第28話 偶像と承認欲求と女(3)
―ライブハウスの楽屋―
「お疲れ様です」
「お疲れさまです、裕美さん。今日は現場入り早いですね」
「ちょっと、お出かけしてたんですけど、家に1回帰ってからまた来ようと思ってたんですけど、色々あってそのまま来ちゃいました」
裕美は、そう言い終わると手荷物を置き、マネージャーが座っている真正面の椅子に座った。マネージャーは、裕美のことは何も気にせず、机の上に置いたノートパソコンを開いて、作業を続けた。裕美の方もマネージャーの目線を気にすることなく、スマートフォンを取り出し、ゲームを始めた。
「そういえば、裕美さん」
「何ですか?」
「明後日のフェスに向けての打ち合わせのことなんですが、ワイルド・マックスフェスに向けて、この前打ち合わせした時に、裕美さんとラッパーがユニットを組むことにするって、スポンサーの富士宮さんから言われたこと覚えていますか」
「覚えていますよ。不本意ですけど、スポンサーの言うことなら従うしかありませんよね。それで、まさかお相手の方がもう決まったんですか?」
「決まったわけではないけど、何人か候補として良い人が見つかりました」
「仕事が早いですね。それで、どんな人なんですか?」
「まずは、この人です」
マネージャーは、ノートパソコンの画面を裕美に見せた。そこには、ローマ字で書かれた名前に、白い帽子を被り、夜の街をサングラス越しで眺めている大学生ぐらいの男が映っていた。その姿は、誰が見てもイキっている輩に見えるだろう。
「このリュウジって名乗るラッパーがいいんじゃないかなって、公開している自作の歌を聴いた限り、歌もそこそこ出来るみたいですし、どうでしょうか?」
「正直、相手は誰でもいいので観客を魅了できて、心を掴んで離さないような人がいいです。あと、私の歌を引き立たせてくれる人とかもありですね。その人は、一旦保留で良さそうな人をもっとピックアップしてもらってもいいですか?」
「そうですか、分かりましたなら、もう少し相手の方を探してみます。それにしても、珍しいですね。裕美さんがそんな食い気味で来るなんて‥」
「ちょっと、今回のフェスは何があっても負けたくない相手が出るんで、こっちも最大限のことはしたいなって思ったんです」
そう言う、裕美の目には、澱みがなく純粋に勝ちたいってことが伝わってきた。その目を見たマネージャーは、熱意が伝染したように、さっきまでとは打って変わり、口角を上げて真剣な眼差しで喋り出した。
「それじゃあ、こっちも最大限努力してみますね。そんな顔されたら、もう適当な仕事なんかしてられませんよ」
マネージャーは、そう言うとノートパソコンを元の位置に戻して、インターネットの中にある情報の海の中に落ちている必要な存在を必死に探し始めた。
「ははは、今まで手を抜いていたことは癪に触りましたが、それは水に流すので、その勢いのまま頑張っていい人を探してくださいね」
「出来る限り、頑張ってみますね。裕美さんは、とりあえず今日のライブを頑張ってください」
「分かってます。あ、あと1つ出来れば探して欲しいんですが、ペアを組むなら女性のラッパーがいいです」
「女性ですか。それは、一体何で?」
「さっきみたいなオラオラ系の人と私が組んだら、どうなると思いますか?今の私のファンはみんな冴えないガチ恋寸前のオタクですよ」
「あーなるほど、さっきみたいなラッパーだとファン離れを起こしかねないですね」
「そう言うことです。だから、ファン離れを起こす心配がない女性の相方がいいかなって思ったんですよ」
「でも、女性のラッパーなんてなかなかいないんじゃあ‥。あ、1人良さそうな人がいましたね」
「本当、それはどんな人?」
「この人です」
マネージャーは、再びノートパソコンの画面を裕美に見せた。そこには、ラビット・ハートと名乗るショートパンツに網タイツを合わせてカラフルな髪色をした男性受けを全無視したようなスタイルが抜群に良い美女が写っていた。そして、ラビット・ハートの紡ぐリリックは鋭く聞いている人の頭の中に残る不思議な魅力を醸し出していた。
「このラビット・ハートっていうラッパーは隣町で活‥」
「説明はもういいわ!この人にしましょう!」
いつもよりもテンションの高い裕美に、戸惑いながらもマネージャーは冷静に受け答えをした。
「分かりました。じゃあ、このラビット・ハートさんに連絡とってみますね。富士宮さんにも連絡しないとだ。また、何かあったらすぐに連絡します」
「よろしくです。それじゃあ、私は今日のライブの準備に入りますね」
そう言うと裕美は、楽屋の奥にある衣装の着衣ができるスペースにスタスタと入って行った。
フェスまで、残り1ヶ月と少ししかないが、いつでも最善を尽くし、全力で自分のやることに取り組む姿勢は、どことなく姉に似たものがあるのかもしれない。
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