Kの因縁とゼロの衝動─珊瑚の繋がる物語─
不来方しい
第1話 ゼロの衝動─①
慣れ親しんだ碧海は底が透けて見え、太陽の光を返照していた。
観光客は多いが、泳ぐ人はほとんどいない。数年前、村人以外は遊泳禁止例が出されたためだ。靴を脱いで足だけ海に浸かる程度ならば観光客も許されている。はしゃぐ小さな子供を見ていれば入らせてあげたい気持ちになるが、例外を作ってしまうと治安は悪化していく。
サーフボードを持って砂浜に上がると、ひときわ歓声が上がった。
「子供でもサーフィンやるのねえ。上手上手」
一人の女性が声を上げると、回りからはげらげらと笑い声が起こった。残虐な褒め言葉は、中学二年の心を砕くのに充分だった。上手さよりも「子供のわりには」がついて回る声色である。
「ここ、アルコールは禁止です」
静まり返り、耳に残るのは心地良い波の音だ。女性は缶を潰し「生意気な子供ね」と憎しみのこもった台詞を吐いた。判っている。要は酒の肴になりそうな話題がほしかったのだ。上手さを褒めようとしたわけではない。
一度も振り返らず、サーフボードボードを持ってさっさと海を出た。
観光客がいてこそこの島は成り立っている。頭では判っているものの、まるで神様になったかのような振る舞いをする人間も一定数存在する。神様だってこんな横暴な振る舞いはしない。
「カナちゃん、もういいのかい?」
途中、近所に住む漁師のおじさんに出会った。
「観光客がお酒飲んでて、嫌になりました」
「そうかい。ちょいと言って来ようかねえ。あっそうだ。同じくらいの年齢の子がそっちに行ったんだが、会ってないかい?」
「見てないですけど……」
「岩場の方へ行ったみたいだが、会わんかったか。波がぶつかるところだから、慣れてないと危ないんだがな」
「探してきます」
「頼んだよ」
海へ来てわざわざ岩場へ行くなんて、観光客ではあまりいない。海に慣れた村人も危ないと言われているくらいだ。
小走りで岩場へ向かうと、すぐに発見できた。
自分の浅黒い肌とは違い、半袖のパーカーから真っ白な腕が伸びている。岩の間に顔を突っ込み、何かを探しているようだ。
「探し物か?」
声をかけると、少年は足を崩し海へと転落しそうになる。
咄嗟にパーカーの袖を掴み、引き上げた。
「あり……がと」
「村の人も岩場は危ないって教えられる」
「どこかに落としてしまって」
「何を?」
「ネックレス」
少年は顔を上げた。あどけなさが残る顔にまだ大人になりきれていない子供の声は、同い年か年下くらいだ。おじさんが言っていた子供は、彼だろう。
「どんなの?」
「銀色のネックレス。大事なものなんだ。切れてしまって、そのまま海に」
「探す。持ってろ」
サーフボードを彼に預けて、ビーチサンダルを脱いだ。
ゴーグルをつけて岩に掴まりながら頭を沈めると、カラフルな魚が泳いでいる。
ネックレスはすぐに見つかった。幸い波に流されず、尖った岩に引っかかっている。
海から顔を出すと、少年はこちらを覗き込んでいてあまりの近さにネックレスを落としそうになった。
「ほら」
「っ……ありがとう」
彼にネックレスを渡すと、両手で強く握った。
陸へ上がり、髪の毛を絞る。そんな様子を、少年はじっと見つめてくる。
「僕、夏川
「俺は倉本彼方。ってことは、俺と同年代か」
「そうなんだ? ずいぶん大人びてるから、年上かと思った」
「なんでまた岩場に?」
「独りになりたくて。でも今は、キミがいてくれてよかったと思えた。結局、人間なんて人と関わらなきゃ生きていけないんだ」
詩人みたいなことを言う子供だ、と思った。
「関わりたくないって聞こえるぞ。旅行で来たのか?」
「旅行……ではないかな。大切な場所がなくなって、失ったものが大きいんだ。今は新しい土地へ行くんだけど、路頭に迷ってた感じ」
夏川零は、とても不思議な男だった。波に漂うクラゲのような人物で、掴まえても逃げていくような人。物腰柔らかで暖かな声だが、誰も心に入れたくないため、優しさで盾を作っている。そういう人は、他人を見切るのも早い。
「キミはここの人だよね? サーフボード持ってるし」
「ああ……そうだよ」
「泳ぐところ、見たいな」
「今日はダメだ。波が高くなる」
今はまだ穏やか波だが、今夜は荒れに荒れる。
「地元民の勘?」
「勘だけじゃなく確信がある。絶対に荒れる。明日は晴れるけど
、どうする?」
「なら明日、サーフィンしてるところ見たい」
「いいよ。午前中でも大丈夫?」
「うん。明日は一日、まだここにいるから」
「いつ帰るんだ?」
「明後日の予定」
「ふうん。どこに泊まってんの?」
「あっち」
指を差す方角は、船乗り場の近くにある民宿だ。
彼方はサーフボードを担いで行こうと促した。
「本当に綺麗な海だね。珊瑚が有名とか聞いた。前までは観光客も泳げたとも」
「SNSでここの写真を載せたりする人が増えて、観光客が爆増したんだ。そのせいで海も濁って、生き物たちは死んでいった。だからルールを作ったんだ」
「どんなの?」
「観光客は泳ぐの禁止。砂浜や海でのアルコールも禁止。でも守らない人もいる。だから更衣室も丸ごと無くしたんだ。今日だって砂浜でビールを飲んでる大人がいた」
つい力がこもってしまい、肩の力を抜いた。
「それだけ、とても大切にできる場所があるってことだよ。素敵。守りたい場所があるのは、命の大切さにも繋がるから」
「だからお前は、岩場で……なんでもない」
「ふふ……別に死のうとは思ってないよ。生きる希望もないだけ。なんとなく、生きてる」
夏川零は、同い年とは思えなかった。どこか浮き世離れしていて、幸せを掴もうともしない。悔しくて何か言いたいのに、押しつけがましくもしたくなかった。
「ここって宝石が有名なんだよね?」
「珊瑚から採れる珊瑚石、コーラルって呼ばれてる宝石が有名だ」
「海を大切にしているのに、珊瑚は採っちゃうの?」
「よく聞かれるんだけど、俺たちが海で見る珊瑚とコーラルが採れる珊瑚は違うんだ。造礁珊瑚は俺たちが観賞する珊瑚、宝石珊瑚はずっとずっと海の下に潜らないといけない。宝石の元になる珊瑚は宝石珊瑚だ」
「種類が違う植物なんだね」
「虫だぞ」
「え」
余裕綽々の顔が驚いている。彼方はしてやったり、と得意気だ。
「珊瑚虫ってついてるけど、正確には生物だな。ちゃんと生きてる」
「コーラルに触れる機会があったら戸惑うかも」
「明日、行ってみるか?」
「いいの?」
「ああ。午前中はサーフィン、午後はコーラルのアクセサリーを作る」
「初心者でも平気?」
「できるよ。観光客はほぼ初心者だ」
「なら行きたい!」
初めて、夏川零の生きた顔を見た。大人びた表情は年相応に子供のように笑い、鼻歌を歌っている。
「笑ってる方がいいよ。無理して笑えとか言ってるわけじゃないけどさ、そうやって大切な場所は探した方がいい」
「…………ありがと。キミはずっと島にいるの?」
「親はそうしろ、そうするのが当たり前だって言うけどね。将来はいろんな海の生物を守りたいんだ。出たいとは思う」
「そうして、キミも大切な場所を見つけるんだね」
「わかんねーぞ。ここがそうかもしれないし、島以外にあるかもしれない。こっぱずかしいこと言わせるなよっ」
「ふふ……あっほら、あそこの民宿」
なかなか年季がこもっているだが、海の幸を存分に味わえるという民宿だ。
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