第二十二話 漆黒の翼、希望の光

けたたましい警鐘の音は、王城の静寂を無慈悲に引き裂いた。それはまるで、悪夢の始まりを告げるファンファーレのようだった。健太は練習用の剣を握りしめ、燃えるような決意を瞳に宿して自室を飛び出した。廊下は既に戦場と化し、鎧をまとった兵士たちが怒号を上げながら行き交い、剣戟の金属音がそこかしこで鳴り響いていた。窓の外には、月明かりを遮るように舞う、おびただしい数の漆黒の翼。それは紛れもなく、昨夜見た獣のような影の群れだった。

「ルナリアさんっ……!」

健太の脳裏に浮かぶのは、ただ一人、守るべき人の姿。彼女のいるであろう執務室を目指し、瓦礫が散乱する廊下を疾走する。途中、翼を持つ魔物と交戦する兵士たちの姿が目に入った。魔物は鋭い爪と牙で容赦なく襲いかかり、兵士たちは必死にそれを押し留めている。健太は逡巡する間もなく、数体の魔物が兵士に襲い掛かろうとしているのを見て、その間に割って入った。

「うおおおおっ!」

雄叫びと共に振るった剣は、まだ荒削りながらも、訓練で培った力と、仲間を守らんとする強い意志が込められていた。剣先が淡い黄金色の光を帯び、魔物の一体を薙ぎ払う。怯んだ隙に、兵士たちが体勢を立て直し、魔物を囲んで仕留めた。

「助太刀感謝する、若者よ!」

「ここは我らに任せて、姫様の元へ!」

兵士たちの言葉に頷き、健太は再び走り出す。胸に込み上げるのは、恐怖よりもむしろ、不思議な高揚感だった。あの倉庫での出来事、ルナリアの温もり、そして芽生え始めた確かな想い。それが今、健太の全身に力を与えているのを感じていた。

執務室の扉を蹴破るように開けると、そこには凛とした立ち姿のルナリアがいた。その手には、普段手にすることのない、白銀に輝く儀式用の杖が握られ、周囲には蒼白い魔力のオーラが渦巻いている。傍らには、抜き身の長剣を構えたガルムが、鉄壁の守りとして控えていた。窓の外では、既にルナリアが放ったであろう魔法の閃光が、漆黒の翼を撃ち落としている。

「健太くん!無事だったか!」

健太の姿を認めたルナリアの翡翠色の瞳に、一瞬安堵の色が浮かんだが、すぐに魔王としての厳しい表情に戻る。

「遅いぞ、健太。宴の準備はとうに整っている」

「すみません!道が混んでて!」

軽口を叩きながらも、健太はルナリアの隣に並び立ち、剣を構える。その背中からは、以前のような頼りなさは消え、ルナリアと肩を並べて戦うに足る覚悟が滲み出ていた。ガルムが厳しいながらもどこか満足げな視線を健太に送る。

「新手か!次から次へと……!」

窓ガラスが甲高い音を立てて砕け散り、数体の翼持つ魔物が執務室へとなだれ込んできた。その中には、ひときわ大きな体躯を持ち、禍々しい赤い瞳を爛々と輝かせるリーダー格と思しき魔物の姿もあった。

「『禁忌の先兵』……ようやくお出ましか。余興はこれまでだ」

ルナリアの声は氷のように冷たく、しかしその奥には燃えるような闘志が秘められていた。彼女が杖を振り上げると、部屋中の空気が震え、魔力の奔流が杖先に収束していく。

「健太くん、合わせろ!奴らの動きを止める!」

「はいっ!」

健太はルナリアの言葉に応じ、リーダー格の魔物に向かって突進する。狙うは一点、その動きを封じること。ルナリアの強力な魔法が発動するまでの時間を稼ぐためだ。

「邪魔をするな、小僧!」

魔物のリーダーが巨大な爪を振り下ろす。健太はそれを紙一重でかわし、懐に飛び込むと、渾身の力を込めて剣を横薙ぎに振るった。黄金色の光が迸り、魔物の体勢をわずかに崩す。その瞬間を、ルナリアは見逃さなかった。

「凍てつけ、万物!『絶対零度の氷棺(アブソリュート・ゼロ・コフィン)』!」

ルナリアの詠唱と共に、杖先から絶対零度の冷気が凝縮された光線が放たれる。それは一直線にリーダー格の魔物へと向かい、その巨体を瞬く間に分厚い氷の塊へと変えてしまった。他の魔物たちも、その圧倒的な魔力の前に動きを止め、ガルムの正確無比な剣技によって次々と斬り伏せられていく。

「す、すごい……これがルナリアさんの本当の力……」

健太は息を呑んだ。今まで垣間見てきた力とは比べ物にならない、まさに魔王と呼ぶにふさわしい絶大な魔力。しかし、それと同時に、先ほど自分があの強力な魔物の動きを確かに止めたという事実が、健太の胸を熱くした。

「まだだ、健太くん!本隊はこれからだ!」

ルナリアが叫ぶのとほぼ同時に、王城の中庭の方角から、地響きと共に巨大な爆発音が轟いた。空が不気味な赤黒い光に染まり、城壁の一部が崩れ落ちるのが見えた。

「あかりっ!」

健太の脳裏に、妹の顔が浮かぶ。あかりは、ガルムの指示で比較的安全な王城の奥の部屋に避難しているはずだったが、この状況では安心できない。

「ガルム!あかりの様子を!」

「御意!」

ガルムは一礼すると、風のように執務室を飛び出していく。

「健太くん、行くぞ!あれは……おそらく奴らの指揮官だ。ここで食い止めなければ、王都が火の海になる」

「はい!」

二人は視線を交わし、頷き合う。そこに言葉はなかったが、互いの想いは確かに通じ合っていた。守りたいものがある。そして、隣には信頼できる仲間がいる。それだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。

崩れた城壁から中庭へと降り立つと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。数十体の翼持つ魔物を従え、悠然と佇む一体の巨大な魔獣。それは、漆黒の鱗に覆われたドラゴンのような姿をしており、その全身からは絶望的なまでの威圧感が放たれている。先ほどの爆発は、この魔獣のブレスによるものだろう。

「ククク……ようやく見つけたぞ、最後の魔王の血族よ。そして……忌まわしき光の勇者の末裔か」

魔獣の口から、地獄の底から響くような低い声が発せられた。その声は、健太の心臓を直接掴むような不快な響きを持っていた。

「貴様らが、『禁忌の先兵』の頭目か」

「いかにも。我が名は、破壊の将『ヴァルギリオス』。魔王よ、おとなしく我らに降伏し、その力を差し出すがいい。さすれば、民の命だけは助けてやらんでもない」

ヴァルギリオスの言葉に、ルナリアは嘲るように鼻を鳴らした。

「戯言を。貴様らの目的は、世界の破壊であろう。それに手を貸すほど、私は愚かではない」

「ならば、力ずくで奪うまでだ!」

ヴァルギリオスが咆哮すると、周囲の魔物たちが一斉に襲い掛かってきた。健太とルナリアは背中合わせになり、四方から迫る敵を迎え撃つ。健太の剣が黄金の軌跡を描き、ルナリアの魔法が白銀の閃光となって炸裂する。それはまるで、絶望の闇夜に灯った二つの希望の光のようだった。

健太は戦いながら、自分の内なる力が、先ほどよりもさらに澄み渡り、制御しやすくなっているのを感じていた。ルナリアを守りたい、彼女と共に戦いたいという強い想いが、彼の潜在能力を急速に開花させているのだ。

「ルナリアさん、あいつの狙いはあなたです!俺が引き付けます!」

「無茶だ、健太くん!あれは格が違う!」

健太はルナリアの制止を振り切り、ヴァルギリオスに向かって一直線に突進した。無謀とも思える行動だったが、今の健太には不思議な確信があった。

「お前の相手は、この俺だ!」

健太の手のひらに、今までにないほど強大な黄金色の光が集束していく。それはまるで、小さな太陽そのものだった。ルナリアは目を見張った。あの庭園での訓練の時とは比べ物にならない、圧倒的な光の奔流。

「ほう……面白い。勇者の力か。だが、それで我が止められると思うなよ!」

ヴァルギリオスが巨大な口を開き、破滅的なエネルギーを秘めた黒炎のブレスを放とうとする。絶体絶命のピンチ。しかし、健太の瞳には一切の迷いも恐怖もなかった。彼の心は、ただ一つの想いで満たされていた。

(ルナリアさんを、この世界を、俺が守る!)

その瞬間、健太の全身から黄金のオーラが迸り、彼の背中に、まるで光で編まれたかのような幻の翼が広がるのが見えた。それは、かつて世界を救ったと言われる伝説の勇者が持っていたという「希望の翼」に酷似していた。

「なっ……!?」

ヴァルギリオスが驚愕の声を上げる。ルナリアもまた、その神々しいまでの光景に息を呑む。

健太が右手を突き出すと、凝縮された黄金の光が、一条の閃光となってヴァルギリオスのブレスと激突した。二つの強大なエネルギーがぶつかり合い、凄まじい衝撃波が周囲に拡散する。闇を切り裂く希望の光は、拮抗の末、ついに黒炎を押し返し始めた。

「馬鹿な……この我が……人間の小僧などに……!」

ヴァルギリオスの焦りの声が響く。健太の光はますます勢いを増し、ついに黒炎を完全に飲み込み、ヴァルギリオスの巨体に直撃した。断末魔の叫びと共に、ヴァルギリオスの巨体が光に包まれ、そして……。

激しい光と爆風が収まった時、そこには膝をつき、荒い息を繰り返す健太の姿があった。ヴァルギリオスの姿はどこにもなく、残されたのは焦げ付いた地面と、静まり返った王城の中庭だけだった。周囲の魔物たちも、主を失ったことで統率を失い、次々と兵士たちによって討伐されていく。

「健太くんっ!」

ルナリアが駆け寄り、健太の体を支える。彼女の翡翠色の瞳は、安堵と、そして今まで見たことのないほどの強い輝きを宿して、健太を見つめていた。

「やった……のか……?」

「ああ……君が、やってくれたのだ。健太くん……君は、本当に……」

言葉を詰まらせるルナリア。その頬を、一筋の涙が伝った。それは、絶望の淵から救い出された安堵と、目の前の少年の奇跡的な成長に対する感動の涙だった。

健太は、ルナリアの温かい腕の中で、薄れゆく意識の中、確かな満足感を感じていた。守りたかった人を守れた。そして、自分の中に眠っていた未知の力が、確かに目覚めたことを。

しかし、これはまだ序章に過ぎないのかもしれない。ヴァルギリオスは言った。「最後の魔王の血族」そして「忌まわしき光の勇者の末裔」。彼らの背後には、さらに強大な黒幕がいることを、二人はまだ知らなかった。

夜明け前の薄紫の空の下、瓦礫と化した王城の一角で、二つの魂は静かに、しかし確かに絆を深めていた。新たな脅威の影がすぐそこまで迫っているとも知らずに。戦いはまだ終わらない。しかし、二人の心には、絶望を打ち破る確かな希望の光が灯っていた。


(第二十二話 完)

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