


「永遠に変わらないということは、生きていないということなのだろうか?」彼は問いかけた。


 リリアは答えなかった。二人は沈黙の中、庭を見つめ続けた。


 庭の中央には、常に水が湧き出る泉があった。その水は、飲む者の最も深い記憶を呼び覚ますと言われていた。リリアはその水を恐れ、オスカーはその水を求め、ルナはその水を眺めるだけだった。


 ある日、オスカーは泉の前に座り、その水面に映る自分の姿を見つめていた。彼の目には、何か決意のようなものが宿っていた。


「飲むつもりなの?」リリアが彼の背後に立ち、尋ねた。


 オスカーは振り返らなかった。


「僕には記憶がほとんどない。ただこの屋敷にいた記憶だけだ。それが本当に僕の全てなのか知りたい」


「記憶を取り戻したところで、何も変わらないわよ」リリアは言った。彼女の声には警告と恐れが混じっていた。「私たちはこの屋敷に囚われている。過去を知ることは、新たな牢獄を自分の中に作るだけ」


 オスカーはようやく彼女を見た。


「それでも、知りたい。僕が何のために作られたのか。誰が僕を作ったのか。なぜ僕はここにいるのか」


 彼は泉に手を伸ばし、水をすくおうとした。しかし、その時、ルナが突然現れ、オスカーの手と水の間に割り込んだ。彼女の宝石の目は警告のように輝いていた。


「ルナ……」オスカーは驚いて手を引っ込めた。


 ルナは珍しく声を発した。その声は風の囁きのようで、しかし明確に言葉として聞こえた。


「時が来ていない」


 オスカーとリリアは驚いて顔を見合わせた。ルナがこれほど明確に言葉を発するのは稀だった。


「時? どんな時?」オスカーは尋ねた。


 ルナは再び沈黙し、ただ泉を見つめるだけだった。彼女の目に映る風景は、二人には見えなかった。


 その出来事の後、オスカーは泉から遠ざかるようになった。しかし、彼の中には依然として強い好奇心が残っていた。彼は屋敷の図書室に籠り、自分の正体について手がかりとなるような本を探し続けた。


 リリアはしばしば東の庭で過ごした。彼女は桜の木の下に座り、空を見上げた。空は常に同じ色で、雲の形も変わらなかった。彼女は時折、自分の冷たい指で桜の幹に触れ、その瞬間だけ樹皮が青く凍るのを見つめた。


「私も凍りついている」彼女は木に語りかけた。「心も、時間も、全てが」


 ルナは四つの庭を行き来し、時折、何かを探すように地面の匂いを嗅いだ。彼女の体から漏れる音楽は、より複雑な調べへと変わっていた。それは期待と不安が入り混じったような音色だった。


 アリアは北の庭で、凍った池の上に立っていた。彼の白い手袋は、凍った水面の上を滑るように動いた。


「変化が始まっています」セレステが彼の隣に現れて言った。「旅人の星が出たあの夜から」


「はい」アリアは答えた。「しかし、それが良いことなのかどうか」


「変化そのものに良し悪しはありません」セレステは言った。「あるのはただ、変化とその結果だけ」


 アリアは凍った池を見下ろした。氷の下には、かつて泳いでいた魚の姿が透けて見えた。永遠に動きを止められた生命。


「永遠の氷の中で凍りついた魚と、常に燃え続ける炎の中の蝶。どちらが幸せなのでしょうね」彼は呟いた。


 セレステは空を見上げた。旅人の星は消えていたが、彼女の目にはまだその光が見えているようだった。


「記憶というのは、時に優しく、時に残酷だ」アリアはある日、泉の前に立ち、その水面に映る自分の姿を見つめながら言った。「しかし、記憶を失った永遠など、空虚な殻に過ぎない」


 泉の水面には、時折、この世のものとは思えない風景が映り、それを長く見つめていると、心が引き込まれるような感覚に襲われた。幾人もの人々がその誘惑に負け、泉の水に手を伸ばし、そして姿を消したと言われていた。


 セレステとアリアだけが、泉の真の性質を知っているようだった。しかし、彼らはそれを決して語らなかった。ただ、新月の夜に泉の周りに花を浮かべる儀式を行うだけだった。その花々は朝になると消え、代わりに泉はより澄んだ水を湧き出すようになった。


 庭の四季は、かつては完全に分かれていたが、最近では少しずつ境界が曖昧になってきていた。東の庭の桜の下に、西の庭の紅葉が一枚落ちていることがあった。北の庭の雪が、南の庭の端まで降ることがあった。


 それは小さな変化だったが、永遠の中での変化は、それだけで大きな意味を持っていた。

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