ー11ー


「うん」リョウはうつむき加減で答えた。ちらちらと上目づかいだけが瞬いている。

「こら」横からクルミが口をつく。「あんたの兄貴みたいなもんなんだから。もうちょっとうれしそうにしろ」

「うれしいよ。でも、苦手なんだ。感情表現が」リョウが言った。「それに……。気になって仕方ないんだ。早く工場に行かせてよ」


 その言葉にクルミはがっくりと肩を落とした。


「学校からもどったらずっとこれだもん」そして困った笑顔をこちらに向けて、「早く会いたいんだって。歴史文明学者さんに」

「ああ。おれのことはいいから、もう行ったほうがいい。早くしないと……。ロビンばぁに殺されるかも」


 冗談のつもりで言ってみたが、リョウの顔は驚愕と恐怖の緊張感でいっぱいになった。


「——やばい、人類叡智じんるいえいちの希望がついえてしまう」

「さすがに死んじゃいないと思うけど」クルミが笑う。「でも、まじで早く行かないと、学者さんも今晩の予定を入れちゃうかもね。リョウと話してる暇、なくなっちゃうかも」

「ああ——! もうだめだ! 工場に行く!」


 夜道を逃げる猫みたいに、リョウは颯爽と消えてしまった。残ったのはクルミのあきれ困った笑顔だ。


「まったく、どこにわたしとキヅキの血が流れてんだろ」

「相変わらず、知識に対する欲がすごいな」

「ほんとよねぇ」クルミは表情を変えて、「ところでさ、セト。なんかうなされてなかった? ドア越しに苦しそうな声が聞こえたような……。そんな気がした」

「え?」おれは視線をそらして、「そうかな。寝てただけだけど」

「そっか……。うん、まぁ、それならいいんだけどさ。なんか、悩みとかあんなら言うんだよ? あんたぜったい溜めこむから。仕事がうまくいってるだけじゃ、どうにもならないこともある。それが人生だからさ」


 ほんのりとスパイスの効いたクルミの優しさには、敵わないな、といつも思う。


「うん。ありがと」

「もしかして——恋でもした?」

「まさか」鼻で笑ってやった。

「いや、どうかね。帰ってきたときから思ってたけど、なんか、雰囲気がやわらかくなってるよ、あんた」

「そうかな……。いつもとおなじだけど」

「男からトゲが取れるときって、たいがい恋愛が絡んでんのよねぇ……」


 上目づかいで怪しんでくるから、困ったものだ。恋愛なんて興味ない。自らすすんでするわけもないのに。


「ま、いっか!」クルミは表情を明るくして、「まずはご飯だね! 本部の食堂で待ってるから。ポークシチューとパンのコンビがあんたを待ってるよ」


 それを聞いたとたん、おれは一気に空腹という感覚を思い出した。ついでに腹もぐぅ、とでかい音を鳴らしたから、またクルミに笑われることになった。


 それにしても、さっきの夢はなんだったんだろう。

 最後に聞いた女性の声が、ほんとうに母親のものだとしたら。

 おれの記憶のどこかに、あの声が残っていたのだとしたら。

 ……だからといって、なにがどうなるのか。


 考えすぎて乱れた心臓を冷やすのは簡単だ。ゆっくりと呼吸をして、目の前の景色に集中すればいい。あとは、食べもののことでも考えれば、気分はすっきりとよくなる。


 心が窮屈なときほど、人が生物であるがゆえの単純さに頼ればいい。食うか、寝るか、そのどちらかで、一過性の傷心はたいがい解決できる。


 過去がどうであれ、これからのことは自分で決められる。自分の未来を、自身の意志と肉体で決定できるか、否か。それが〇歳と一九歳の明確なちがいだ。


 なにもできず、毛布一枚の箱のなかで紙喰いに殺されるのを泣きながら待つようなことは、もう起きない。おれはもう、ひとりで歩けるのだから。



 連会本部の食堂は二〇畳ほどで、十数名が食事をするにはちょうどよい広さだ。キヅキとクルミは親のようなものだし、リョウは弟みたいな存在。加えてヒナはお客さま。ひとりの食事が好きなおれとしても、このメンツだったら苦にはならない。


「リュウゾウとタツオはどうした?」ダイニングチェアに腰をおろして、キヅキが言った。シャワーを浴びたせいか、肌も髪もつやがある。

「上にもどってくるなり、酒場に行ったみたいよ」


 ポークシチューを食卓に並べながらクルミが答えた。クリームとハーブの香りが食欲をそそる。


「ま、あいつららしいか」キヅキが言った。「三度のめしより食前酒、とかいってるくらいだからな」

「そ、それだと食事にありつけないのでは?」


 ヒナが言った。両手をひざに置いて、こじんまりと遠慮した様子で座っている。三つ編みの毛先がちりちりと焦げている感じがするが、気のせいだろうか。大口を開けて笑うロビンばぁの顔がよぎった。


「あのじいちゃんたちは食前酒がメインディッシュで、本来のメインディッシュがデザートになってる」本に視線を落としながらリョウが言った。

「こら」クルミがすぐに反応した。「ごはんのときくらい、教科書読むのやめなさい」

「うん」


 リョウは空返事をした。視線が本から離れる気配はない。


「……また持ってきたのか? 純政府の教科書」キヅキが言った。「街からゴンドラまでのあいだに紙喰いが出たらどうするんだ」

「大丈夫だよ。あいつら躰がでかいだけで、動きが遅いから。視認してから全力で走れば逃げられる」


 さも簡単である、という口調でリョウが言うと、空気がしん……と止まった。並べられたシチューからのぼる湯気だけが、ゆらゆらと動いている。


 キヅキはすこし前かがみになって、両手をテーブルに置いてため息をついた。


「紙喰いを甘くみるな」

「うん。みてない」

「たしかにおまえは、あいつらの本気を見てない。あの巨体で、なにをしてくるかわからない。電気に弱いということ以外、なにひとつ解明されていない。そう思ったほうがいい」

「大丈夫。いざとなったら、ロビンばぁの電煙グレネードがある」

「それでも怯まないこともあるだろ」


 キヅキは背もたれに体重をあずけて、深呼吸をした。落ち着こうとしている。あまりきつく言って、食卓の空気を濁してはならないと思ったのだろう。


「リョウはネシティにならないんだろ?」おれが横から言った。

「うん。ぼくがネシティの適齢になったところで、人材は足りているからね。毎年新人が増えているし。理解に苦しむけど」

「は、はい……」


 ぴりついた空気を読んだのか、否か、ヒナがおそるおそる挙手をした。


「連会に来る人材というのは、どういった経緯でここに辿りつくのでしょうか……。見たところ、連会の全体は街というより、集落といった印象が強いです。村と呼べるほどの規模でもないように思えます。リョウさんのように連会生まれの連会育ちの方は相当すくないですよね……? となると、外部の街々から人材がここに通っているのかな、と……」

「お?」キヅキの表情がもどった。「おおかたヒナさんの想像どおりだ。ネシティになりたくて、外からやって来るやつが多い。入り口はいろいろだぜ」


 郵便物を受け取った拍子に憧れちまって、門を叩くやつ。

 不慮の出来事で身寄りをなくし、連会に流れついたやつ。

 街で雷駆刀を見てから、それを振りたい一心でなるやつ。

 純政府の仕事をしていたけど、ある種の自由に憧れて、門を叩くやつ——。


 この手の質問がくるとキヅキはいつもこの四つを並べる。今日もおなじだった。


「もちろん人材は歓迎だが、だれでも採用できるわけじゃない。知ってのとおり、ネシティは命がけの仕事だ。砂と廃墟にまみれた道を何日も歩ける体力はもとい。紙喰いや、盗賊なんかに遭遇した場合の、身を守る術。闘いの技術、逃げの技術、そもそも見つからない技術もあるか。三つのうち、どれかに突出してなきゃ務まらないんだ」


 ずっと連会で暮らしてきたおれが知るかぎり、ネシティになりたいといって、実際になれたのは志願者の三割程度だった。そこからシェルター維持班の新人時代に根をあげて辞めるやつを引くと、残るのは二割くらい。


 その二割から、毎年のように死者や辞職者が出るのが普通だ。したがって、その年の瀬にはさらに数が減っている。


 とはいえ、キヅキがリーダーになってからはネシティの質が上がっているらしい。死者の数は年々減少しているのだとか。


「最近はネシティになりたがるやつも多くなったが……」キヅキはむずかしい顔で、腕を組んだ。「ネシティになるなんてどうかしてる、と考えるやつも増えたな……。息子がネシティになりたいといっているのは、連会のせいだ——なんて、怒鳴りこんでくる母親も最近はいたし」

「そうそう、あったね」シチューを並べ終えたクルミが、席についた。「リュウゾウとタツオが説得してくれたから、どうにかなったんだけど。あのおっかさん、すげぇ剣幕だったぜぇ、ってあとからさんざんグチ聞かされたわ」


 クルミは笑っているが、キヅキの顔は険しいままだ。


「ま、話しは積もるけど、とりあえず食べよ」クルミは両手をぱんと合わせた。「はい、いただきます!」


 リョウ以外の全員が手を合わせて、いただきますを復唱した。小麦よりも高級なライ麦のパンが、白い皿の上で香ばしい香りを漂わせている。そいつをシチューに浸してから、思いきりかぶりつく瞬間を待ち焦がれていた自分を隠せなくて、気恥ずかしさを覚えた。


 たぶん、ヒナがいるし、おれもひさびさに帰ったから、気を利かせてくれたんだろう。すこし冷凍のにおいが残っているライ麦パンに、クルミの優しさをひしひしと感じた。


 それにしてもリョウは、食事よりも勉強といった様子を貫いていた。迷わずヒナのとなりに座ったし、隙があればすぐに質問をしていた。


 受けて答えることはヒナにとって容易いことだったようだ。度重なる質問のせいで、彼女が困っているようなことはなかった。


 しかしクルミは、ごめんねぇ、とヒナを気づかいながら、何度もリョウを怒っていた。


 何年後かに、純政府の制服をばっちりと着こなしたリョウに会うのだろうか……、などと考えてしまう。


 けれど、シチューとパンの組み合わせで口のなかがいっぱいになると、それだけで思考は満タンになった。

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