ー22ー


 そいつのすがたがはっきりとわかるくらいまで近いて、はためく紙喰いの翼が起こす風をも肌で感じられたとき。おれはすでに雷駆刀を抜いていた。左手は義足のトリガーに。


 キヅキは武器を持っていなかったから、クルミとヒナを自分の背後に避難させた。


 鳥の紙喰いは鋭い鉤爪を光らせる足を着地させ、さらに大きく翼を扇いでみせた。立ち並ぶ墓碑のひとつを片足で軽々潰して、羽毛まみれの長い首をうねらせ、赤熱した瞳を気味わるく転がして、漆黒のくちばしをぎりぎりいわせながら開くと、天に向かって甲高い咆哮を鳴らした。


 紙喰いの上にいる人のかたちをしたやつは、そこで立ち上がった。ちょうど逆光で黒いシルエットになったが、雲が移動して、日光が弱まると、左半身が腫れあがったそいつの顔がよく見えた。


「だっくる、だっく——ル、ダックルぅううううアアアア!」


 怪物になったオロチは服など着ていない。潰れたノドで無理やりひねり出したような声は雑音まみれで歪んでいる。全身の肌はムラサキ一色に塗りつぶされ、肥大化した左半身はさらに濃い色で染まっている。太く浮きでた血管が、まるで絡みついた触手みたいに四肢のそこかしこをはしっている。イボなのか、こぶなのか、沸騰した泡みたいな半球が肌をぼこり、ぼこりと飾って全身の気味わるさをさらに加速させる。


 オロチだとわかる顔は、どうにか原型をとどめている右の半分くらいだ。左の半分は酸で溶けたように崩れていて、目は血よりも赤く、口角からはみでた長い牙は人間のそれとは似つかない。髪の毛も左の半分だけが抜けていて、急な肥大化で裂けた頭皮から頭蓋がのぞいている。


 どこを見ても醜悪で狂気に満ちたすがたであることはたしかだ。が、武器を構えたおれが見るべきは左手だった。そこにあったはずの指は、すべて刃に変わっていた。爪というには長すぎる。あれは、五本の刀だ。


「せ、セトさあん!」ヒナが怯えた声を出す。

「キヅキ!」


 おれは叫んだ。言葉じゃなくてもこちらの意図を汲んでくれるはずだ。


「すぐに連会へもどるぞ!」キヅキはヒナとクルミを逃そうとする。

「セトを置いていくの!?」クルミが怒鳴った。

「ここはまかせられる! だが急ぐ!」

「お、応援を呼ばないと……!」ヒナの言葉にキヅキはうなずいたのが見えた。


 こちらがつべこべ言っているあいだに、紙喰いは翼をはためかせ、急接近をはかると同時に初撃を放ってきた。突風とともに黒いくちばしが開かれた刹那、先端が針みたいに尖った舌が飛び出してきた。避けるには一歩ぶん横にずれるだけで済んだが、つづけざまに翼で殴ってきた。トリガーを引いて真上に飛び、それを避けた。


 片翼が起こしたとてつもない突風が、キヅキたちをぶん殴った。ヒナはその場に転んでしまったが、クルミに腕を握られ、すぐに起きた。キヅキは身を挺してふたりを庇おうとしている。おれは急降下とともにアクセルレバーを吹かして、オロチに一撃を振る。


 目の前に黒い線が見えたかと思ったら、すぐにひどい金属音がして、こちらの刀が相手の爪に防がれたことがわかった。雷駆刀に疾る電圧と、摩擦によって起きた火花とで、火薬が弾けるような音が鳴り、一秒にも満たない競り合いのあと、オロチが爪を振り切った拍子におれは地面に投げ飛ばされた。


「セト!」いったんは走ったキヅキだが、土に足を噛ませて、こちらに叫んだ。「動けるか!?」

「大丈夫……、だ!」しりもちをついて上体を起こしながら答える。「早く! 連会へ!」

「——っ、死ぬなよ!」


 自分も武器を持っていたらすぐに加勢したのに、それが叶わない——やりきれない顔でキヅキは奥歯を噛んで、山道をもどっていく。その背中を確認して、おれはすぐに立ち、構えを整える。乱暴な風が吹いて、木々がざわめいた。山そのものが動揺しているように。


 すると、紙喰いの上に立つオロチは右手で頭をおさえて、苦しみだした。ちいさな声でなにかおなじ言葉を連続で唱えている。


「——ふ……。——いふ、じゅん、せい、ふ、じゅんセイふ、じゅんせいふ、ジュンセイフ、あああ、ああああアアアアアア!」

「なんなんだ……」

「全員ブッコロす、じゅんせいはぜんいん、ブッコロす! ホンブ、ラクエン、ぶっこワス! カエセ、カアサン、トウチャン、カアアサン、トウチャンアアア!」


 狂ったように怒鳴ったかと思ったら、今度は狂ったように笑いだし、まだ人間の面影がある右目でおれをぎろりと睨んだかと思ったら、紙喰いの背中にしがみついた。


 オロチを乗せる鳥の紙喰いは、まるで指示を受け取ったかのように咆哮をあげて、左右にただただ広がる大きな翼を扇いで、飛び立とうとする。こっちは刀を地面に突き立てて、吹きつける風の圧に耐えるのがやっとだ。


 オロチと紙喰いは浮いて、飛び、木々を超えて去っていく。いや——去ったのではなく、連会にいる全員を殺しに向かったのでは?


 そこが純政府の拠点でもなんでもないのに、それすらもわからず、ただ大量の虐殺劇を踊るためにいま、風を切る音を噛みしめているのではないか?


 おれは山道を全力で走り、見上げる木枝の隙間に見えるやつらから決して目をはなさぬよう注視をつづけた。ここが知っている道でよかった、と心底思った。ずっと上を見ながら走れば、道を外れて低木に突っこんだり、転んだりしてもおかしくなかった。


 やつらの飛ぶ高度からして、遠くへ去ろうとしてる気配はない。やはり連会を目指していると見るのが妥当だろう。建物のあるほうへ、行こうとしているはずだ。


 走りながらどうしても思うことがあった。

 純政府に恨みがあるなら、純政府がいる街を襲えばいい。


 なのに、わざわざネシティの連会に来てしまったあいつは、ともすれば、とてつもなく、あいつらしくもあった。つまり——


「ほんとに、ばかだな!」


 この場所ほど、純政府から遠ざかっているところもないっていうのに。



 連会の本部前に人だかりができていた。オロチと紙喰いは、まるで巨人に投げられた岩のごとく、本部の建物に急降下した。腹の底がゆれるような振動とともに、本部の屋根は大きくへこんで崩れてしまった。紙喰いの力、あるいは重量を知るには十分すぎる光景だった。


 数人のネシティがすぐに雷駆刀を抜いて、扇状に陣をとった。その後方に逃げて、隠れるようにしている人たちはネシティではなく、連会で暮らし、努める人たちだ。ヒナとクルミ、リョウのすがたが見えた。


「おい、どうなってんだこりゃ!」うしろから声がした。タツオだ。

「山火事でしか鳴らなかった警報が鳴ったかと思って、ロープウェイぶっ放してきたら、なんのさわぎだよ! なんなんだあれ!」リュウゾウが顔を青くする。

「見てのとおりだ」おれが言った。

「紙喰いが、どうしたって、あんなところにいるんだ!? あ!? 山道を超えたってのか!? 連会の周囲にも電気柵があるだろ!」


 タツオが言うと、それに答えるように紙喰いは翼を大きく広げて、例の咆哮を発した。


「——まさか、飛んできたのか?」リュウゾウが言う。

「うそだろ……」ついにタツオも顔を青くした。「そんなこと、いままでなかったじゃねぇか! おい、セト、知ってて黙ってたのか!?」

「おれだってきょうがはじめてだ」怒鳴り返して、「危ないから、下がっててくれ」


 ちくしょう、なんだってんだ——老人ふたりは口々に怒りを焚きながら、仕方なく距離をとった。


「せ、セトさん!」こちらを見つけたヒナが人ごみをかき分け、駆けてくる。「どうしましょう、ほ、ほんとに——!」


 しかし会話している暇はなかった。オロチと紙喰いは建物から飛び降りて、また天を仰ぎ、巨体を、変貌した人体をまざまざを見せつけた。ネシティ以外のみなは悲鳴をあげて、蜘蛛の子が散るように逃げていく。


 怪物たちは、さて、これから全員を殺そうかという覇気をまき散らし、山がゆれるほどの咆哮を雄叫びをあげる。


「ばかだね! 裸一貫でここへきたのが運の尽きさ! バケモノ!」


 すこし離れた場所で、ロビンばぁが叫んだ。

 同時に大砲の音がした。

 老女の肩に担がれた無反動砲が、灰色の煙を昇らせる。


 見えない速さで加速するサッカーボールサイズの砲弾は、紙喰いの片腹に食いこんだ。すぐに最初の破裂音がして、雷撃のいななきと火薬の爆発が連続して起こった。


「どうだい! 抉肉式雷爆ネズミ花焔弾を噛みしめな!」


 鳥の紙喰いの脇腹は、なかば体内で発生したといえる連続爆発によって大きく抉られた。胴から片翼が剥がれて、地面に落ちる。さらに強い電圧によって紙喰いは神経の自由を奪われ、そこに突っ伏してしまう。だらりと開いたくちばしから、先の尖った筒状の長い舌が垂れて地面の砂利を舐めた。


 足場がかたむいたことによって、上に乗るオロチは当然地面に落とされた。すぐに立ち上がり、それでもと爪を振るって威嚇をする。


「ダックル、だっくる、ダックル、だっくる——!」


 ネシティたちはアクセルレバーを握った

 雷駆刀のエンジン音が重なり、狼たちのうめきのようだ。

 さらには——

 腕着式小型電装スリンガーの矛先を向ける者。

 発破式電穿クナイを腰から抜く者。

 粘着式時限雷爆弾のセーフティに指をかける者。

 肩装型携帯式無反動砲は、さっきロビンばぁが撃ったものに似た効果を発揮するもので、最近開発された装備だ。はじめて見た。


 おれは雷駆刀を鞘に納めた。それを見て、ヒナは慌てた。


「せ、セトさん?」

「終わった」

「——勝敗は、ついたと?」

「ああ。ここにいる全員はプロだ。紙喰い殺しのな。おれの出番はなさそうだ」


 各々に構えをとるネシティのなかから、ひとりが歩を進めた。キヅキだ。戦闘用のマントを着ている。口も鼻もすっぽりと隠れる目出しフードが備えられたマントだ。


 キヅキがそれをまとったとき。彼の前に立った生き物が、死ななかったパターンをおれは知らない。


「よう、ひさしぶりだな、覚えてるか」


 
 刀を抜きもせず、キヅキは言った。

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