第13話 「夢に滲む声」

闇の中に、炎が揺れていた。

 御簾の向こうで、白い衣をまとった女が泣いている。


 ――光さま。

 どうか、私を忘れないで。


 その声が、確かに耳に届く。伸ばした手は、熱に阻まれ、何も掴めなかった。


「……っ!」


 光源次は跳ね起きた。額には冷たい汗。枕元の時計は午前四時を指している。

 胸の鼓動は荒く、だが夢の内容を言葉にしようとすると、霞のように消えていく。


「……また、あの夢か」


 手で顔を覆い、重く息を吐いた。


 翌朝、藤ヶ原グループ本社。

 紫は提出資料の修正に追われていた。数字がうまく合わず、何度も再計算を繰り返す。


「……どうしよう」


 小さくつぶやいたそのとき、背後から落ち着いた声がした。


「ここ、抽出条件が違う。僕が直す」


 振り返ると、光源次が迷いなくキーボードを叩き、数値が整っていく。


「……ありがとうございます」


「藤木さんは、焦っても手を止めない。そこが強みだ」


 紫の胸に熱が走る。けれど同時に――(光さんと、葵さんは……)と、思考が揺れた。


 昼休み、喫茶室。

 紫がお茶を淹れていると、背後から声がする。


「……紫さん」


 振り向けば、葵雅がいた。きちんとしたスーツ姿、凛とした眼差し。


「今日の資料、光さんと一緒に仕上げたのね」


「……ええ。少し助けていただいて」


「ふふ。昔からそう。あの人は、誰かを見放さない。でも――近づくと、苦しくなるの」


 柔らかな微笑み。だがその裏に、揺れる感情が滲んでいた。


「紫さんは強いわ。だから、彼に選ばれるかもしれない」


 紫は返事を失い、ただ小さく会釈した。


 夕方。

 業務を終えかけた紫のPCに、見慣れないメールが届いた。差出人は「不明」。件名はただ一言――


 《織り直される糸》


 震える指で本文を開く。


 ――春の苑、名を呼びて涙こぼる……光と紫、再び相見えり。


「……え?」


 心臓が高鳴り、画面を閉じようとした瞬間。背後から足音が近づいた。


「どうかした?」


 六条玲香だった。紫は慌ててマウスを動かすが、一瞬だけ画面が彼女の視界に映ったらしい。


 玲香の瞳が細められる。


「……その言葉。聞き覚えがあるわ」


 低く呟くと、彼女は何も言わずに去っていった。


 残された紫は、冷たい汗を感じながら画面を見つめていた。


(どうして、私にこんな……?)


 その夜。

 再び夢を見た源次は、御簾の向こうの声を追いながら目を覚ます。


「……俺は、何を見ているんだ」


 答えのない問いだけが、夜の静けさに溶けていった。



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