興国 3

 太陽がじりじりと頭を焦がす。

 十六時半になっても日は高く、空はくっきりと青い。車通りの少ない道ではセミの声が鳴り響き、陽炎かげろうが静かに踊っている。

 その中を僕と水谷くんが歩く。詳しくは帰り道で話す、そう言って学校を出たのに、水谷くんは口を閉ざしたままだ。


 ちらり、と水谷くんを見る。背が高いため、視線は自然と上を向いてしまう。短い眉に鋭い切れ目、それをふち取る長いまつ毛。

 クラス一、学年一と言っていいほど、水谷くんは整った顔立ちをしていた。

 そんな彼が今、僕の隣を歩いている。クラスの誰かがこの光景を見たら、首をひねるかもしれない。

 田中のヤツ、なんで水谷と一緒に歩いてるんだ?

「……高橋千広のこと、なんで知ってるの?」

「サイトウユキに教えてもらった」

 斉藤友紀……友紀ちゃんのことだ。

「友紀ちゃんと知り合いなの?」

「いとこ。俺のおばさんの娘」

「どうして僕に聞くの?」

「友紀が昔、話してたから」

 大きなトラックが、僕らの横を通っていく。重そうな荷台を揺らしながら、熱風を巻き上げて去っていく。

 ほこりっぽい風圧を受けて、水谷くんの前髪がふわりと浮いた。

「……どんなこと話してた?」

 そう言うと、水谷くんはこちらに視線を寄越した。冷えきった黒い瞳が、僕を捉える。

「友紀の話をしたいわけじゃない」

 吐き捨てるように水谷くんは言う。

「高橋と同じ学校だったんだろ」

「……うん」

 強い日差しのせいで色が濃くなった街路樹の影が、黄色いコンクリートに張り付いている。僕はそれを踏みながら頷いた。

「幼馴染なんだ」

 水谷くんがちらりとこちらを見た。彼は黙っていたが、続けろと目が訴えている。

「親が友達同士でね、昔からよく一緒に遊んでたんだ。家も隣だし、小さい頃は毎日遊んでた。幼稚園、小学校、中学校、全部同じのクラスで、ほぼ毎日ちーちゃんと会ってた」

「ちーちゃん?」

「あ、その、周りがそう呼んでたから」

 僕は恥ずかしくなって、無理矢理笑顔を作る。

「でも、ち……ひろちゃんは中学生の時に学校に来なくなったんだ。二年の時だったかな。それ以来、まったく会ってない」

 頭の中でおさげ髪が揺れる。いつも左の髪の束だけ大きくまとめて、余った髪を右耳の下でしばっていた。走る度にその二つのおさげが跳ねて、汗ばんだ首筋に当たる。

 どんな時でも、ちーちゃんの後ろ姿はせわしなかった。

「どうして学校に来なくなったんだ」

「……分からない」

「毎日顔を合わせてたんじゃなかったのか」

 強い日差しがじりじりと身体を焦がす。その熱さは、まるで僕を責めるように頭を、首を、背中を突き刺していく。

「千広ちゃんはちょっと変わっててね、周りに溶け込めないタイプの子だった。生き物が大好きで、中学校に上がっても虫ばっかり追いかけてた。だから友達って言える人間、僕しかいなかったと思う」

 誰かと話していると、どれだけ自分が小さい人間か分かってしまう。

 僕の言葉は後出しジャンケンだ。原因ばかり話してしまい、思い出したように慌てて理由を説明する。やましいことを弁解するような言葉の紡ぎ方。どんなに気をつけていても、感情が高ぶるといつもこうなってしまう。


 僕はその後も、ちーちゃんのことを話し続けた。

 ちーちゃんの父親はちーちゃんが生まれる前にいなくなってしまったこと、母親と二人暮らしだということ、家が隣同士だということ、小さい頃虫を捕まえてはつぶしていたこと、僕は虫が嫌いだからそれが嫌だったこと、おばちゃんに『みはり役』を頼まれていたこと。

「『みはり役』を頼まれたのは、確か四歳くらいの時だった。夕方、千広ちゃんが公園のブランコで立ちこぎしてるのを、千広ちゃんのお母さんと二人で見ててね、その時に言われたんだ。『みはり役お願いね』って。千広ちゃんは目を離すとすぐどっか行っちゃうし、怖いもの知らずだったから、一人で面倒見るのは大変だったんだと思う。だから頼まれてからずっと、僕は千広ちゃんを見張り続けた。千広ちゃんが学校に来なくなるまで」

「その後のことは知らないのか」

 水谷くんが口を挟む。ようやく喋ることを止められて、僕は安堵からため息をついた。

「うん」

「家が近いんだったら見に行けばいいだろ」

「止められたんだ。もう千広ちゃんとは会わない方がいいって」

「どうして止められたんだ」

「母親同士で決めたみたい。今は情緒不安定だから、そっとしててほしい……ってちーちゃんのお母さんが言ってた」

 それに、と僕は続けた。

「もう『みはり役』は、いやだったんだ」

 僕は苦笑いをこぼしながら口を閉じた。


 十字路にぶつかり、周りの景色が一気に開ける。コンクリートの塀に囲まれた住宅街の奥で、人のさざめきあう声が聞こえる。笑い声、怒声、それをたしなめる声、子供の泣き声、子供ではない泣き声。

 僕は少しだけ息を吸い込んで、左側の道に足を向けた。

「じゃあ、僕こっちだから」

 水谷くんの家はこの十字路をまっすぐ行ったところにあった。朝の登校中、角を曲がろうとした時に彼を見かけた。噂しか知らない彼の後ろ姿を見て、案外近所なのかもしれないな、と思ったのを覚えている。

「田中」

 水谷くんが僕を呼び止める。振り向くと、真面目な顔がこちらを見つめている。大きな目から放たれる眼光。それは他の人よりも鋭く、まっすぐに僕を捉えた。

「また、話を聞かせてくれ」

 そう言うと、彼は静かに去っていった。その後ろ姿が小さな点になるまで、僕は動けなかった。

 額から顎にかけて一筋の汗が流れる。水谷くんのことを考えれば考えるほど、小さなおさげ髪が脳裏でちらついた。


 これ以上、何を知りたいのだろう。

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