第七話 第二回合評会(1/5)

 

 朝、大学行きの電車に乗りながら、流れていく広告看板やビルを見ながら考えた。相変わらず、人の流れとは逆向きの電車は空いているも、座っていると落ち着かないので立っていた。


 今日は五月の、今年度第二回合評会だ。講義がほぼ終わっている午後三時の会議室で、それは行われる。


 私は前回、小説を“白紙”で提出した。自分の書けなさを小説にした。

 しかし、今回は自分の汚い部分をさらけ出した。

 ここまでしたのだから、今回は私のこと、伝わればいいと思う。

 自分の“中”を見せた以上、何かが起きるとしたら今日だ。

 ……でも、本当に何かが変わるのかは、わからない。


 そもそも、私の書けなさはどこから来たのだろうか。――多分、あの人がいなくなったからだ。


 前は、今では卒業してしまった王字さんが読んでくれていた。どんなにひどいものを書いても、「大丈夫、あなたの言葉はちゃんと届くよ」って言ってくれた。


 その人が卒業してから、自分の書くもの全部が、どこか宙に浮いてしまった。

 三月から四月にかけて、その実感はますます強くなった。過去の自分の粗も見えるようになって、“書くこと”が怖くなった。

 私は今、“誰に読まれたいのか“がわからなくなっている。



 講義後、私は大学のキャンパスを歩く。目指すは、会議室C。合評会は毎回、会議室を使って行われる。それに比べて参加率が低めな読書会は、大抵部室で行われる。


「あっ、渡井さん」


 後ろから声をかけられる。合評会が近いと、普段よりも空気が張っている。いつもより少しびっくりする。


 振り返ると、そこには茶髪のロングヘアの田代さん、緑髪のボブヘアの瀬見さん、濡れ羽色の紫髪を一本に結っているメガネな富戸ちゃんがいた。

 田代さんと瀬見さんと私は同学年、富戸ちゃんは一つ下――宮北と同じ学年だ。


 「やっぱ緊張するよねー。前より提出者多い気がするし」と田代さんが言った。


 「そうですか?」と富戸ちゃんが、少し首をかしげながら尋ねる。「前回も五人くらい、いらっしゃいませんでしたか?」


 「え、いたっけ? 記憶があいまい……。富戸ちゃん、意外と冷静……」


 今回の提出者は、瀬見さん、太会さん、富戸ちゃん、夢崎さん、私だ。

 田代さんが笑って、私の方に視線を向けてくる。


「渡井さんはどう? 今回の、けっこう攻めたやつでしょ?」


 「……まあ、前よりは出した、って感じかな」と私は曖昧に答える。空気を和らげようと思っても、うまく笑えている気がしなかった。


 「いいなー、攻められて。私はもう守りに入りました。スライダー回転させてかわしたつもりッス」と瀬見さんが口を挟む。


 「それ、野球の比喩ですか?」富戸ちゃんが目をぱちくりさせると、


「そう。ストレート投げたら打たれそうな気がして、球種変えてみた」


 「瀬見さん、実はそういうの真面目に考えてるタイプなんですよね……」と田代さんが感心したように笑う。


「でも、富戸ちゃんのはさ、絶対“空気読んでないようで、めちゃくちゃ読んでる”やつでしょ?」

「へ?」


 田代さんが話題を振る。自分の作品のターンが来て、富戸ちゃんは目を見開く。


「富戸ちゃんのって、一見共感系だけど、最後、タグ付けしないじゃん。ああいうのが……さ、逆に空気読んでないっていうかさ」


 富戸ちゃんの作品はSNS×若い女の子の闇系だった。ラストの話を、田代さんはしている。


 「い、いえ……そういうつもりでは……」と富戸ちゃんが少し慌てる。

 「そういうとこも可愛いって話!」と田代さんが追い打ちをかけて、また笑う。


 瀬見さんが、「でもさ、提出する人って全員、ちょっとずつ“期待してる”ッスよね」とぼそりと呟いた。

 その言葉に、少しだけ空気が止まる。


 「……うん、そうかも」と私は応えた。


 そうだ。私は、今回は“期待している”。

 何かが届くことを、ほんの少しだけ。



 会議室C。ぐるっと、見回すと十人ほどいる。


 司会進行役の、フランス帰りの二島さん。前回はいなかった。

 太会さんは、指を組んだ両手に顎を乗せ、唇をわずかに吊り上げていた。にんまり、というより、挑発するような笑みだった。

 背筋を伸ばして良い姿勢の男川さん。そして、その隣で、肩の力が抜けたまま椅子に身を預けている中本さん。

 富戸ちゃんは、今回はこのサークルに慣れているせいか、きょろきょろしていない。瀬見さんは目を瞑っている。田代さんは、どこを見ているのかわからない視線で虚空を見つめている。何か考えているような、何も考えていないような顔。

 ふわあ~っ、とあくびをしている夢崎さん。耳たぶをいじっている宮北。そして、そんな彼女たちを観察している私。


「それでは、始めます。第二回合評会──」


 二島先輩の声が響いた瞬間、空気がぴしりと張りつめた。

 前よりも、少しだけ人数の多い会議室。

 そこにいた全員が、“誰かの作品”を読む準備をしていた。


「提出者、五人……時間厳守でいきます。質疑応答は簡潔に」


 二島さんは、前回の司会進行役の夢崎さんと違い、冗談を飛ばすようなキャラではない。それが合評会の堅苦しい雰囲気に拍車をかけていた。


「まずは、瀬見さんの『青い自転車』から。読後感と、印象的だった箇所を中心にお願いします」


 今回も机の上に用意されている冊子を、私はめくる。

 瀬見さんの『青い自転車』。彼女は、前回『夏の日と蝉』を提出して、宮北以外の感想をもらえなかった挙句、夢崎さんと太会さんに笑われていた。


 あらすじは、「僕」と「灰色の子猫」の会話劇掌編だ。これはなんだか幻想的で、真実というものが曖昧である。設定がガチガチな作品では、全くない。


『「君、猫だよね?」


 僕はその灰色の子猫に話しかける。


「たぶん、そう」


 彼、または彼女は言った。


「それ、君の自転車なの?」


 僕は訊ねる。


「たぶんね。わたし、スカートを靡かせて、二本足で漕ぐのよ」


 どうやら、女性性に近い思考の持ち主のようだ、とわかった。これからは彼女と呼ぶことにする。


「君は自転車が乗れるのかい?」

「人間の真似事が上手いだけ」

「君は、誰かを好きになったことがある?」


 その質問に対して、彼女は、くわぁとあくびをする。』


 私はこの作品を読んで、正直に言えば、「意味」はよく分からなかった。

 けれど、前の『夏の日と蝉』を読んだときみたいに、「変だ」と切り捨てようとは思わなかった。むしろ、今回はちゃんと“読むこと”ができた気がした。……前は「わからない=切り捨てる」だったのに、今回は「わからないけど、残る」に変わった。何かが、変わったのかもしれない。


 自転車に二本足で乗る喋る猫、という時点で、たぶん現実の話じゃない。

 でも、その猫と“僕”のやりとりは、どこか日常的で、穏やかだった。


 猫が話し、人間みたいな思考をする。そんな会話のやりとりに、私は不思議と引き込まれた。

 「人間の真似事がうまいだけ」――それって、自分にも言えることかもしれない。


『僕は再びあの青い自転車を見ると、再び話しかけたくなる。』


 何を話しているのか、どこまでが本当なのか、途中から分からなくなってしまったけれど……「話しかけたくなる」というラストの一文だけは、なぜかすとんと胸に落ちた。

 あの猫に? それとも、いなくなった“誰か”に?

 あるいは、もう返事が来ない相手に、だろうか。


 意味はつかめないままなのに、少しだけ寂しくなって、なんとなく、いい作品だったような気がした。


「はい!」


 宮北が手を挙げる。瀬見さんを見ると、口元は弧をつくっていたが、顔の筋肉が緊張気味だった。


「猫がとても気ままで可愛いと思いました! サドルの上で寝てる姿とか、質問に答えずにあくびしちゃうところとか……ハートを掴まれちゃいました。“女の子になる猫”っていう発想もすごく素敵で、この作品全体のふわっとした雰囲気、私はすごく好きです!」


 宮北にとって、この作品は好印象だったようだ。前回は「蝉が可哀そうだと思った」と一言で終わっていたのに、今回は結構語る。

 瀬見さんの顔の筋肉のこわばりが、少し緩んだような気がする。


「はぁい」


 夢崎さんが挙手する。


「ね、これ、アニメの原作って言われたら普通に信じるやつやけん。喋る猫と、意味深なチャリがあるだけでさ、もう映像、浮かぶもん」


 彼女はそう茶化した。でも確かに、と思う。ありそう、一話完結の短編アニメとして。

 夢崎さんは続ける。


「“わからんまま終わる”ってのが、演出としてしっかり立っとるのがえらいと。喩えが尖っとるわけやないのに、空気感で引っぱっていけるの、語り屋としてめっちゃ強かと思うよ」


 そうコメントした。夢崎さんの言葉を受けて、瀬見さんの瞳が少し潤んだような気がする。


「……はい」


 中本さんも手を挙げた。


「……言葉が少ないぶん、読者に立ち止まらせる力がありました。灰猫を喋らせたあと、何も説明しなかったのが、すごく信頼してる書き方だなって。ずっと、“距離”の話をされてる気がしました」


 とうとう、中本さんのコメントに、瀬見さんは俯いた。顔が隠れて、どんな表情をしているのわからないが、前回の俯きとは違う意味合いのものだろう。


「意味じゃなくて、“気配”のまま残ることもあると思うんです。……私、前回の『夏の日と蝉』、あれ未だに引っかかっていて」


 瀬見さんが、顔をあげる。


「えっ、前のも……ですか……」

 と呟いた瀬見さんの声は、なんだか裏返りそうだった。


「うん。あれ、“死んだあとも、飼われてる感情”っていうか……そういう感触がある」


 その言葉を受けて、頬が紅潮していた。まさか、酷評された前作を褒めてもらえるとは思わなかったのだろう。


「では一度整理します。いくつか共通していたのは、“意味”を明言しないことが読者の感覚に残るという点。“気配”という言葉が印象的でしたね。」


 ある程度感想が出そろって、二島さんはまとめにかかる。


「……つまり、この作品が提示していたのは、“わからなさ”そのものに対する許容、あるいは親しみのような感覚かもしれませんね」


 こういうまとめ方は彼女の司会進行の特徴でもあった。


「“意味のある言葉”ではなく、“話しかけたくなる何か”の方が、残る……というのが、印象的でした。瀬見さん、何か一言」

「……はい……ッス。今後も、こういうのしか書けないんで。……でも、好きな人が一人でもいたら、それで十分ッス」


 瀬見さんはそう宣言して、頭を下げた。パチパチパチパチ。宮北、富戸ちゃん、田代さんがまばらな拍手をする。私もやっておくべきか……と思って、少し遅れて拍手をした。


「では、次に進みましょうか」


 二島さんが言う。次は、冊子の順番的に太会さんの作品だった。今回は、新作だ。

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