#2 一緒に!?いや、聞いてないけど!?

(……なんの音?)


 朝――まだ夢の中だった米修は、リビングから聞こえる小さな声に目を覚ました。

 寝ぼけながら起き上がり、簡単に顔を洗って身支度を整えると、扉を開けてリビングを覗いた。


 そこには、橘小可と見知らぬ夫婦が話し込んでいた。


「じゃあ、それで話はまとまったってことで?」

 話しているのは橘小可。


「あなた、いいでしょ? ここ環境もいいし、家の広さと間取りも完璧よ〜」

 女性は隣のたくましい男性の腕に絡みつきながら、甘えた声で言った。


「でも……でもやっぱり、ちょっと高くない?」

 男は不安げな顔をしている。


「旦那様、それは全然高くありませんよ」

 橘小可は迷っている男性に視線を向け、すっと横を向いて右手を伸ばし、家の内部を示すように言った。


「この家はですね、冬暖かく夏は涼しい。南向きで風水も完璧。“南向きの家は金運アップ”ってよく言いますよね? しかも、静かな山道沿いにあって人通りも少なくて安心、安全。内装もシンプルで無駄がない……それに――」


 彼女は壁際まで歩いていき、指でコンコンと壁を軽く叩いた。


「この音、聞こえます? しっかりした造りで、五代六代くらいは余裕で住めますよ。もし子孫が増えたら、隣の土地は無料で増築可能です」


 ありったけのセールストークを畳みかける橘小可。


 男は橘小可を見て、それから隣の妻を見た。

 ……怨念のこもった視線を2セット浴びた彼は、ついに観念して大きく息を吐き、うなずいた。


 ドアの陰から覗いていた米修:……


(いや、この人こんな営業上手だったっけ!?)


 術療士って肩書きのはずなのに、なんで今完全に不動産仲介なんだよ……。


(もしかして、貧乏って人を万能にするのか?)


「賢いご判断です、旦那様。後悔はさせません」

 橘小可は女性に目配せすると、彼女はすかさず「あなた最高〜!」と夫を褒めちぎった。

 その言葉に、男性はようやく初めて(?)笑みを浮かべるのだった。


「じゃあ、お支払いの前にもう一度チェックしてください。不備があれば今のうちに全部対応しますからね」


 交渉が無事に終わったことで、橘小可の声と表情も少し柔らかくなった。


 ――が、米修はその光景に戦慄し、思わず部屋に引き返そうとした。だが――


「早く荷物まとめて! 出発するよ!」

 橘小可は床に置いてあった包みを持ち上げながら、米修に声をかけた。


「“出発”って……“一緒に”?」

 米修の頭には疑問符が浮かぶ。


「今日の朝に出発する予定だったんでしょ? 私はもう準備できてるから、あんたが準備でき次第一緒に行くわよ」


「いや、“俺”は出発するつもりだったけど……“一緒に”って話、聞いてないんだけど?」


 なにその当然みたいな言い方。俺の記憶違いかと疑うレベルだ。


「一緒に行く必要があるの。ダメ? 迷惑?」

 橘小可の目が鋭く光る。まるで目から飛び出すナイフのように、米修に突き刺さる――


「い、いや、ダメじゃないし迷惑でもないよ! ただ、その……聞いてなかっただけで……」


(いや、むしろなんで当然みたいな顔してるんだよこの人……)


「さっき聞こえなかった? この家、もう売ったから」


「だから?」


「だから住む場所なくなったのよ」


「…………」


(ちょ、待て……)

(この人、売ったのは自分なのに、なぜか俺と一緒に行くのが当然みたいな空気に……)


(いやでも口に出したら毒盛られそうだから、言わないでおこう)


 米修はぐっと堪え、ただ黙ってバカみたいな顔で相手を見つめるしかなかった。


「ほら、準備早くして。あの夫婦、子供が到着したらすぐ引っ越してくるんだから!」


 橘小可に部屋へ押し返され、米修は仕方なく荷物の整理に戻った――


 ***


 整理が終わると同時に外に出る。

 橘小可は金貨を袋に収めながら「準備できた?」と振り返った。


 米修はうなずきつつ、その金貨の量に(この家、本当にそんなに価値あったか?)と首をかしげた。


 あの男、大丈夫かな……洗脳されてないといいけど……


「それじゃ、行きましょう。幸せをお祈りしてます!」

 橘小可は後ろを振り返って夫婦に手を振った。

 果たして心からの祈りだったのか、営業用のセリフだったのかは、誰にも分からない――


 ***


「ふぅ……」


 ふたりが家を振り返ってももう見えなくなる距離まで来たところで、橘小可はようやく深いため息をついた。


「ちょっと休憩する?」


 彼女の様子を見る限り、そこそこ疲れているようだ。


 まあ、体力があるようには見えないし、ここまで歩けただけでも奇跡かもしれない。


 背は自分より少し低く、細身で色白、まるで陽の光を浴びたことのない生活をしてきたかのようだ。


「そうね、ついでにいくつか話しておきたいこともあるし」

 橘小可はハンカチで額の汗をぬぐいながら、道端の木陰に跪いて座った。


 米修も適当に木に背を預けて腰を下ろす。


「今のうちに全部話すから、質問はあとにしてね」


「うん」


「まず、昨日あんたが洗い物しようとしてたでしょ? 止めたのはね……キッチンに毒を塗ってたからよ」


「……へ?」


「うちの裏口ってキッチンとつながってるでしょ? あそこから泥棒が入りやすいから、侵入対策として一部に毒を塗ってたの。もしあんたがうっかり触ってたら、今日の朝ごはんじゃなくて葬式になってたわよ」


「なるほどね! 止めてくれてありがとう……」


(なんか色々怖い……)


「次に、家のことだけど――あの家、もともと私のじゃないの」


「えっ?」


「正確に言うと、前にあそこに住んでたお爺さんとお婆さんから譲り受けたの」


「当時、旅の途中でたまたまその家の前を通りかかったら、ふたりとも今にも世界の終わりが来たかのような顔をしててさ。気になって事情を聞いてみたの。そしたらね、老夫婦にはひとり息子がいたんだけど、七歳のときに近くの森で遊んで以来、突然原因不明の病気になったらしくて――動けない、食べられない、話すのもしんどい、っていう状態がもう二年も続いてたって……」


「しかも老い先短い彼らにとって、その子は奇跡のように授かった宝物。何がなんでも助けたいって必死だった。家計はとっくに底をついてて、あとはこの子が死ぬのを待つだけ……ってそんな空気すら感じたわ」


「で、まあ……ふたりして鼻水と涙まみれで子供の話を延々と続けるもんだから、このままだと家系図から王朝史まで語られるんじゃないかって恐怖すら感じて、適当なところで話を遮って――『治せるかもしれないけど、それなりの対価がいる』って条件出したの」


「その代わり、治療費として家をもらった。結果的に子供は元気になって、私は家を手に入れた。ウィンウィンでしょ?」


(その家をまた他人に売ってるって……)


「そして最後に――私があんたと一緒に旅をする理由」


 橘小可は目を閉じ、呼吸を整えながら静かに言った。


「私、十七の時から一人旅してて、もう二年以上になるの。でも一人だと限界もあるし、昨夜考えて、二人のほうが効率いいと思ったのよ」


「ふーん……」


(まあ、つまり俺が便利ってことか……)


「質問、ある?」


「ある! その腰にある刀、使えるの?」


「これは飾り。護身用のダミーよ」


 橘小可はどこからか茶器を取り出し、お茶を注ぎながら答えた。


「昔、旅の途中で瀕死の剣士を助けたことがあってね。治療代としてこの刀をくれたの」


「命の次に大事な刀を!? すごいなあ……」


(その剣士、今頃どうしてるんだろう……)


「命が惜しければ、金以外の何かで払うしかないでしょ」

 橘小可はにっこりと笑いながら、なにやら意味深に呟いた。


「……怖っ」


「ところで、昨日の夜、あんたの部屋の近くからなんか声が聞こえたんだけど」


「……ああ、それはちょっとした儀式をやってたの。気にしないで」


(やっぱりこの人、色々ヤバい)


「それより、あんたどこ出身? 跪いて座るの、慣れてるんだね」


「蒲林町(プリン–町)よ」


「地図の端っこの点くらいにしか描かれてないとこ!?」


「そう」


「いつか行ってみたいなあ」


「その時が来たら案内してあげる」


 そう言って、橘小可は茶器を片付けて立ち上がった。


「さ、出発よ。ここでモタモタしてると、野宿コース確定よ」


「でも、小可は自分の用事もあるんじゃないの? 俺と一緒だと邪魔になるんじゃ……」


「問題ないわ。探してる相手の情報もないし、ひとりでウロウロしても効率悪いしね。あんたと一緒なら、何か掴めるかも」


(つまり、俺の財布が目的……)


 橘小可の脳内では、金勘定の音が鳴り響いていた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る