七、来訪者
障子を開けて庭に咲いている、色とりどりの花を遠目でぼんやりと眺めながら、部屋の隅で膝を抱えて座っていた
(どうしよう……落ち着かない)
いつも四畳半の、ここの半分もない場所で過ごしてきた楪にとって、この広い部屋はなにをして過ごせばいいかわからなくなるくらい、途方もない場所に思えてきた。
開け放った障子の向こう側に見える庭はとても美しく、外から差し込む光でじゅうぶん明るいこの部屋は、あの薄暗かった部屋とは比べ物にならないくらい立派だった。
(今になって、最後に見た一番狭い物置部屋がいいだなんて……
それにせっかく銀花が選んでくれた部屋だ。
「……銀花様、」
ぽつり、と名前を呟く。思えば、両親の名前さえ出てこない。自分の名前以外で、唯一知っている名前。そう言えば、この社には自分と銀花のふたりだけしかいないのだろうか。そんなことをふと思ったその時、急に目の前に現れた影がひとつ。
「おや、可愛らしい。こんな可愛らしい子なら、あの子が十五年もこっそり見守っていたのも頷ける」
膝を抱えたままぽかんとしている楪をよそにひらりとそこに舞い降りたのは、長い黒髪を後ろで緩く三つ編みにしている二十代後半くらいの美しい女性だった。白い着物の上に薄緑色の羽織を纏い、左耳を飾る銀の耳飾りが反射して輝いて見えた。
「ふふ。はじめまして、花嫁さん。私はこの地の土地神だよ?」
「…………は、はじめまして! 楪と申します!」
ぼけっとしていた楪は、先ほどまで障子の奥にいたはずの女性が一瞬にして自分の目の前に現れたことに対して、しばらく言葉が出なかったが、思い出したかのように挨拶を返した。今、土地神と言っていたような?
「楪ちゃんね。じゃあユズちゃんって呼ぼうかな。私のことは
「はい、水月様?」
大きな翡翠色の瞳に吸い込まれそうになる。女性かと思っていたが、よく見たら男性のようだ。楪は立ち上がって改めて水月を見上げる。思ったよりも背が高く、銀花とあまり変わらないかもしれない。そこに立っているだけで後光が差しているかのような。そんな輝かしさを秘めた不思議なひとだった。
「今日は結婚祝いを持ってきたんだ。丁度良かった、まだなんにもない状態で。じゃあユズちゃん、ここから好きなの選んでくれるかな?」
え? と楪は首を傾げて口を半分開けたまま、呆然と立ち尽くす。水月が手を広げた瞬間、彼の後ろに立派な家具や着物や装飾品がいくつも現れ、どんどん増えた結果、気付けば部屋を埋め尽くしてしまっていたのだ。
目をまんまるにしている楪の肩を抱き、どれが好き? これも似合うね? と手に取った着物をあてがい、選んでと言いながらも自分で勝手にあれもこれもと選んでいく。
「あ、あの、こんなに……困ります。銀花様にも訊いてみないと」
「どうして? 君が好きなもの、どれでもいいって言ってるのに、なんであの子に訊く必要が? あ、そっか。旦那様色に染まりたいってやつかな? それも確かにいいよね」
ええっと、と思考が追いつかず、楪はあたふたとしてしまう。そういう意味ではなく、そもそも見ず知らずの神様が、なぜ自分などにこんな立派な物を与えようとしているのかがわからず、ただただ困惑していた。
「でも君が使う物なんだから、君が選ぶのが一番だよ。さ、どれがいい?」
「水月様」
銀花様! と楪は助けを求めるように声がした方を振り向く。部屋の襖がいつの間にか開いていて、そこに立つ銀花の姿に安堵する。しかし水月は楪の肩を抱いたまま、全然離してくれない。駆け寄りたいのにそれが叶わず、楪は「あ、あの、えっと、」と、おろおろとふたりを交互に見上げることしかできなかった。
「俺の留守中にわざわざお越しくださるとは、どういうおつもりで?」
「君の想いびとがどんな子か気になって早めに着いちゃっただけだよ。たまたま君がいなかっただけでしょ? それともここに来るのに君の許可がいるの? 私は君より偉いんだよ?」
なんせ土地神だからね! とふふんと自慢げになんの悪気もなくそう言い切った水月に対し、銀花は楪を自分の方へと引き寄せて「それはそれ、これはこれ」と冷静に対応する。
「すまない。驚いたろう? 水月様、一旦それを片付けてもらっても?」
「仕方ないなぁ。じゃあこれとそれとあれと、それからこれを君にあげよう。私からの贈り物だよ。ありがたく使ってね?」
「は、はい。ありがたく使わせていただきます……」
銀花の腕の中で、こくこくと頷いて水月に御礼をする。結局、ぜんぶ水月が選んだ物で部屋が飾られていく。あれとかこれと水月が口にするたびにその家具たちが部屋に設置され、最後に楪が着ていた白無垢が上等な白い着物に一瞬で変わった。
先ほどまで着ていた白無垢は部屋の隅に置かれた衣紋掛けに掛けられ、代わりに与えられた小紋が施された白練の着物に淡い浅葱色の帯が楪を飾った。
「じゃあ、主役が揃ったところで、そろそろ始めようか」
言って、水月は自身の唇に人差し指を当てると、楪の方を見てにっこりと笑った。
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