第3話 背教者
窓から差し込む日の光に眩しさを覚え、アルスの意識が覚醒する。
枕元に置いてある時計は七時前を指している。
アルスが体を起こすと目に入るのは最低限の家具しか置かれていない自身の部屋だった。
ベッドから起き上がり着替えをすませた同タイミングで扉の向こうから声がする。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたよ!」
アルスが返事の代わりに扉を開けると、その先には黒い髪を短く揃えた少女、アルスの妹であるセシルが朝の眠気を感じさせない溌剌とした笑顔で立っていた。
「おはよう」
「おはよっ!」
朝の挨拶をして、二人は今いる二階からリビングのある一階へと降りる。
テーブルの上にはセシルの用意した朝食が並べられていて、二人は向かい合うように席に着くとそれを食べ始める。
比較的口数の少ないアルスに対して、セシルはニコニコと今日の予定、昨日エル姉とこんなことしたといったいろんな話をしながら食事を進めている。
話を聞いているアルスは相槌を打つくらいでほとんど話していなかったが、口元はほのかに笑みを浮かべてセシルの話を聞いていた。
これがこの兄妹二人のいつも通りだった。
朝食を食べ終わると二人は食器を片付け、それぞれが担当する家事をこなしていく。
しばらくするとセシルは外出の準備をする。
「いってきます。今日も頑張ってねお兄ちゃん」
「ああ、いってらっしゃい。あれは忘れてないよな?」
「うん、大丈夫」
先に出かけるセシルを玄関で見送るアルス。
忘れ物を聞かれてセシルが取り出したのは首から下げていた、全長十センチ程の装飾のないシンプルな見た目でありながら柄の部分が半分以上を占めた不思議な形の小さな剣だった。
それを確認して安心した様子のアルスを見てセシルは出かけて行った。
彼女は二人の知り合いが経営してる飲食店でほぼ毎日お手伝いをしていて、大体八時前後に出かけていく。
セシルが出かけた後、アルスは家の裏手の庭で全長一メートル程の片手剣を手に素振りを行う。
普段のダンジョン探索でアルスは短剣を二本装備して行っているが、本来の得物はこちらであるため、こうして毎日素振りをして感覚を忘れないようにしていた。
一時間近く経ち、素振りをやめていつものタンジョン探索を行う時のいつもの装備を着けると家を出る。
ダンジョンの近くまでやってくると解放者と思われる様相をした者の数が増えてくる。
槍を持った者、使い込んでいるのか少し薄汚れた白色の鎧を身に纏った者といった解放者がアルスの目につく。
逆に解放者からアルスへの視線も増えてくる。
アルスの装備している装甲は特別な素材を使用していて他の人には見られない氷のように僅かに透き通った白銀色なため、最小限の装備とはいえどうしても目立ってしまう。
その姿を認めた解放者達は仲間内でヒソヒソと話し出す。
「おい、あの装備アルスだぞ」
「背教者か。たく、ライアスの野郎を見習えってんだ」
「ろくにダンジョンに潜らないで何やってんだか」
「
「二年前まではあんなんじゃなかったのにな」
会話の内容は全てがアルスへ向けられた罵倒する類のものだった。
当の本人はそれが自分に向けられていることを自覚しながらも、そういった声に全く気にした素振りを見せず、淡々とダンジョンへ向かって歩いている。
街中は石畳であるのに対し、ダンジョンの入り口である封印の木の周囲半径五十メートルは整えられた芝生となっている。
芝生の周りを囲む石畳は特別で、街中のそれとは少し見た目が異なっており、ギルド証を持っていない者がそこを通れないように特殊な作りをしていた。
ダンジョンに入って受けれる祝福は普通のそれとは違い、祝福を受けて日が浅いものは封印の木から遠く離れすぎるとその祝福が失われてしまうが、少しでも神の恩恵を悪用されないようにするためのものだった。
アルスはいつものように念の為首にかかってるギルド証の感触を確かめながらそこを通り、封印の木の根元にある虚へと向かう。
そこを通ると気づけば目の前には高さと幅が十メートルほどある岩肌で覆われた道の上に立っていた。
洞窟のような様相をしているここがダンジョン、その一階層であった。
ダンジョン内はこれといった光源は見当たらないが、少し薄暗い程度であるため暗闇で視界が役に立たないということはない。
アルスはいつものように加護の力で身体強化を施し、腰に装備している二本の短剣のうちの一本を右手に持つと走り出す。
ダンジョンは迷路のように道が入り組んでいるが、ダンジョンに潜って三年になるアルスは道順を覚えているので迷いなく進んでいく。
道中、ダンジョンに潜む異界種、魔物と何度もすれ違う。その度に持っている短剣で魔物の最大の弱点である核の魔石を一撃で砕きながら進んでいく。
少しすると下、二階層へと続く道に辿り着く。
その先を進むと、五十メートルほどの高さのある天井に縦横百メートルほどあるとても広い空間が広がっている場所へと出る。
この空間には魔物がおらずダンジョンを探索する解放者の休憩場所みたいな扱いがなされている。
本来、この空間には守護者と呼ばれているとても強力な魔物が一体いたが、数百年前の解放者達の手により甚大な数の死傷者を出しながら、辛くも討伐された。
広い空間の奥にまた下へ降りる道があるので、アルスは寄り道せずそのまま降りていく。
そうして三階層へ来ると、二階層と同じような景色が広がっている。
ダンジョンはこのように迷路状の階層と守護者が守る階層が交互に並んでいる構造をしている。
そして現在、このダンジョンは四階層のボス部屋を超え、迷路状の五階層まで探索されていた。
四階層のボス部屋を通り過ぎ、アルスは五階層へと辿り着く。
迷路状の階層にいる魔物は階層ごとに出てくる種類が異なり、下の階層へ行くほど強力な魔物が道中に彷徨っている。
五階層に出てくるのは一種類で、簡単に言うと魔石を核とした土人形だった。
解放者達はそれをゴーレムと呼んでいる。
ゴーレムは形がそれぞれでバラバラであり、人型をしたものもいれば他の魔物の形をしたものもいたりとさまざまな形、大きさで出てくる。
上の階層に出てくる魔物より頑丈で力も強いにも関わらず、部位が欠損したりしてもすぐに直ってしまうので厄介な相手だった。
しかし、体を構成するものが増えることはないので、直るたびに体が小さくなっていくのを利用し、体の中にある魔石を直接攻撃して倒すのがセオリーだった。
今、アルスは二体の人型のゴーレムと接敵していた。
一体はアルスに向かって鈍重な体を動かし、もう一体は右手をアルスへ向け、その先にいくつか手の平大の礫を生み出し、撃ち放った。
対するアルスは撃ち放たれた礫を最小限の動きで交わすと前に出ていたゴーレムに接近し、相手が何かする間もなくすれ違いざまに一閃、そのまま後ろのゴーレムも同じように近づき右手の短剣を振るう。
すれ違った二体のゴーレムは何もできずにアルスの背後で倒れ伏す。
一方アルスの手には拳大の大きさをした魔石が二つあった。
アルスはすれ違いざまに攻撃をすると共にゴーレムの核である魔石を無傷で回収し、二体ともあっという間に倒してしまった。
倒れたゴーレムはその体が液体となって地面に溶け込んで消えていく。
ダンジョンに潜む魔物は核である魔石を失うとこのように体が液体となって地面に溶けて消えていく。
上層の生き物に見える魔物も例外なくそう消えていく。
これは異界種がそういうものであるというわけではない。
実際、地上に住み着いた異界種は魔石を失っても体はそのまま残る。
この消え方はダンジョン特有のものだった。
ダンジョンのゴーレム以外の魔物は頭を失うと死んだかのように動かなくなるが、長い時間をかけて段々と再生していく。
頭が再生するとまた普通に動き出し、解放者へ牙を向く。
なのでダンジョンの中ではどんなに深傷を負わせたとしても魔石を取り除くか砕くまで油断してはならないのが解放者の共通認識だった。
二つの魔石を腰のいくつかついているポーチの一つにしまうとアルスは次の標的を求めて動き出す。
それからしばらくある程度の魔石を集めると立ち止まり、少し休憩を取る。
左足の太ももの部分に取り付けられている細長いホルスターバッグを開けると、中には三本の杖と小さい正方形の紙の束がそれぞれバッグの中の専用収納スペースに入っている。
アルスは目的のもの、二十センチほどの長さの杖を取り出す。
持ち手の部分には持ちやすいようにレザーで覆われていて、その先の部分はだんだん細くなっていき先端部分が丸みを帯びていている。
レザーに覆われていない部分は表面が透き通っていて内部が青色に曇りがかっていて、まるで宝石のように綺麗な見た目をしていた。
アルスがその杖に力を注ぐと、杖に宿る力がアルスのそれと反発するような感覚を本人に与えるが、その反発する力を自身の力で制御し、杖に宿る力を現象として発現させる。
杖の先を見れば何もなかったそこに水の玉が浮かび上がっていた。
アルスはそれを口に含むと飲み込み、水分補給を済ませる。
この杖は異界種から取れる魔石によって作られていた。
異界種はこの世界とは別の特殊な力、魔力と呼んでいるものを持っており、核である魔石に宿る固有の魔力で魔法という現象を起こす。
先ほどアルスの戦ったゴーレムが礫を飛ばしてきたが、それは魔法によるものだった。
魔石に宿る力の強さはそれぞれ違い、基本的に同じ異界種からは同じ魔法の魔石が手に入るが稀に違うものも手に入った。
力の強さは魔石の色の濃さでわかり、弱いものは白く曇りがかったもので、強ければ特有の色味を帯びている。
祝福を受けた強い加護の力を持つ者にしかできないが、この魔石に宿る魔力を加護の力で無理矢理に制御することでアルス達にもその魔法を使うことができた。
そこで魔石を加工し、このように短い杖の形にして魔石の杖、魔杖として使われていた。
魔杖によって水分を補給したアルスはダンジョンから出ようと来た道を引き返す。
三階層を戻っている途中、アルスは異様なものを見つける。
それは普通の狼の体を数倍肥大させ、首元からもう一つ右半分がひしゃげた狼の頭が生えていて、立っている四足以外にも体のあちこちに足があり、時折ぴくぴくと痙攣している。
常軌を逸した様相をしたそれはキメラと呼ばれるもので、稀に発見の報告があるものだった。
階層ごとに出てくる魔物の種類が違うダンジョンにおいて、キメラはどの階層でも見られる謎の存在だった。
アルスの発見したキメラは大きさが五メートルほどの大きさで見た目も相まって威圧感がある。
しかしアルスはそれを気にもせず、右手に持っていた短剣を逆手に持ち替えキメラへ走り出す。
迫ってくる気配を察したキメラはアルスに目をやるが、歪な体のせいか動きがぎこちなく遅々としている。
その間にキメラへと距離を詰めたアルスはすれ違いざまに短剣を一閃する。
走ってた勢いを殺して立ち止まったアルスがキメラへと振り返る。
たかが短剣の一閃では、リーチを考えたら五メートルほどある巨体のキメラには致命傷とは程遠い傷しか与えられないはずだった一撃は、その胴体を横に真っ二つにして、キメラの体が地面に溶け消えていく。
死んだ後には魔石も残らないのがキメラの特性であり、総じて魔石を取り除かなくても生物としての致命傷を与えれば溶け消えるため、見た目の不気味さの割に普通の魔物より弱いことが多かった。
その後は特に何も起きずにダンジョンから出る。
この日は二時間ほどダンジョンに潜っていて、ギルドに寄ると集めた魔石を数個換金してその場を後にする。
アルスの日々のダンジョン探索は大体こんな感じだった。
他の解放者であれば数人でパーティーを組み、五時間ほど潜って魔物と戦い、己の力を高めるために研鑽を積んでいる。
魔石は階層が深くなるごとに少しずつ大きくなっていくので、アルスがギルドで売っている魔石の大きさを見ればどの階層で魔物を狩ったかわかる。
しかし魔石の数が少なく、毎回同じような金額を受け取ることや潜る時間の少なさにより、側から見れば小遣い稼ぎのようなことをしているようにしか見えない。
解放者とは、その身を使って人々を守った神を文字通り異界の怪物から解放するために戦う人たちを指す言葉である。
したがって、解放者の大多数は日々のダンジョン探索を精力的に行っており、自己の研鑽を欠かさず少しでも強くなるために努力をしている。
そもそも、ダンジョンの道中にいる魔物は、地上に住み着いた異界種よりもはるかに強いため、半端な者はすぐに死んでしまうので解放者はダンジョン探索というものに真面目な者が多かった。
そんな中、上から二番目の
解放者達はそれを神の意に背いていると非難し、彼を背教者と呼び、忌み嫌っていた。
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