女子会のお誘い
「昨晩ルティ一区のコォペラシオン広場で起こった通り魔事件について、これまでに確認された負傷者の数は三十五人に上っており、そのうち八人が搬送先の病院で……」
物騒なニュースが流れた日曜日の朝である。レイの自宅を取り巻く報道関係者の姿はまったくなかった。
「このまま消えてしまえ、
レイは久しぶりに家の外に出て、うーん、と体を伸ばした。素晴らしい解放感。天気はあいにくの曇り空だが雨は降らなそうだ。
ああ、このまま軽く街を二、三周したいな。体が温まったら通りを川まで出て、上流を目指して一直線。山に入ったらそのままトレイルランニングに切り替えて、尾根に沿って走りながら適当なところで宿営地を決めて、ああ、それなら――
「キャンプ道具も一緒に持って行かなきゃ! ……なんてことを考えているわけではあるまいな、アルジュリオ」
あら、ら? レイの目の前には赤毛でボリューム感のあるショートヘアの女子が立っており、彼女に警告を発したのである。
「そ、そうね、クレア。山に行くなら足じゃなくて、自転車でもいいかもね」
「ダメだろ。おまえはまだ停学中なんだぞ」
「それを言いにきたわけ?」
トホホ、とクレアの強烈な視線を避けるレイだ。この赤毛の女と来た日には真面目過ぎて面白みがない。今日はレオノーラが出かけているから羽目を外せると思っていたのに! と、ここで「まさか」と気づいてレイはクレアに視線を戻す。
「そう、レオノーラおばさんに直接付き添いを頼まれたんだ。うちの娘が無茶をしないようにとな」
「なんて素敵なお母さまなんでしょう。こうして友達と引き合わせていただけるなんて」
その声にぴくりとレイが反応した。クレアの後ろから長い金髪にベージュのキャスケットを被った女子がひょっこりと現れると、途端にレイの渋面がはじけるような笑顔に変わった。
「ヘクター!」
「うふふ、レイ。こうして直接顔を合わせるのは久しぶりね」
いうやいなや、レイはクレアをうっちゃり、ヘクターにぎゅうっと抱きついた。レイが学校を締め出されてから約三週間、恋焦がれる思いが爆発したかのよう。まるで恋人同士だ。そんな二人の気持ちを理解していないクレアではないが、報道陣がいなくとも日曜日の午前中は多少の人目もある。わざとらしく喉を鳴らし、二人を引きはがす仕事においやられた。
「とにかく家へおあがりなさいよ、お二方。お茶を用意するわ」
ここでクレアが照れくさそうな顔をする。ヘクターがそんな友人を笑顔で見守る意味をレイは理解しかねた。キャスケットの下からのぞく宝石のような碧眼で迫られると、赤毛の少女は観念したように一歩レイの前に進み出た。
「レイ、それには及ばない。お、お店を予約してあるんだ」
「お店?」
「リヴォイル通りの
「それって……」
「ええ、今日は三人で女子会よ。羽を伸ばして楽しみましょう」
「うわ」
メルシィ! がばっとレイに抱きつかれたクレアは、分かった、分かったと両手を広げながら一旦離れろとあまり厳しくない口調で言った。
「予約の時間が迫っているのだから、さっさと着替えてくるんだアルジュリオ。まさかそんな粗末な姿でヘクターの後ろを歩くわけではあるまいな」
言われてレイは自分がよれよれの部屋着のままでいることに気が付いた。これではお洒落が売りのルティジェンヌとはいえない。
対して友人二人はしっかりとめかし込んでいて、控え目に言って大変に可愛い。もしも記者連中がここにいたら大騒ぎするだろう。
「三分待つ。さっさと支度をしてこい」
「四十秒で充分よ」
打てば響くレイの早業だ。あっという間に家の中に飛び込むと、どたばたと物音を立て始めた。
クレアとヘクターの二人は留学生であり、レイが
ランスとグランディアは歴史的に何度も対立してきた永遠の宿敵という関係性である。しかもランスではほんの数年前までグランディアを始めとした大陸の列強国と戦争しており、グランディア軍によって首都ルティが占領されたという生々しい事例もあることだ。
連合王国に対する共和国民の感情はどうしても尖ったものを含んでしまう。
そんなクラスの中で、グランディアに強烈な対抗心を露わにしていたのがレイ・アルジュリオである。悪いことにちょうど前夜、ラグビーの国際試合でランス代表がグランディア代表に大差で敗れたこともあって、反感は最高潮に高まっていた。
すでにランスの怪童の片鱗を浮き彫りにしており、学園の問題児と恐れられていた彼女は、あからさまな敵意をむき出しにして転校生をにらんでいた。
そんな状況を知ってか、知らずか、クラスの教諭は転校生の二人にレイの隣に行くよう指示してしまう。
同級生たちは留学生に同情したわけではないが、血を見る事態になるのではないかと固唾をのんで見守った。
ところが、赤毛が止めるのも聞かずに金髪少女は仏頂面をしている茶髪娘の方へ喜々として歩を進める。
「私、ヘクター。あなたは?」
レイは意表を突かれた。こちらの態度に気づかないのか、単に空気が読めないのか。溢れるような金髪の少女に満面の笑みで話しかけられると、柄にもなく戸惑ってしまう。
「レ、レイ……」
「はじめまして、レイ。いろいろ教えてね」
金髪をふわりと揺らして、レイの隣に腰かけるヘクターだ。唖然とするレイに目が合うと、ヘクターはぱちんとウィンクする。その仕草があまりに可愛くて、レイの中にあった攻撃性はきれいさっぱり溶けてなくなった。
長い髪をかき上げる所作ひとつにも神々しさがある。思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「なあに?」
じっと彼女の顔を見ているのがばれてしまい、レイは慌てて返答した。
「ヘクターだなんて名前、珍しいわね。男の子みたい」
「うふふ、よく言われるわ。でも気に入っているの」
嵐の予感は爽やかな涼風に流された。修羅場を覚悟していた同級生らは安堵するのと同時に、学校一の暴れん坊を一瞬で手なずけた転校生の手腕に感銘した。クレアは「やれやれ」と困った顔をしたままヘクターの隣に腰を下ろした。
その日から三人は一緒にいろいろと行動を共にするようになった。レイとクレアは時々お互いの愛国心を燃やして激しく意見を対立させることもあったが、ヘクターが間に入ることで仲をとり持ち、いつしか彼女達は深い友情で結ばれるようになったのだ。
「嬉しそうね、レイ」
「まるで天から女神とお供の天使がわたしの家に降りて来てくれたようだわ。いっぱいおしゃべりしましょ!」
「誰がお供の天使だ」
苦言を呈するのはレイの後ろを歩きながら、彼女の髪に櫛を入れるクレアだ。「まったく、着替えて来いと言ったのは身だしなみを整えることも含めてだ。寝癖ぐらい直してこないか」
「!」
急にレイが足を止めたので、クレアは危うく櫛で彼女の頭を突き刺してしまうところだった。
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