【第12話 熱風の陣】


 学院の空に、朝の鐘が響いていた。


 その音が、いつもより心なしか硬質に聞こえるのは、きっと今日という日が特別だからだろう。




 入学から数日。


 生徒たちは初めて、実戦形式の魔法授業──模擬戦闘に臨むことになる。




 訓練場に整列する五十名ほどの一般クラス生。


 空は晴れ渡り、風は穏やか。だがその空気には、明らかな緊張が漂っていた。




 教師が壇上に立ち、淡々と告げる。




「今日から数日間、模擬戦闘訓練を実施する。対人戦闘の基本技術を身につけるのが目的だ」




 その声は魔力を帯びて共鳴し、場の全体に届いていた。




「使用を許可するのは、初級術式のみ。ただし組み合わせに制限はない。 ただし、使用する宝石は指定のものに限り、魔力出力は“実戦の三割以下”に調整された状態とする」




 講師の横には、赤、黄、青の三色に光る宝石が並んでいる。


 それぞれ、ルビー(熱)、トパーズ(衝撃)、アクアマリン(風)の系統。




 実技試験用に用意された専用の制限宝石だ。


 いずれも直径は小指の爪ほど、魔力の暴走を防ぐ封印術式が組み込まれている。




 参加者は、その中から自らの得意とする魔法の属性を選び、戦闘を行う。


 格闘系の訓練に比べ、魔法戦闘では“使い慣れた術式”の有無が明暗を分けるとされる。




 ファン・レイ・ミルスは、講師の説明の間も一切揺らがない姿勢で宝石を見つめていた。




 彼が手に取ったのは、鮮やかなルビー、濃い黄金色のトパーズ、そして淡く澄んだアクアマリン。


 火・衝撃・風──いずれも攻撃的な属性だ。




 それは、かつて「熱風派」と呼ばれた戦術を地で行く組み合わせだった。




 術者が用いる魔法の傾向は、単なる属性の選択ではない。


 それは、個人の“思想”をも映し出す鏡だ。




 ファンの目に、迷いはなかった。


 宝石をそれぞれ胸元のソケットに嵌め込むと、片手で静かに服の裾を整える。




 その動きには、舞台に立つ役者のような洗練された美しさがあった。




 ◆




 一方、対するハルト・ヴィスマールも、やや緊張の面持ちで立ち上がる。




 彼はルビーではなく、アクアマリンとスモーキークォーツを選んだ。


 風と土──瞬間的な移動と、簡易な障壁・地形操作を目的とした、守備寄りの構成だ。




(……悪い相手を引いたな)




 そんな内心を押し隠しながらも、彼は丁寧に呼吸を整える。


 格闘術を好む彼にとって、魔法は“補助”であり、中心ではない。




 だが、魔法のみで行うこの模擬戦において、逃げも隠れもできないのは分かっていた。




「第一試合──ファン・レイ・ミルス 対 ハルト・ヴィスマール」




 名前が呼ばれる。


 訓練場が静まり返り、緊張が空気に濃くなる。




 二人は前へと進み、中央の魔力円陣の上に立った。




 ファンは構えを取ることすらせず、ただ背筋を伸ばして相手を見据えている。


 それだけで、まるで余裕の壁のように見えた。




 ハルトは深く息を吸い、胸に手を当てた。


 宝石に魔力を流す準備ができている。タイミングを見誤れば、一瞬で飲まれる。




 対照的なふたり。


 攻めと守り。主導権と対応力。




 周囲の生徒たちも、息を潜めて見守っていた。




 教師が手を掲げ、静かに振り下ろす。




「──始め!」




 魔力が跳ねた。


 それは、このクラス初の“戦い”の始まりだった。




 ◆






 掛け声と同時、ファンの魔力が沸き立つ。




「《火刃かじん》!」




 炎が閃く。刃のように形成された熱が、ハルトの目前へと迫る。




「《土盾どじゅん》!」




 ハルトが反応し、地面が立ち上がる。だが、ファンの魔法は鋭かった。


 火刃が盾をえぐり、熱気がその奥にまで届く。




 視界が歪む中、ファンは続けて足元に魔力を流す。




「《突風とっぷう》!」




 吹き上がる風が、盾の残骸と砂塵を巻き上げ、ハルトの視界を奪う。




(これが──“熱風派”か!)




 観戦していた生徒の一人が、思わず声を漏らす。




 炎熱によって空間を支配し、突風と衝撃で敵のバランスと集中を乱す。  格闘技術を前提としない魔法使いにとって、もっとも理にかなった、攻撃的な戦闘スタイル。




 まさに「風の熱で追い詰める」魔術のかたち。




 ◆




 ハルトは咄嗟に距離を取る。




「《軽歩けいほ》!」




 風の補助を脚に宿す。重力の一部を削るようにして後退し、息を整える。




(……近距離で受けきるのは無理だ。なら……)




「《土縛どばく》!」




 土の魔力を編み、足元に罠のように伸ばす。


 相手の踏み込みを一瞬でも鈍らせれば、反撃の余地はあるはず。




 だが――




「読んだよ、《火刃》!」




 ファンの炎刃が再び走る。


 攻めながら、足元の土魔法を焼き払う。


 熱風とともに、細やかな制御をもってその策を封じた。




(速い……!)




 ハルトの表情が歪む。回避する間もなく、再度、突風が巻き起こる。




「《突風》、重ねる!」




 真横から吹きつける風に煽られ、体勢が崩れる。


 そのまま、ファンは距離を詰め──




「《火刃》、決着だ!」




 炎の剣が、ハルトのすぐ前で炸裂する。


 結界が展開され、直撃を防いだが――講師の合図とともに、試合終了の鐘が鳴った。




 ◆




「勝者、ファン・レイ・ミルス」




 静寂の後に拍手が起きる。


 ファンは背筋を伸ばし、軽く一礼してから、静かに対戦相手へと視線を向けた。




「……悪くなかったよ、君の防御。あと一歩、読みが早ければ危なかった」




 ハルトは肩で息をしながらも、わずかに口元を緩める。




「ありがとう……強かった」




 観戦席では、幾人かがファンの戦法に深い感嘆を漏らしていた。




「熱風派って、こういう戦い方なんだ……」




「連携と圧力、すごく綺麗だった……」




 模擬戦は、ただの勝ち負けでは終わらない。  見て、知り、学ぶ。  そうして、これからの「戦い方」が、少しずつ育っていく。


 ──土煙が静かに収まる。


 訓練場の空気に、戦いの余韻がまだ残っていた。




 勝者の名は言わずとも明らかだった。




 ハルト・ヴィスマールは、転がるように地に伏していた。


 肩で息をしながらも、目は諦めていなかった。


 ──だが、追いつけなかった。




 ファン・レイ・ミルスの動きは、一つ一つが無駄なく、研ぎ澄まされていた。


 炎の一閃で足場を崩し、衝撃の一打で相手の体勢を狂わせ、風の一突で空間そのものを断ち切る。




 まさに、“熱風”そのもののような立ち回りだった。




「すげえ……これが、“熱風派”ってやつか……」




 トーヤがぽつりとつぶやいた。


 その呟きが、周囲の感嘆の代弁だった。




 この国の東方──特に風の強い平野部では、かつて“熱風派”という魔法戦闘術が一世を風靡した時代があった。


 それは宝石の属性に依らず、**「熱・衝撃・風」**という三系統を組み合わせて戦う実戦型の戦法だった。




 身軽で、反応が速く、地形を問わず戦えることが特長だったが、


 現在では「過去の技」とされて久しい。




 最大の理由は、「風魔法」に対する規制の強化。


 制御が難しく事故も多発した結果、市街地での風魔法の使用は厳しく制限され、道場の多くは閉鎖を余儀なくされた。




 ファン・レイ・ミルスの祖父がかつて開いていたのは、その中でも最大規模の熱風道場だった。


 貴族・庶民の別を問わず門戸を開き、地域一帯の戦闘技術の底上げに貢献した、名門だった。




 だが、風魔法の制限以降、道場は衰退。


 今では、道場生は両手で数えられるほどしか残っていない。




 ファンは、祖父に憧れていた。


 幼いころから訓練場で彼の技を見て育ち、いつかあの“風のように自由な動き”を手に入れたいと願ってきた。




 ──その願いが、今この学院で形になり始めている。




「……やるじゃないか。あれが“本物”か」




 訓練場の端から見ていた担任・グラントが、唸るように言った。




「事故防止の名目で死んだ戦法……そう言われて久しいが、見事に再構成されてるな。 制限下でもあれだけの連携ができるなら、戦術としては今でも十分に通用する」




 彼の言葉に、隣の副講師も小さく頷いた。




「初等出力で、あそこまで組み立てられるのは驚きですね……特に風の制御精度は、“昔の型”の再現に近い」




「いや、ただの再現じゃない。あれは、未来に繋げようとしている技術だ」




 グラントの目は、ファンの背中を真っ直ぐに追っていた。




 ◆




 勝者が中央から引き、試合は次へと進んでいく。




 ファンは静かに列に戻る。


 その表情は、驚くほど冷静だった。




 だが、彼の拳は気づかぬほど小さく震えていた。


 勝ったことが嬉しかったのではない。


 ──道場の名が、誰かに届いた。それが、なによりも嬉しかったのだ。




(祖父さん……少しは、近づけたかな)




 その思いを、誰にも見せず。


 ファンは、また静かに目を閉じた。

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