計略 2
「水、買ってこようか」
男の提案に首を横に振る。
咳がようやく収まってきた。浅い呼吸を繰り返しながら身体を伸ばすと、男がにやりと笑った。
「初めて吸ったのかい」
「……ええ、まあ」
「やっぱり。煙草の箱開けたときから、多分そうなんだろうなって」
その言葉に違和感を覚える。この男は、ずっと僕を見ていたのだろうか。
「治まった?」
「はい、なんとか」
「良かった。あんまり酷く咳き込むもんだから、血反吐はいてぶっ倒れるのかと思ったよ」
僕はハハ、と乾いた笑いをこぼした。
中肉中背。赤茶けたような顔色、広い額、脂ぎった前髪。おそらく父さんと同じくらいの年齢だろうが、全体から滲み出る雰囲気のせいで老けて見える。
まじまじと観察していると、男と目が合った。
「キミ、名前は?」
「……田中です」
「この辺の人?」
「まあ、そうです」
「そうなんだ。オレも住んでたんだよ、昔」
へえ、と一応驚いてみせる。彼はいつになったら立ち去るのだろう。
「今は仕事上、あちこちを飛び回ることが多くてね。帰る先はあるっちゃあるんだが、滅多に帰らないから、空き部屋だと思われてるかもな」
「そうなんですか」
「この先のラーメン屋知ってる? あそこ、店主が妙にうるさくて食べ方とかに茶々入れるんだけど、言うほどおいしくないんだよねえ。でも量だけは多いから学生がよく食べにきてるんだけど、その度に店主が怒るんだ。まったく、今時の若いもんはラーメンの食べ方も知らんのか。まずはスープから飲むのが基本だろ、ってね。全くうるさいったらありゃしない」
もしかしたら、面倒なタイプの人間に絡まれてしまったのかもしれない。そう思いながら、柱のような灰皿に煙草を押し付ける。
「あ、そうだ」
ラーメン屋の話から、近くのコインランドリーの話になって、そこにたびたび現れる可愛い女子大生の話をし終わった後に、男は思い出したように声を上げた。
「これ」
男は、くたびれたコートのポケットから名刺を取り出した。無造作に入れられていたのであろう名刺は、端々が折れ、角が丸まっている。
「オレ、ライターやってんの」
無言のまま、その名刺を受け取る。
男——
「でさ、オレ今すげえスクープ追ってんだ。もうこれが世間に知れ渡ったら、歴史がひっくり返るってレベルのやつ」
「はあ……」
「それでさ、そのことについて聞きたいんだ。君に」
え、と声を上げる前に僕は顔を上げた。
正面に久米の顔がある。久米は不思議な表情をしていた。不思議な、という表現はおかしいかもしれない。口角は目一杯上がっているのに、目が笑っていない。ナイフで切れ目を入れたような目が二つ、まっすぐに並んでいる。少しだけ見える白目の部分は黄色に濁っており、赤黒く細い血管が無数に走っていた。
「J市女子高生殺人事件って、知ってる?」
久米は表情を崩さずに言った。
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