26 やけに真面目な顔をみる日

 父は、ぐっと顔を近づけてきた。ちょっと離れて、「どうなさったのですか?」と尋ねてみる。


「お前、もしかして結婚よりこの家のなかのことや、荘園の問題を解決するほうが好きなんじゃないのか?」


 図星であった。


「それなら無理に結婚せいとも子を成せとも言わんよ。お前はお前として尊重されねばならん、と少し考えた、いやメイド長に相談されたのだ」


「でも、お父様はわたくしに、国王陛下との間の子供をお望みでしょう?」


「いやそれはどこの貴族でも娘がいれば考える。娘がいないならよそから連れてきてでもやろうとする。でも私の勝手な望みのために、お前を犠牲にするのはどうかと考えた、いやメイド長に叱られた。メイド長は私が赤ん坊のころからこの屋敷にいるから勝てないんだ」


 だからいったい何歳なの、メイド長。美魔女か。リカちゃんのおばあちゃんか。


「それからな、こんな手紙が荘園から来ていてな」


「手紙?」


 父は上着のポケットから薄い封筒を取り出した。開けるとところどころ間違えた字や綴り間違えのある文章で、「オヒイサマははしりたいてゆってた、はしらせてあげなくてなにがちちおやか」と書かれていた。

 まちがいない、フラッシュさんが書いてくれた手紙だ。じんわりする。

 いや、じんわりもなにもフラッシュさんは属州の荘園から雇い主に堂々と意見の手紙を送ったのだ。それはすごく勇気がいることじゃないのか。


「どうやら属州にも新王の即位と嫁とりの話が伝わったらしい。お前は間違いなく国王陛下の妃になれるだけの地位と財力がある。しかしそれが幸せかどうか、というのが問題だ」


「幸せもなにも、そういうものでしょう?」


「諦めているのか、荘園のある村の子供たちとかけっこをするのを」


 ずいぶん古い目標をほじり返された。いったい誰から聞いたのかと尋ねると村の地主から定期的に近況を送ってもらっていたという。

 まあ実家宛にはほとんど手紙なんぞ書かなかったから仕方があるまい。とにかくそれは古い目標であり、おそらく達成できないだろう、と答えておいた。


「なんで達成できないと思う?」


「この体は走るのには向いていませんもの。鍛えれば誰だってある程度は走れますけれども、それが得意か不得意かは個人の資質によりますわ」


「まるでお前の魂がよそから来たみたいなことを言う」


 父は笑う。

 この人がこんなに朗らかに笑うところは見たことがなかった。大貴族らしく皮肉っぽく笑うところか、おおざっぱに諦めたようなガハハ笑いというのが、いままで見てきたこの人の笑い方ではなかったか。


「ええ。わたくしの魂は、女の子も自由に走れる世界からやってきましたの。その世界では世界一運動のうまい人間を決める大会があって、走るだけでなく体操や水泳や格闘技でも一番を競っていたのですわ。優勝すれば莫大な賞金が手に入ったのですわ。わたくしは長い距離を走る競技をしていたんですの」


「ほう! 運動大会か! それは面白そうだ」


「お父様はボードゲームがお好きなのでは?」


「好きなんだが上手くならない。下手の横好きというやつだな、ハハハハ」


「旦那さま、」


 メイド長が部屋のドアをノックして入ってきた。なんでも国王陛下がお出ましになられたらしい。なんの用だと思ったが王様にそんなことを言ってはいけない。父もわたしもぴしりと背を伸ばして玄関に向かった。


 ◇◇◇◇


 国王陛下は真面目な顔をしていた。きょうはやけに真面目な顔をみる日だな。まあそれはどうだっていい。


「マリナに打ち明けたいことがある」


「娘に打ち明けたいこと……でございますか」


 父はそこから出て行った。メイド長がいるから大丈夫だと思ったのだろう。まあメイド長がいればなにも怖いことはない。


「私が娼館や酒場に通うのは、民の声が聞きたいがゆえだ」


 暴れん坊将軍キター!!!! と思ってしまった。嘘かどうかわからないが嘘だったら許さないの顔をしたらオルナン国王は眉毛を情けなく下げた。


「そんな、嘘だと思っているのがモロバレの顔をしなくても」


「嘘じゃないんですの? そのような高尚なお志をお持ちのようにはとてもとても見えないですけれど」


 思いっきり悪口を言ってしまって、あちゃーとなる。オルナン国王はどうとも思っていないようだ。


「娼館の娼婦たちや、酒場の労働者というのは、いわばこの国のいちばん底のところを支えてくれる人たちだ。暴力を振るわれることも日常茶飯事だし、苦しい暮らしをしている。それをじかに知って見聞きすることで、この国をよりよく治められると信じている」


 ほう。

 オルナン国王は「日常茶飯事だ」「苦しい暮らしをしている」と言い切った。「〜だろう」という言い方をしなかったところを見ると実際に見聞きしているのではと想像できる。


「何より私はひどい下戸なのだ。酒場では麦茶を飲んでいるし娼館では娼婦と軽く一杯飲むだけで眠たくなって、いままでことに及んだことはない」


「なにか証拠はございますの? 証拠をきちんと示していただかないと信じられませんわ」


「マリナは疑り深いなあ……よし、ついてきなさい。なるべく庶民的な服を着て」


 なにを見せられるんだ。ちょっとワクワクしていた。(つづく)

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