文芸サークルは今日も不安定

江都なんか

2年生編(本編)

四月

プロローグ 未提出の原稿



 がらり。部室の扉を開ける。こちらに向けられた視線はなかった。というか、誰もいない。中に在るのは、折り畳み式の椅子に、ロッカーに、書類を入れる用のキャビネット。しん、としていてその静謐さに安堵の息が漏れた。


 入学したての一年前、この文芸サークルの部室に脚を踏み入れた時を思い出す。ノックをしてから扉をスライドしたら、幾つもの視線がこちらに向けられたものだ。あの緊張を思い出す。


 そもそも、私はなぜこの女子大学の文芸サークルに入ったのか。それは、私がどうしても文章を書いてしまう質からだった。少しでも暇ができると、PCに文字を打ち始めてしまう。PCが無くても同じだ。いつの間にか、ノートに言葉を書いてしまっている自分がいる。本当は、それは恥ずかしいことなのだろう。それでも、やってしまう。時には寝る間も惜しんで。端から見れば、それは自慰行為と等しいだろう。何の生産性も無い。だから、私は自分の行為に意味を持たせるために門を叩いたのだ。


 そんな私がこれから直面するのは「合評会に向けての作品の提出」というイベントだ。これから、部員の書いたものを読み合い、そして数日後の合評会で意見を言い合う。毎回思うのだが、忌々しい。というか、読んでくれる人に申し訳ない。でも、自分の書いたことに価値がつくのなら、そこに賭けてみたいという気持ちもあった。


 鞄を置き、折りたたみ椅子を開く。手持ち無沙汰に部誌を読み返していると、「がらがらがら」と静寂が破られた。


「ういーす」


 幼げな高い声をかけられ、視線を向ける。そこには、ピンク頭の地雷系娘がいた。黒と薄ピンクを基調としたフリフリの肩だしワンピースを着用している。後ろ手で扉を閉めた。

 彼女は太会さん。三年生だが、私よりも三つ年上だ。先月「今年も留年しそ~! あはは」と言っていた。つまり、二留生である。彼女は私を見て、にまりと笑う。正確には、私の手元に視線を落として、口に弧を描かせてから、私の顔を見た。


「あんた今日も部誌読み返してた?書かずにはいられない病だね」

「あはは……。そうですね、こんにちは」


 書かずにはいられない病か。本当にそうだ。私の脳みそって、実はどこかおかしいんじゃないか。


「というか、太会さん。新歓は?」


 先日、部長との会話をちらりと聞いたのだが、確か太会さんは新歓のチラシ配り任されていたはずだ。


「サボリ。あんな面倒くさくて意味のないことする意味がないっつーの。どうせ、入りたい奴は後で入ってくるんだし」


 彼女の言葉には、余計な強調がある。それでいて、「そういうの、無駄だよね」と笑ってみせる。どっちが本音かは、私にはまだわからない。

 彼女は腕を組んだ。片手には、チラシの紙束が握られていた。彼女のサボリという言葉に「あはは」と一応笑っておいたが、確かに、言っていることは的を得ている。


 トントン。

「おっ。噂をすれば」


 明らかに、立てられる意思のある音だった。部室の入り口からだ。太会さんが爛々とした瞳で振り向く。私もそちらを見た。


 がらがらがらがら。

「こんにちは! 見学希望です!!」


 明るい茶髪にぱっちりした目元。服装はチュニックにパンツスタイル。表情の作りは、穢れがないというか、快活そうだ。ギャルっぽいのに、女子大に進学するいいとこのお嬢様特有の、純粋培養っぽさがあった。意外と、文芸部は私みたいな見た目からドロドロした陰キャばかりじゃないのだ。文を書きたがる人に、外見は関係ない。


「へえ~!! ここが文芸サークル!! 隠れ家って感じでわくわくしますね!! よろしくお願いしますっ!!」


 子どものようにキョロキョロと、敬礼するように手を額に当てながら部室内に入ってくる。顔は楽しみそうに興奮していた。


「ふはっ、光の申し子が来たよ~! ウェルカムトゥ、文芸サークルぅ!」


 私の先輩はチラシの束を机に放り、パンッ、パンパンと景気よく手を叩いた。だが、私としてはこんな陽キャっぽい子に入部してほしくなかった。というか、私の作品を読んでほしくなかった。太会さんは、見た目が地雷系ギャルだけど、地雷系だから、まあわかる。でもこんなフワフワ明るそうな子に、私の作品の良さがわかるわけがない。「え……ちょっとよくわからなかったです」って。実際は、図書館に並ぶ本よりもテレビでやっているドラマの方が好きで、男性俳優にキャーキャーしているだけなんじゃないか。そんな私の複雑な心境をお構いなしに、太会さんと新入生は会話する。


「新入生? そのキラキラした表情は絶対そうだよね」

「はい!! そうですっ!!」

「名前を訊いてもいいかな? 彼女とか貴方とか、そんな呼び方ばかりしていたら、つまらない退屈な話のリズムになるから」

「な、なるほど……!? 参考になります!! あっ、わたしは宮北です!!」

「へえ、宮北チャンね」


 太会さんが名前を復唱する。彼女は宮北というらしい。言動にたがわず箱入り娘っぽい苗字だ。


「えっへへへ。わたし、この文芸サークルに受験前から入るつもりでした!」

「じゃあ、なんで来たの?」


 あちゃー。太会さん、新入生相手に結構トばすわね。私は思った。

 太会さんの「なんで来たの?」とは、「帰れ」という意味ではなく、「私は貴方を試しているよ」という意味だ。いや、人によってはそれは同意義か? ともかく、ほやほやのヒヨコちゃん相手に言うことではない。大方「えっと……」と返答に困るだろう。


「言葉って、すごく力があると思うんです」


 しかし、予想外に彼女は返答に詰まることなく答えた。太会さんに対して真っすぐな瞳で。


「力……?」


 私の口から洩れていたらしい。宮北は「はいっ!!」と笑顔でこちらに頷いた。そして、目を伏せる。


「言葉って、人の嫌な気持ちとか、傷ついた気持ちを救えるんですよ」

 彼女の外見や先ほどの言動からは想像がつかないほど、落ち着いた、優しい声だった。そして、ニパリと顔をあげて微笑みながら、私と太会さんの顔を順に見る。


「だからわたしも、そんな言葉使いになりたいです!」


 声の明るさは先ほどに戻っていた。何も考えて無さそうな高い声。太会さんとは違う、ねちっこい甘さが無い代わりに生命力にあふれた声。

 私は、彼女の「深み」のようなものをこの数秒で感じた。


 がらがらり。また新たな来客が来たようだ、と思って顔を向けたら、そこには部長の男川さんがいた。宮北を見て、ぱちりと瞬きをする。


「……新入生か」


 男川、とあるけど彼女はれっきとした女である。ただし、苗字のせいか性格や口調は女っぽくないが。なんなら、怖い。


「はいっ! わたし、宮北と申します」

「部長の男川だ」

「よろしくお願いします!!」

「ああ」


 男川さんが扉を閉める。がらがらり。片手には、B5くらいの紙を持っていた。男川さんは私と太会さんを見てから、後ろのコルクボードに向かった。付近の画鋲入れから画鋲を取り出し、紙をボードに貼る。貼りながら言う。


「お前ら、新歓中でも作品提出は通常通りだぞ」

「はいは~い」


 太会さんがお気楽そうに言うのを尻目に、私は小さな声で「はい、」と言った。


 私の提出作品は、部室の隅の鞄の中だ。中にある紙束を思うと、胸が重苦しくなって、呼吸をしづらくなる。誰にも気づかれないように、息を深く吐いた。

 本当は、読まれたくない。

 自分の可能性を試してみたい気持ちはある。けど、それでだめだったらと思うと、怖い。

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