王太子殿下

 その人物が司令部天幕に入ってくると、机を囲んで熱心に議論を交わしていた将校たちは一斉に手を止め、立ち上がって姿勢を正した。ぴりっとした緊張感が幕内を支配し、全員がその人物の次の行動に注視していたまさにその瞬間である。


「……Nein, ich bin nicht Weidam! Ich weiß nicht, wovon du die ganze Zeit redest, aber das――」


「ランス語で話せえ!」


 いきなり男女の怒鳴り声が響き渡り、場は凍り付いてしまった。


 ほどなくして喧騒は止んだのだが、前代未聞の事態に彼らの醸した厳かな空気は完全に澱んでしまい、殺伐とした気配すら生じた。

 男は手を挙げて兵士達を落ち着かせ、場を和ませながら言った。


「諸君、ここは宮殿ではなく戦場なのだ。堅苦しい形式にとらわれず、仕事を続けてくれたまえ。この戦いの趨勢はこの場で話し合われたことで決定するのだから」


 男の言葉に安堵する者もいれば、まったくもって不敬の極みであると怒る者もいた。だが多くの将校達は気持ちを切り替え、各々の職務に戻っていった。そんな彼らの精勤ぶりに満足した男は、まさに大声の上がった奥の部屋に向かって前進した。

 その後ろを追従していたランス軍の黒人将校が声をかけてその足を止めた。


「殿下。こちらで少々お待ちください。どうにも、ここがどこであるのか理解しておらぬ馬鹿者が天幕に紛れ込んでいるようですので……」


「大丈夫だよ、エルリック。とはこの先長い付き合いになるんだ。堅苦しい事は省き、ざっくばらんにいこうじゃないか」


「我が国の有り様が彼らとの付き合いを阻害する事態に成らねば良いのですが」


 エルリックと並んで随行していた女性士官の声が男の顔に若干の影を落とした。男は自分を納得させるようにうなづくと、女の肩を親し気に叩いた。エルリックは彼らが控えている部屋のカーテンを開いて中に入った。


「全員いるな」


気を付けガール ア ヴー!」


 レイが号令を発した。空気を塗り替える気合のこもった声で、室内にいた者達はその気概に充てられて姿勢を正した。これにはエルリックに続いて入室してきた男も思わず笑みをこぼした。その人物を見たレイは刮目した。


 歳は若いが確固たる威厳をたたえた白人の紳士だ。少しくすんだ色合いの金髪を頭頂にかけてふわりとした質感で両側へ流しており、口元を覆う髭もきちんと手入れされている。その佇まいは見る者に高貴な印象を与えた。

 黒を基調にした軍服には金の肩章付きの青い飾帯サッシュが左掛けされており、それとは別に右肩から伸びる金色の飾り緒エギュイエットはいかにも上級将校の出で立ちだった。特にレイの目を引いたのは男の左胸に下げられた四つの勲章メダルと、腹部に付いた二つの佩星章はいせいしょうである。いずれも高い軍人の資質と貢献を物語っており、それだけでランス軍の士長は大いに男への興味を引かれた。

 それから、男の後ろに控える赤毛の女性士官だ。龍の機罡婦人と違って自然な赤の色合いにレイは懐かしさを覚える。厳しくて気の強そうな面持ちは中学時代の友人を思い起こすには十分過ぎるほど雰囲気が似ていた。


 男は自由解列で立ち並ぶレイ達の前に出ると穏やかに命じた。


「アルジュリオ士長。休ませ」


 休めル ポ! 再びレイが鋭く号令を発した。室内の緊張が少し緩んだ。男は話を始めた。


おはようボンジュール ア ヴ諸君メザミ。私は、ランス語は苦手なのだが、今日は頑張ってこれで行こうと思う。聞きづらいところもあるだろうが、まっぴら勘弁してほしい」


 レイは複雑な思いがした。誰かは知らないが、明らかに師団長か参謀総長級の人物である。さすがのレイも恐悦に過ぎるところがあった。


「サファイア、すまないがケンプには君から訳して伝えてやってくれ」


仰せのままに、殿下ウィ ヴォートル アルテス ロワイヤル


Duドゥ machstマハスト mirミーア auch nochアオホ ノホ extraエクストラ Arbeitアルバイト, wasヴァス……」

(余計な仕事を増やしやがって……)


 碧玉がケンプにその旨を伝えるや、彼の口から出た言葉である。


「なんて?」


「あの方の素性を知って驚くなよ、だそうですわ」


 ウソなのだが、碧玉の言葉をレイは真に受けた。碧玉は男を殿下アルテスと呼んだ。そして男の醸す風格。ルクセイアとの国境地帯に構築されつつある防衛線に付けられた名前が脳裏に浮かぶ。たしかその名は……


グランディア遠征軍G E Fを預かる、ユアン・ライサンダー大将だ。アルジュリオ士長とこうして話すのは初めてだな。他の者とは一通り挨拶も済ませているので簡単な紹介に止めさせてもらうが、現グランディア女王エリザベスの孫で、イルアランド王ジョージの二男にあたる。今回の遠征に際し女王陛下から晴れてヴェクサクス公の爵位を賜ったわけだが……、君はそんなことを知りたいわけではあるまいね」


「え、ええ……。まぁ」


 ユアンの口上もさながら、レイは隣にいる女性に気を取られていたのを看破されて言い淀んでしまう。


「ヘイネ。君の口から説明してやってくれ」


「初めまして、レイ。あなたのことは妹からよく聞かされていたわ」


「妹……もしかして、クレアのこと?」


「ええ、そう。私の名はヘイネ・オシュア・パルネール。私の一族は代々ライサンダー家に仕える臣下で、今はグランディア遠征軍で殿下の副官。階級は大尉よ」


「え、ちょっと待って」


 クレアの家族はヘクターの実家に住み込みで働いていると聞いていた。「じゃあ、ヘクターって……」


「俺の妹だよ」


「セパヴレッ!」


 ユアンは懐からタブレットを取り出して、一枚の写真をレイに見せた。昨年の冬至祭ユールタイドで家族が集まった時のものだと言うが、それにはユアンの隣にヘクターと男性、女性が並んでおり、端にヘイネとクレアが写っていた。

 そして彼らの背後には、思わず錯覚して二度見してしまうほど体の大きな男の姿があった。


「この赤毛の二人以外が全員兄弟だっていうのかい?」


「うわっ」


 いつの間にかレイの周りにはラセン以外の全員が集まっていて、ユアンのタブレットに映し出された小さな画面をのぞきこんでいた。


「たしか女王陛下エリザベス様の二男でイルアランド王ジョージ様と皇后マーガレット様の間には五人の兄弟がいらっしゃると聞いたことがありますわ」


「こちらが長女のシャイアン公ローズマリナ、そして長男ダルタニア公ハンフリー、二男ヴェクサクス公ユアン」 とアイゼンホークが指をさしながら説明するが、苦言も呈する。「……画面が小さいな、ユアン。投影してくれないか」


「こんな皆に食いつかれるとは思わなかったよ。ちょっと待っていろ、メッシュ」


 ユアンがタブレットの画面に指を添え、弾くような操作をすると、画面に表示されていた情報がそのまま空中に映し出された。魔窓という仕様である。これ自体はすでに普及した技術であるので誰も驚くことはしなかったが、レイはアイゼンホークとユアンが親し気に会話を交わす様子が気になった。

 ヘイネが少し不機嫌そうにレイに教えてくれた。


「あの二人は大学時代の学友なのよ。それはいいのだけれど、ちょっと目を離したら直ぐに二人で雲隠れするような間柄で、困ったものだわ」


Who is thatフー イザッツ manマン behindビハインド themゼム ? He'sヒーズ absolutelyアブソリュートリィ massiveマッシヴ!」


 ケンプがグランディア語でアイゼンホークとユアンに訊ねた。もちろんレイに言葉の意味は分からなかったが、どうやら写真の後ろに写っている巨漢について聞いているのだと察した。

 アイゼンホークが答えた。


「三男のハロルド・ライサンダーだ。彼こそカノンにその力を認められ、勇敢な獅子レオンハルトの使役者カルタとなった男だ」

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