ー14ー


「え、行っちゃうの!?」リンジが声をあげた。

「ああ。掃除は終わったし、シーツも替えた。サキもゆっくり休めているようだし、おれの役目はもうない」


 ショルダーバッグに缶詰を入れながら、おれはさらにつづける。


「ここを出るときに、ジェネレーターの電源を落としてくれ。そうすると入り口のロックも勝手にかかる。あ……、できるだけ掃除してくれよ? 次に使うやつが困るから」

「いや、こっちのことよりも、セトだよ。もう夜じゃないか。夜道は危ないよ」

「……だれかさんのせいで、配達に遅れがでてるんだよ。それを取りもどしたい」


 おれがいうと、リンジはその顔を罪悪感でいっぱいにした。


「……ごめん、ほんとうに」

「責めようと思えばきりがない」おれはショルダーバッグを肩にかけた。「けどまぁ、いい経験になった。今度からは同業者の格好をしているやつには気をつける」


 するとリンジは、意を決したように口を開いた。


「あ、あのさ……。ぼく、ネシティを殺してなんかいないんだ」


 なんとなく察してはいた。リンジは人を殺せるようなやつじゃない。それに死体があるとしたら、このシェルターの近くだ。死体の近くにはたいがい、肉をつつく鳥が集まってくる。空をぐるぐるとまわるやつを一羽くらい見かけてもいいが、ここまで見ていない。


「きみを気絶させたのが、ぼくの精一杯だよ……。まさか、あれほどに強い電気を走らせる刀だとは、知らなかったけど……」

「おれは死ぬところだった」

「ご、ごめん! ほんとうに気絶させるつもりだったんだ!」

「サキのためだったんだろ? ——なら、しかたない」

「う、うん……」

「ところで、どうやってネシティの装備を?」

「信者のなかに、昔ネシティだった人がいたんだ」

「ほんとうか?」

「う、うん……」


 あいつらのなかに、おれの知っている顔はなかった。とすると、かなり遠くのネシティ連会に所属していたのかもしれない。


「イケニエを連れてこいと言われ困っていたぼくを見かねてか、クローゼットの奥に眠っていた装備を貸してくれたんだ。ネシティの格好を偽装すれば、不意打ちくらいできるだろうって……。本物とは正面から戦って勝てるわけない、というアドバイスと一緒に……」

「作戦は、大成功だな」

「ごめん……」


 リンジのあやまるすがたはもう見飽きた。おれがここを去っても、こいつにはどこかでまた会いそうな気がする。が、どうでもいいことだ。


「オロチはどうしてネシティを連れて来るように言ったんだ?」去り際にたずねてみた。

「それは……」リンジはすこし顔を伏せた。「二ヶ月くらい前だったかな。狩りに出かけたオロチがもどらなくて、数人が捜索に行ったんだ。そしたら、瓦礫のそばで気絶しているオロチがいた。目が覚めてから、どうしたのかって訊いたんだ。そしたら、通りすがりのネシティに決闘を挑んだと言って……」

「負けたのか?」

「う、うん……。その腹いせが、めぐりめぐって、きみに被害を与えてしまった」

「……オロチを負かしたネシティの名前、わかるか?」


 問うと、リンジは数秒で思い返してから——


「キヅキ、ヒノモト? とか、なんとか。そんな名前だったと思う」


 自分でもおどろくくらい笑ってしまった。しまいには涙が出た。挑んだオロチもオロチだが、受けて立ったあいつもあいつだ。まったく、連会の長がぶらぶらとなにをしていたんだか。


「——知っている人?」リンジが困り笑みを浮かべる。

「知っているもなにも」おれは呼吸を整えて、「おれが知るなかで、いちばんに腕が立つネシティだよ。オロチが手玉にとられるすがた——目に浮かぶ」


 言い残して、おれは背を向けた。

 すると部屋からサキの声がした。


「……って——まって」


 振り返ると、ベッドの上で鉛のような上体をどうにか起こそうとするサキが見えた。ようやく回復の兆しが見えたその顔色に安堵を覚える。


「ほんとうに……、ここまで、ありがとう……。あと、リンジが、ごめんなさい……。このシェルターも、ありがとうね……」


 細い声でサキは言った。こちらは返事の代わりに片手を持ち上げる。


「おれが出たら、内側からロック、しろよ?」リンジに言った。

「う、うん。ほんとうに……、なにからなにまで……」


 リンジが鼻をすする音をうしろに聞きながらドアを閉めた。ロックの音を聞いてから、地上へ出る。冷たい夜の空気。五メートル先が見えているかもあやしい。シェルターを囲む電気柵がオンになっているのは、はじめて見た。じりじりと独特な音が、ワイヤーを走っている。地下室にいるあいだは、いつもこいつに守られていたわけか。


 義足で電気柵を跳び越えた。パントリーから持ち出した古いランタンを腰にさげる。ちゃぷ……、とオイルがゆれる音。ほんのりと灯る明かりが、暗闇をそれでもと照らす。頼りない光だが、ないよりは何倍もましだ。


 暗い夜道を歩くたび、どこか、いいことをしたあとの心地よさというか。達成感のようなもの。うまく説明できないが、仕事ではあまり感じたことのない、すっきりとしたものが心を満たしていく——そんな気がした。



 ・…………………………・


【セトが夜の道へと踏み出した、その同刻】



「だっくる……。くる……」


 ランタンも食料も武器も持たず、オロチは漆黒のなかを手探りで歩いていた。プレギエラから追放された心の痛みを噛みしめる余裕すらない。


 空腹で力は入らず、歩調は老人のほうがまだ早いくらいか。両腕はだらりと垂れて、亡霊のような足はどこを目指すでもない。ただ、プレギエラから遠ざかるだけだ。


 セトからもらった義足の一撃が、いまになって効いてきた。腹部に明らかな痛みがある。肋骨も、どうやらイカレている。呼吸をするたび、みぞおちに鈍痛が走る。


 どうしてこうなったのか、オロチは考えた。

 自分がわるかったのか。

 聖書がわるかったのか。

 一三巻の存在が、なにもかもを狂わしたのか。

 いや——、マンガの最終回など関係ない。

 信仰など、最初はなから機能していなかった。


 大勢の信者はみな、おれを子供だと思って、ごっこ遊びにつき合っていただけ——。


 悔しさで奥歯を噛む力も残っていない。

 後頭部にも痛みがある。

 あごの筋が切れちまったのか。

 もう躰は、ぼろぼろ。

 それ以上に心は、ずたずた。


 両親が死んだときのことが、走馬灯のように蘇る——父は根っからの反純政府者だった。


「いいか、オロチ。父ちゃんは純政府を倒すぞ。あいつらは民間を苦しめるだけの傲慢集団だ。あいつらがまともな政治をしないから、いつまでも生活は苦しいままだ」


 自宅の庭で、父は槍を天高くかかげた。


「かっけー! 父ちゃん、勇者みてぇだな!」

「おう、そうさ! 父ちゃんは異世界小説の勇者さ! チートでハーレムだぞ!」

「いいな、おれもなりたい! ちーとで、はーれむ!」

「チートはいいが、オロチにハーレムは早いな」

「あなた、変なこと教えないで」物干し竿にハンガーを吊るしながら、母が言う。

「いいじゃないか。こいつもすぐに大人になる。単語くらい、知っててもいいだろ?」

「意味は教えないでくださいね」

 
 夫婦の会話をよそに、少年オロチはハーレムを連呼した。両手を翼のように広げ、庭を駆けまわる。


 ふと、なにを思ったか、少年オロチは父にたずねた。


「父ちゃん、姫は? 勇者には姫がいる!」

「そうだなぁ」父はオロチを抱きかかえて、「ハーレムもいいが、やっぱり最高の美人と結婚するのが勇者ってもんだろうなぁ。父ちゃんにとっての姫は、母さんだ。おまえにとっての姫はだれかなぁ?」

「おとなりの、おとなりの、おとなりの向かいに住んでるサキちゃんがいい!」

「おう、はっはっは」父はオロチを降ろして、「そいつぁお高いところに設定したなぁ。サキちゃんのパパは社長さんだぞぉ? オロチ、相手にされるかなぁ?」

「このあいだも学校で遊んだもん! リンジと一緒に、けんけんぱした!」

「そうかぁ! それじゃ、いまからいっぱい躰を鍛えて、強くならないとなぁ!」


 洗濯を干し終えた母は、空のカゴを脇に抱えて、ふたりのほうを微笑ましく見た。


「運動もいいけれど、お勉強もしてね」

「えー」オロチは頬をふくらませた。「勉強なんかつまんない。どんだけ勉強したってさぁ、テストでリンジに勝てないんだもん。運動なら、あいつに負けたことないのに」

「そうか、なら——」父はしゃがんで、オロチの肩をつかんだ。「運動でいちばんになるんだ。得意なことを、どこまでも、どこまでも伸ばしていけ。あと、リンジのことは大事にするんだぞ。オロチにできないことがあると、リンジが助けてくれる。人間は、そうやって足りない部分を補って、助けあって、生きていくんだ。小説の勇者パーティだってそうだろう?」


 魔法が得意なやつ。武術が得意なやつ。機械に強いやつ。

 小説で読んだいろんなが、少年オロチをわくわくさせる。


「じゃ、リンジは頭のいいやつ! おれは、たたかう、が強いやつ!」

「そうだ! それでいい! オロチは強くなるぞ!」

「だっくる! だっくる!」

「お、小説にでてくる最強魔法の詠唱か! 覚えただんだな! ダーシクルール……、ダーシクルール! 魔王をぶったおすとき、勇者とパーティが叫んだんだよな! あそこは鳥肌だったよな!」

「だっくる! だっくる!」

「いいぞぉ、オロチ! 父ちゃんも純政府をぶっ倒すぞぉ!」



「強く……。なるぞ……」暗闇のなかで、幼少期を回想するオロチの表情は氷よりも冷たく、正気を失っていた。「父ちゃん……。母ちゃん……」


 オロチは次のシーンを思い出した。

 あの日——大雨の日。



「くそっ……! どうしてばれた!」父はテーブルを殴った。「これじゃ未遂よりもひどい。純政府の役人ひとり暗殺できずに、デシカントの幹部を名乗れるか!」


 つづいて、オロチの知らない男性が重い口を開く。


「だれかに密告されたんだ……。支部のだれかが裏切ったんだ。それしか考えられない。このままだと、デシカントの本部もおれたちを消しにくる……」

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