第4話 ゼロの衝動─④
指輪を作ったことすら知られている。親戚の叔父が全部ばらした。みんなみんな、敵だった。
「殺すなんて、そんな言葉は使ってはいけない」
「本気でそうしようと思ってないです。あくまで選択肢の問題で。俺はこのままでいいと思ってます。きっと母からは部屋から出てこないとかいろいろ聞いてると思いますけど。部屋にこもっているのは勉強しているからで、たまにサーフィンをしに海へいくのは、身体が鈍るからです。自分の人生は、先まで見てる。けど、それは他人であるアンタには言いたくない」
きっぱりと告げた。すべて本心だった。母の心配も判る。弟の怨恨も判る。全部全部、自分自身が生み出したことだ。
九条海人を殺す以外の選択肢は、一つしかない。
「お母さん、彼方君は将来のことをよく考えています。彼方君と彼方君の考える将来を話し合ってみてはいかがでしょう」
母に見つめられ、彼方は観念した。
「今日、父さんが帰ってくるだろ。そのときに言うよ。部屋に戻る」
久しぶりに父の顔を見た。漁師をしている父は、数週間帰ってこないこともある。
家族全員揃ったわけではない。弟は部屋にこもったままだ。
「お前とこうして将来を語り合うなんて、初めてのことじゃないか」
父も学校での出来事は触れない。
父が帰ってきた日は海の幸が並ぶ。刺身や煮付け、出汁の効いたみそ汁だ。
「俺さ、ここを出ようと思う」
間が怖かった。けれど負けていられなかった。
「出る、とはどういうことだ?」
父は穏やかに尋ねた。
「高校は学生寮のあるところで勉強したい」
「勉強ならここでもできるだろう」
「それ、本気で言ってるのか?」
「何を学びたい? それが将来のためになるのか?」
尋問よりの質問だ。
彼方も大きく間を開けた。怖くて怖くて、逃げ出したい。
「俺は……海洋学を学びたいんだ。神奈川に高校から学べる学科がある。海や海の生物について学んで、将来は生物たちを守りたい」
「漁師を継ぐ選択肢はないのか?」
「なんであると思ってるんだ? 俺が今まで一度でも継ぎたいと言ったか?」
家業というわけではないが、祖父も父も漁師だ。一家に男の子が生まれ、幼い頃から「継ぐ人ができて良かったね」と村人たちから言われているのを飽きるほど聞いている。それが子供にどんな影響を与えるかも知らずに。
「一つ、聞いていいか?」
「ああ」
父は母と目配せする。あの質問がくる、と身構えた。
「お前は、男が好きなのか?」
彼方は目を閉じた。彼と出会って、名前をつけられないと思った。そして名前をつけたくない。
「少なくとも、俺の心はここにはない」
答えになっていない。自分は誰を好きであっても、島に心の欠片すら置いていかない。
「条件がある」
「ちょっとあなた……」
「お前が本気か知りたい。向こうの高校を受験して、落ちたら諦めて島に留まれ」
「判った。それでいい」
母は泣いていた。また泣かせてしまった。
彼方は母に声をかけなかった。ご飯を急いでかき込み、今は一分一秒と時間を無駄にせず、勉強に集中したかった。
中学三年に上がると、彼方は登校した。
何の前触れもなく突然現れた異物に対し、クラスメイトは驚愕している。
登校してからも、休み時間も、給食の時間ですら彼方は勉強した。親に通わされるはずだった高校よりも、はるかにレベルが高い。平均点の点数では、とても受かる高校ではなかった。
体育の授業では、ひとりトイレで着替えた。海人は何か言いたげだったが、徹底的に存在しない者として扱った。
中学三年の三月、彼方に春が訪れた。文句の付け所がない。受かる自信はあった。テストが終わった後も、彼方は高校の予習をし続けた。
「彼方、ご飯よー」
母が呼んでいる。骨と皮だけだった一年前に比べれば、母はふっくらした。無理に笑顔を作ることはなくなった。
「ちらし寿司……」
「好きでしょ? しばらく食べられないからね」
珍しく弟も席についている。
「明日さ、家を出ようと思う」
「えっ明日?」
弟も顔を上げた。
「寮に早く慣れて勉強したいし」
「明日は卒業式じゃない! お友達に挨拶とかあるでしょう?」
「友達? なにそれ」
「彼方、何も明日じゃなくてもいいじゃないか」
父も呆れたように言う。
「卒業証書とかはいらない。捨てておいて」
「行けよ。さっさと。ホモと同じ家にいるなんてまっぴらだ」
「ちょっと、幸介!」
「コウもそう言ってるし、俺は早めに出るよ」
「兄さんのせいで俺は学校でどんな目にあったと思ってるんだよ! ホモと交換した指輪なんか捨てろよ気持ちわりいな!」
彼方は悠然と幸介を見つめる。幸介は目が泳いだ。
「お前の命より、俺は指輪が大切だよ」
残酷で非情な言葉を吐いた。幸介はわけのわからない言葉を叫び、部屋へ閉じこもった。
「ちらし寿司、美味いよ」
彼方は何事もなかったかのように、食事を食べすすめた。
何かが欠けてしまっている。ずっとずっと心に穴が空いている。
「ねえ、彼方……神奈川で良いお医者さんに……」
「母さん、俺は異常者でいい」
勉強をしていれば、何も考えなくて済む。大切なものを作らず、勉強に集中すれば人生の肥やしにもなる。
早くここをさよならしたいと、明日への希望に満ちていた。
高校を首席で卒業した彼方は、大学へと進学した。海洋生物学科であり、本格的に海の生物について学ぶことを決意した。
制服や卒業アルバムなどは早急に処分し、さっさと学生寮を後にした。
新しい学生寮は、高校で世話になった寮より新しい。今までの寮は年季の入りが他とは比べものにならないくらいで、足音がよく響いた。海賊が襲ってきてもすぐに気づける。
青空から降る桃色の花びらは、顔面を痛めつけてくる。季節を感じる余裕もなく、情緒が乱れに乱れる。
昨日は雷雨、今日は強風。四月の新しい生活を拒絶しているかのような、荒々しい新生活だった。
二つの荷物を抱えて寮の中へ入ると、ロビーで名前を告げた。「あーはいはい。昨日連絡くれた子ね」
女性は大きな声で笑うと、笑い皺が出来る。
「すみません、本当は昨日到着するはずだったんですが」
「いいよ。彼方みたいな子は他にもいるからね。昨日は本当に天気悪かったわねえ」
いきなり名前を呼ばれ、息が止まってしまった。仲良くなれる秘訣でもある。彼方にはなかなかに難しい。
昨日の交通の便はほぼ息をしていなかった。彼方も電話をして新しい学生寮へ行くには一日ずらすと連絡をしたのだ。
「大学入学おめでとう」
「……ありがとうございます」
「はい、これは鍵ね。なくしたら弁償だから、絶対になくさないように」
慣れた手つきで渡された鍵を、彼方は両手で包んだ。
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