地味な次男は先祖返りのチート持ちだったようです。

吉高 彰哉(よしたか あきなり)

前日譚 第1話「剣が弾いたもの」

【前書き】

 本編より3年前──


 ターコイズ17歳(王都学院・3年)

 コバルト14歳(ブルー男爵領で鍛錬中)


 これは、物語が動き出す“始まりの兆し”を描いた前日譚です。


 コバルトという少年がまだ“ただの次男”だったころ、その剣に、わずかな違和が宿りはじめた時代の話をお届けします。


* * *


 夏の陽射しが、砂に敷き詰められた訓練場にじりじりと焼きついていた。


 気温は高く、風はほとんどなく、誰もが屋敷の中に引きこもる昼下がり。

 けれどその中で、唯一の影が規則的に揺れていた。


 ──弟だ。


 コバルトは、今日も黙々と剣を振っていた。

 ひとり、誰にも見られていないと思い込みながら。

 大剣でも片手剣でもない、中庸な剣を両手でしっかりと握り、足を止めず、呼吸を乱さず、寸分違わず“同じ型”を繰り返している。


 木陰の縁、屋敷の柱に背を預けたまま、俺はその様子をしばらく観察していた。


 見に来たつもりはなかった。

 ただ、久々の帰省──王都学院から三か月ぶりに戻ってきた領地で、父上に報告が終わり、ふと中庭に出ただけだ。


 けれど、視界の隅で剣を振る影を見つけてから、足が止まってしまった。


 この弟は、何年経っても変わらない。

 誰に褒められるわけでもない、誰が見ているわけでもないところで、黙々と剣を振るう。


 そして──


(……やはり、妙だ)


 ここ数分、目を離さずに見ていた。

 最初は、動作の完成度に目を見張った。型の繋ぎに無駄がない。切り返しの軌道も丁寧で、体幹がぶれない。


 だが、途中で違和感が生じた。


 刃が走る“間”。

 剣気が巻き起こる一瞬──そこに、わずかな“前借り”が存在していた。


 物理法則を無視しているわけではない。

 だが、通常なら動作の予備動作として感じるはずの空気の“ため”が、ない。

 それなのに、剣が一瞬だけ、間合いを超えていた。


(……また、か)


 心の中で、そう呟く。

 あの時の異変が、ただの偶然ではなかった──そう思わせるには十分だった。


 ──弟の剣には、何か“余計なもの”が混ざっている。

 ……この距離なら、声も気配も届かない。


 弟はいつも通り、周囲に誰もいないと思っている。

 だから俺は、今日もここから“観察”を続けていた。


 弟の剣には、どこか“異質な伸び”がある。

 それは訓練場での型稽古を見ていて気づいた感覚だったが──


 実は、その違和感に心当たりがあった。

 

* * *


 思い出すのは、7年前。

 領地内で開かれた少年武術大会、年齢別の部門で行われる恒例行事だ。

 当時10歳だった俺は、その年が最後の出場資格。

 弟は7歳で、初参加だった。


 控え席で自分の試合を待ちながら、観客席の上段──父が貴賓席で静かに観戦しているのをちらと見上げた。


 そして弟の試合。

 相手は同い年ながら、王都由来の魔力適性を持つ家の子だった。

 詠唱も稚拙な、初級火球──ファイアボール。

 試合では禁止されていないが、通常なら撃たれた側は避けるしかない。


 なにせ、少年の握る武器は刃引きの鉄剣。火の魔力をまともに受ければ、やけどは免れない。


 ──けれど。


 弟は、避けなかった。

 飛びかかる火球に対し、足を止めたまま──構えを崩さず、鉄剣を正面にかざした。

 その一瞬、何かが閃いたように見え、微かな光と音を放つ。

 火球の軌道がずれ、空中で弾かれ、地面に小さく爆ぜる。


 一瞬、剣が光を纏ったように見えた。

 火球は軌道を逸れ、爆ぜることなく地面に散った。

 闘気剣オーラソードに似た現象──だが、それは本来ありえない。


 弟は、このときも今も、闘気オーラを発現していない。

 それは、家族全員が理解している“前提”だった。


 鍛錬の才はあっても、内側に力が通らない。

 闘気オーラが流れない。魔力も流れない。


 だからこそ、あいつはただ剣を振っている。

 “力”の代わりに、努力を重ねて。


 けれど、あのとき──剣に確かに“何か”が走った。

 周囲の観客は騒いでいた。


 「あれ、もう闘気オーラを……?」

 「さすがはブルー家ご嫡男」


 そんな言葉が飛び交っていたが、

 俺の視線は、上段の父に向いていた。


 父は無言だったが、わずかに目を細めた。

 それだけで十分だった。


 父もまた、“見ていた”。

 ただの才能ではない、“何か”があったと。


 あれは、発現でも技術でもない。

 もっと根本的に、“剣を媒介にした拒絶反応”だった。


 魔力に干渉しないはずの体が、魔力を弾いた。

 ──あの時すでに、兆しはあったのだ。


* * *


 思い出は過去のはずだった。

 けれど、今この瞬間、弟が振るう剣の動きの中に──

 あのときの“違和感”が、確かに息づいていた。


 間合いがずれる。

 剣筋の出だしと、到達点の時間感覚に歪みがある。

 足は止まっていない。重心も正確。


 だが一閃、空気が跳ねる。空間がわずかに裂けるような感触があった。


 弟は、それに気づいていない。

 むしろ、うまくいかないとでも言いたげに眉をしかめ、もう一度構え直している。


(制御できていない……)


 その事実が、恐ろしい。


 剣技の努力でここまで来た弟が、もし本当に“力”を内に秘めていたとして──

 それが無自覚のまま、反応し始めているのだとすれば、危険極まりない。


 自覚なき力ほど、恐ろしいものはない。


 闘気オーラも魔法も、訓練によって制御を覚える。

 だが、この得体のしれない“何か”は、理論も体系も知られていない。

 祖父の代でも聞いたことがない。


 ──いや、ひとつだけ。


蒼雷そうらい──)


 雷の因子。

 古い資料の片隅にだけ、存在が記されていた名もなき“返り血”。

 闘気オーラでも魔力でもなく、“それ以外の何か”として分類された因子。


 名を持たぬまま記録され、やがて王都の系譜書から削除された、あまりに異質な力。

 もし、それが──


「……あれが本当に“雷脈らいみゃく”だとしたら」


 小さく呟く。誰にも聞こえない声で。


 風が吹いた。

 訓練場の隅、弟の汗が跳ねる音と重なるように。


 視線をそらさず、そっと背筋を伸ばす。


 これは偶然ではない。

 弟の中に、確実に“何か”が育っている。

 雷のように奔放で、制御を拒み、すべてを焼き尽くしかねない力が。


(もう、ただの観察では済まない)


 俺はそっと、ポケットの中に忍ばせていた小冊子を取り出した。

 王都学院の書庫から密かに持ち帰った、分類不能因子の資料集だ。

 “雷の跳ね返り”──という注釈付きで、記録されていた一件。


 それが、ブルーの姓に関わる者の血から出たものだったことは、誰も知らない。


 この力が、何かの“因子”であるなら──

 いずれ、誰かがそれに気づく。


 そしてそれは、祝福ではなく“監視”を意味するだろう。


 魔法でも、闘気オーラでもない異質な反応。

 王都の連中はまず間違いなく“例外”として分類し、封じる方向に動く。

 それが国家機関というものだ。


(そのとき弟は、どうなる)


 今のあいつはまだ、何も知らない。

 己に眠る“違和感”の正体も、

 それが外の世界にどう見られるかも。


 ……なら、先に備えるべきは俺だ。


 あれから七年。

 一度きりの異変を、父は何も言わなかった。

 いつものように無口で、無関心を装っていた。


 だが俺は知っている。

 父は、あえて黙っていたのだ。

 ──あの人は、“力”というものの重さを知っている。

 それが未熟なうちに名前を与えれば、可能性ではなく“檻”になると分かっていたのだろう。


 だから、あいつ自身が選ぶまでは、手を出さなかった。

 そして俺も、それを見ていた。

 観察者として。

 兄として。

 何かの兆しが見えるまでは、踏み込まないと決めていた。


 だが──

 それは今日、限界を迎えた。


 力が芽吹くよりも前に、枷がはめられる前に。

 俺が輪郭をつかんでおく。

 弟がそれを認める時が来たなら──背を押してやれるように。


 ふと、弟がこちらに気づきかけた気配がした。


 すぐに柱の影を離れ、気配を抑える。

 視界の端で、弟が小首をかしげる様子が見えたが、気づかれた様子はない。


 それでいい。

 今はまだ、知られずに進めるほうがいい。


 ポケットから、折り畳んだままの古文書の写しを取り出す。

 王都学院の書庫で偶然見つけた記録だ。

 “拒絶反応を伴う雷反応”──そんな注釈が添えられたページ。


 分類不能。観察対象。処置未定。

 読み解く価値はある。

 今の弟を見て、そう確信した。


(母上にも相談すべきか……いや、あの人はもう気づいているな)


 風が変わった。


 弟の剣が、また空を切る音が響いた。

 その音には、鍛錬の形をした、未成熟な力の軋みが混ざっていた。

 その音を背に受けながら、俺は静かに屋敷の影へと歩を進めた。


 観察者として。

 兄として。

 そして──あいつの中で、目覚めかけている“名もなき力”に、

 誰よりも早く向き合うために。


* * *


【後書き】

 “ただの試合”に見えて、実は何かが起こっていた──。

 そんな伏線として、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。


 次回も兄・ターコイズ視点で、弟に眠る違和の正体へと静かに迫っていく幕間となります。

 彼の視線を通して、物語がわずかに動き出します。

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