第6話:魔法使いとの再会、現代の占い師は過去を知る(前編)


「今日はなんだか寒いな……」


 俺は路地裏を歩きながら、首に巻いたマフラーを少し引き上げた。季節が秋から冬へと移り変わる時期。テラルドでも似たような季節の変わり目があった。だが、体感としては日本の方が寒く感じる。年を取ったせいかもな、と思いながら歩いていた。


「たぬき屋」の前に来ると、いつものように暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませ」


 千夏の声が温かく迎えてくれる。店内は心地よく暖かく、厨房からは良い匂いが漂っていた。


「やあ、今日も来たぜ」


 カウンターに座ると、千夏はおしぼりを差し出してくれた。


「今日は寒いですね。熱燗にしますか?」


「おお、それがいいな」


 千夏は頷くと、徳利を温め始めた。俺は店内を見回した。まだ早い時間なので、他に客はいないようだ。


「今日はどんなおつまみがある?」


「きのこの土瓶蒸しがおすすめです。松茸が少し手に入ったので」


「おお、いいね! それにしよう」


「かしこまりました」


 千夏は厨房に向かい、調理を始めた。俺はカウンターに肘をついて、ぼんやりと考え事をしていた。最近、テラルドのことを思い出すことが増えてきた。特に仲間たちのこと。リーゼル、カルストン、フリーデ……彼らはどうしているのだろうか。


「どうしたんですか? 何か考え事ですか?」


 千夏が熱燗を持ってきながら尋ねた。


「ああ、少しな。昔の仲間のことを考えていたんだ」


「テラルドの?」


「ああ」


 熱燗を一口飲むと、体の中から温かくなっていく。魔法で温めた酒より風味がいい。


「リーゼルのことを特に思い出していた。彼女なら、こんな時どんなアドバイスをくれるかなって」


「リーゼルさんは……魔法使いの方でしたよね?」


「そうだ。頭の切れる女でな、いつも的確なアドバイスをくれた。時々イライラさせられたが、最後は頼りになる奴だった」


 千夏は静かに聞いていた。その表情には、いつもと違う何かがあるように見えた。


「土瓶蒸しの用意ができました」


 程なくして千夏が土瓶蒸しを持ってきた。松茸の香りが立ち上り、食欲をそそる。


「いただきます」


 蓋を取ると、澄んだ出汁の中に松茸やシイタケ、銀杏などが浮かんでいる。一口すすると、きのこの風味が口いっぱいに広がった。


「うまい! これぞ森の宝。精霊の森で採れたキノコの香りに似ているな」


「精霊の森……ですか?」


「ああ、テラルドの中央部にある古い森だ。魔法の力で守られていて、そこで採れるキノコは特別な香りがあった」


 俺は出汁をすすりながら、精霊の森での思い出を語り始めた。リーゼルと二人で薬草を探しに行ったこと、そこで出会った森の精霊たちのこと、そして予期せぬ魔物の襲撃で危機に陥ったことなど。千夏は静かに聞いていた。


「リーゼルの魔法がなければ、あの時俺は死んでいただろうな」


「そんなに危険だったんですか?」


「ああ。だが彼女は冷静だった。俺が慌てふためいている時も、彼女はいつも冷静に状況を分析して、最善の策を見つけ出した」


 土瓶蒸しを味わいながら、俺はリーゼルとの思い出に浸っていた。そのとき、暖簾がめくれる音がした。


「いらっしゃいませ」


 千夏が声をかけた。


 俺は振り返らずに土瓶蒸しを飲んでいたが、なぜか背筋に奇妙な感覚が走った。誰かに見られているような、そんな感覚だ。


「一人でいいわ」


 女性の声だった。落ち着いた、どこか知的な響きのある声。どこかで聞いたことがあるような……。


 俺は振り返った。


 そこには、長い白髪交じりの黒髪を持つ女性が立っていた。紫色のストールを肩にかけ、やや奇抜な服装をしている。年齢は五十代といったところか。その目は……紫色だ。


「……リーゼル?」


 思わず口から名前が漏れた。女性は微笑んだ。


「やあ、勇者。久しぶりね」


 その瞬間、店内の空気が凍りついたように感じた。俺は椅子から立ち上がり、彼女をじっと見つめた。間違いない。テラルドでの仲間、魔法使いのリーゼルだ。


「どうして……ここに?」


「座りなさい。驚かせるつもりはなかったわ」


 リーゼルは俺の隣の席に座った。千夏はその様子を静かに見守っていた。


「お飲み物は?」


「熱燗をお願い。寒い夜だから」


「かしこまりました」


 千夏は徳利を温め始めた。俺とリーゼルの間に沈黙が流れる。


「……本当にお前なのか?」


「ええ、間違いないわ。記憶力が衰えたかしら?」


 リーゼルの皮肉な口調は昔のままだ。


「いや、ただ……どうしてここに? いつから?」


「私は『定年』になって、三年前にこの世界に戻ってきたわ。あなたより一年早く」


「三年前……!」


 俺は驚きのあまり言葉を失った。リーゼルは俺より先に帰還していたのか。


「お待たせしました」


 千夏が熱燗を持ってきた。リーゼルは一口飲み、満足そうに頷いた。


「美味しいわ。この店の選び方は相変わらず良いわね、勇者」


「俺はたまたまここを見つけただけだ。二年前に」


「偶然かしら?」


 リーゼルは意味深な表情で言った。


「何か知っているのか?」


「私は今、占い師をしているの。表向きはね」


「占い師……」


「ええ。この世界では魔法は使えないけれど、占いなら似たようなものよ。人々の運命を読み解くというね」


 リーゼルは微笑んだ。その表情には昔と変わらぬ知性が宿っている。


「なぜ俺に会いに来た?」


「あなたのことが気になったから。定年勇者が今、何をしているのか」


「それだけか?」


「あなたが『たぬき屋』に通っていると知って、興味を持ったのよ」


「どうやって知った?」


「私には情報源がたくさんあるわ。この世界でもね」


 リーゼルは熱燗を飲みながら、店内を見回した。


「素敵なお店ね」


「ああ、千夏の料理は最高だ」


「そう見えるわ」


 千夏がリーゼルの前におしぼりを置いた。


「何かおつまみはいかがですか?」


「そうね……勇者と同じものをいただくわ」


「きのこの土瓶蒸しですね。かしこまりました」


 千夏が厨房に戻ると、リーゼルは俺の方を向いた。


「勇者、『定年』になって、どう感じてる?」


「正直、最初は戸惑ったよ。35年もテラルドにいて、突然元の世界に戻されてもな……」


「私も同じだったわ。この世界は随分と変わっていたから」


「そうだな……スマホとかSNSとか、理解するのに時間がかかった」


「ええ。でも私は適応したわ。魔法は使えなくても、知識は武器になるもの」


 リーゼルは意味ありげな笑みを浮かべた。


「それで、カルストンとフリーデは?」


 俺の質問に、リーゼルの表情が少し曇った。


「カルストンは……まだテラルドよ」


「まだ?」


「ええ。『定年』は順番に来るものだから」


「順番……そうか」


「フリーデについては……」


 リーゼルは言葉を切った。その表情に何か複雑なものが見える。


「まだ話せることと話せないことがあるわ」


「お前も同じか」


「当然でしょう。『定年』には条件があるのだから」


 俺は静かに頷いた。リーゼルも「定年」の真相を全ては話せないようだ。


「お待たせしました」


 千夏が土瓶蒸しを持ってきた。リーゼルは香りを楽しむように深く息を吸った。


「懐かしい香りね。精霊の森を思い出すわ」


「俺も同じことを言ったよ」


 二人は少し笑い合った。テラルドでの共通の記憶が、一瞬で距離を縮めた。


「いただきます」


 リーゼルは上品に出汁をすすった。


「美味しいわ。本当に精霊の森のキノコの風味がする」


「だろ? 千夏の料理は魔法みたいだ」


「そうね」


 リーゼルは千夏を見つめた。


「あなたは……ただの料理人ではないわね?」


 千夏は静かに微笑んだ。


「私はただの店主ですよ」


「そう……」


 リーゼルは納得したように頷いたが、その目は千夏を観察し続けていた。


「それで、勇者。最近はどうしてるの?」


「まあ、年金暮らしさ。『勇者年金』とでも呼ぶべきか」


「私も同じよ。不思議な仕組みね。この世界に戻ってくると、生活の保障がある」


「ああ。突然口座に毎月お金が振り込まれる。どこからともなく」


 二人は意味深な視線を交わした。「定年」には様々な謎があるが、その一つが「勇者年金」と呼ばれる生活保障だ。テラルドでの長い勤務の対価なのか、沈黙の代償なのか……。


「あなたは毎日ここに来るの?」


「ほぼな。他にすることもないし」


「私なら退屈で死んでしまうわ」


「だからお前は占い師をやってるんだろ?」


「ええ。それに、情報収集もね」


「情報? 何の?」


 リーゼルは微笑んだだけで、答えなかった。


「ねえ勇者、あなたはテラルドのことを話しているのよね? この店で」


「ああ、でも信じてもらってるわけじゃない。みんな面白い話として聞いているだけだ」


「そう……それでいいのかしら?」


「どういう意味だ?」


「私たちには『沈黙の義務』があるはずよ。『定年』の条件として」


 俺は少し考え込んだ。確かに、「定年」になる時に言われた。テラルドのことは口外してはならないと。


「だが、誰も信じていないなら問題ないだろう? フィクションとして」


「危険な橋を渡っているわね」


 リーゼルの言葉には警告が含まれていた。俺は少し身を乗り出した。


「お前は何か知ってるな。『定年』の真相について」


「私が知っていることと、あなたが知るべきことは違うわ」


「また謎かけか」


「真相は、自分で見つけるべきものよ」


 リーゼルは土瓶蒸しを飲み干した。俺は少しいらだちを覚えた。彼女はいつもこうだ。全てを知っているようで、肝心なところは明かさない。


「あ、すみません」


 そのとき、暖簾をくぐって入ってきたのは椎名だった。彼女はリーゼルと俺を見て、少し驚いた表情をした。


「いらっしゃいませ」


 千夏が声をかけた。


「あの、お邪魔でしたか?」


 椎名は少し遠慮がちに言った。


「いや、そんなことはない。おい、椎名、こっちに来い」


 椎名は恐る恐る近づいてきた。リーゼルは興味深そうに彼女を見ている。


「椎名、こいつを紹介するよ。リーゼルだ。俺のテラルドでの仲間だった魔法使いだ」


 椎名の目が丸くなった。


「え……?」


「よろしく、椎名さん」


 リーゼルは優雅に手を差し出した。椎名は混乱した表情で、その手を握った。


「あ、はい、こちらこそ……」


「椎名は編集者だ。俺の話を聞くのが好きらしい」


「まあ、それは興味深いわ」


 リーゼルの目が鋭く光った。椎名は少し緊張した様子で隣に座った。


「あの、本当にテラルドの……?」


「ええ、勇者と同じく異世界から来たわ。もっとも、彼より一年早くね」


 椎名は言葉を失ったように見えた。彼女にとっては、俺の話はあくまでフィクションだったはずだ。それが突然、別の「証人」が現れたのだから。


「生ビールでよろしいですか?」


 千夏が椎名に声をかけた。


「あ、はい……」


 椎名はまだ混乱している様子だ。


「あなたは勇者の話を信じていないのね?」


 リーゼルがズバリと言った。椎名は少し困ったように笑った。


「いえ、その……面白い話として楽しんでいました」


「当然でしょうね。常識的に考えれば、異世界なんて存在しないもの」


「ええ、まあ……」


「でも、目の前に二人の証言者がいるのよ」


 リーゼルは意地悪く笑った。椎名は千夏が注いだビールに手を伸ばした。


「あの、お二人は本当に……その……」


「信じるか信じないかはあなた次第よ」


 リーゼルはさらりと言った。


「でも、勇者の話に矛盾点はあった? 異世界の設定に破綻は?」


「いえ……驚くほど一貫していました」


「それは当然ね。真実だから」


 椎名は困惑した表情で俺を見た。俺は肩をすくめた。


「言ったろ? 俺の話は本当だって」


「でも……科学的に考えれば……」


「科学では説明できないことがこの世界にはたくさんあるわ」


 リーゼルが静かに言った。


「たとえば?」


「たとえば……」


 リーゼルは椎名をじっと見つめた。そして、小さく囁いた。


「あなたが先週の水曜日、誰にも言ってない原稿の構想を考えていたこと。主人公の名前は『澪』で、彼女は時を操る能力を持つ……」


 椎名の顔から血の気が引いた。


「どうして……それを……」


「占いよ」


 リーゼルは微笑んだ。


「私は今、占い師をしているの。『紫眼の魔女』という名前で」


 椎名の手が震えた。


「あなた……本当に……」


「信じるかどうかはあなた次第よ」


 リーゼルは再び熱燗を一口飲んだ。椎名は混乱した様子で、ビールに手を伸ばした。


「あなたの耳……エルフに似ているわね」


 リーゼルが唐突に言った。


「え?」


「そのピアスした耳。テラルドのエルフを思い出すわ」


「勇者さんも同じことを言っていました……」


「そう……興味深いわ」


 リーゼルは椎名を観察するように見つめた。


「あなたは特別な感性を持っているわ」


「特別……?」


「ええ。だから勇者の話に惹かれるのよ。普通の人より、真実を感じ取る力があるから」


 椎名は言葉を失ったように椎名を見つめた。


「そうなのかな……」


「占い師としての直感よ」


 リーゼルは微笑んだ。その笑顔には何か計算されたものを感じる。俺は昔から彼女のこの面が苦手だった。全てを見通しているようで、でも全てを明かさない。


「リーゼル、椎名を困らせるな」


「困らせてなんかいないわ。真実を提示しているだけよ」


 そのとき、また暖簾がめくれる音がした。


「いらっしゃいませ」


 千夏の声に振り返ると、田村が立っていた。


「こんばんは……あれ?」


 田村は驚いた顔でカウンターを見た。普段は俺一人か、多くても椎名がいる程度なのに、今日は見知らぬ女性がいる。


「おう、田村! こっちに来い」


 田村は恐る恐る近づいてきた。


「田村、こいつを紹介するよ。リーゼルだ。俺の異世界での仲間だった魔法使いだ」


 田村の目が丸くなった。今度は椎名よりも大きな反応だ。


「え……? 魔法使いの……リーゼルさん!?」


 彼は興奮した様子で、リーゼルを見つめた。


「よろしく、田村さん」


 リーゼルは優雅に会釈した。田村はまるで有名人に会ったかのように興奮している。


「す、すごい! 本当にリーゼルさんなんですか? 勇者さんからよく話を聞いてました!」


「まあ、光栄ね」


 リーゼルは少し意外そうな表情をした。


「田村は俺の話を真剣に聞いてくれるんだ。そして実際に役立てている」


「興味深いわね」


 リーゼルは田村をじっと見つめた。


「あなたは……信じているのね? 勇者の話を」


「はい! 勇者さんの話から、いつも勇気をもらってます!」


 田村は率直に答えた。リーゼルは少し考え込むような表情になった。


「すごいな……本当にリーゼルさんだ……」


 田村はまだ興奮を抑えられない様子だ。千夏はいつものように彼の前にビールを置いた。


「いつものでいいですか?」


「はい! あと、今日は特別な日だから、なにかリーゼルさんのお気に入りも知りたいです!」


「そうね……」


 リーゼルは少し考えてから言った。


「キノコ料理は何でも好きよ。特に松茸は」


「じゃあ、土瓶蒸しをもう一つお願いします!」


「かしこまりました」


 千夏は頷いて厨房に向かった。田村はまだ興奮冷めやらぬ様子で、リーゼルに質問を浴びせ始めた。


「あの、リーゼルさん! 魔法はどうやって覚えたんですか? 一番得意な魔法は? 四天王との戦いは本当ですか?」


 質問の嵐に、リーゼルは少し戸惑ったように見えた。


「まあ、落ち着きなさい。一つずつ答えるわ」


「すみません、興奮して……」


「魔法は幼い頃から才能があったの。テラルドでは魔法の才能がある子は特別な教育を受けるのよ」


 リーゼルは静かに語り始めた。テラルドでの魔法教育、魔法使いとしての修行、そして勇者と出会うまでの経緯。田村は食い入るように聞いている。椎名も、半信半疑ながらも興味深そうに耳を傾けていた。


 ***


 つづく

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