ー6ー


 四人用のテーブル席に、わたしと上田さんが肩をならべて座った。その正面に男性客がひとりで座っている。バイトの面接か、高校の進路相談みたいな構図だ。


「探偵さんは、いらっしゃらないのですか?」


 男性客がたずねる。


「ちょっといま、奥のほうで事務の作業中なの。もうしばらくしたら来ると思うから。すこし待ってて?」


 シラツユさんは男性客にもコーヒーを差し出した。わたしと上田さんの空いたマグカップにも、コーヒーのおかわりを注いでくれた。それからシラツユさんは暖簾の奥へ消えていった。寝ている一十冬夜を起こしに行ったのだろう。


「ここの主が来るまで、おれでよかったら話を聞きますが」


 上田さんが場をつないでくれたおかげで、微妙な沈黙は回避された。


「ありがとうございます……」


 男性客は静かに答えた。ところでわたしはこの件を聞いていていいのだろうか。この男性とは面識はないし、女刑事でもない。探偵事務所にも所属していない、ただの客だ。部外者にほかならない。


「あの……。わたしは席を外したほうがいいのでは?」

「お? 大丈夫だろう」上田さんはこちらを一瞥してから、男性客に視線をもどした。その顔はなにか企んでいた。「篠田さん。この子はこの探偵事務所の新人で、一十冬夜の助手だ。だから安心して話してくれていいぜ」


 身に覚えのないことを勝手に言わないでくれ——と反論したかった。が、雰囲気的に無理だった。


 ここは一十冬夜の助手ってことで通せ、という暗黙の了解を上田さんから感じた。それはそうと、彼の名前が篠田さんだということがわかった。


「ここの助手になって長いんですか?」


 不安そうな表情で篠田さんがたずねてきた。


「ああ、ええ。ほんの数秒前に助手になった気分でして……」

「そうでしたか……」篠田さんはうんうんとうなずいた。「新人さんとは思えない貫禄を感じます……。ああ、いえ、 老けているとかそういうことではなくて。心霊に関することはお手のもの、といった佇まいがありますね」


 どこがだよ、と心のなかでツッコミを入れた。 お手のものどころかまさに渦中で憔悴しきっていたのに。篠田さんは、自分よりも体調よさそうな人にはとりあえず貫禄を感じるのだろうか。


 すると上田さんがせせら笑った。


「この子はそぼろちゃんっていうんだが、それはもうすごいんだぞ。ついこのあいだも難事件中の難事件をパパっと解決しちまったんぜ」


 うそを言うな、うそを!


「一十冬夜とも息ぴったりでなぁ。この子にまかせればなんだって安心さぁ、助手にしておくのがもったいないぜぇ、まったく、なぁ、そぼろちゃん」


 ひとつのうそがみるみる膨らんでいく。

 膨らませた人が責任をとってくれるのだろうか。


「お若いのに、素晴らしいですね……」と篠田さんは目を細めて感心した。

「いえいえ、そんな、ほとんどうそみたいな話でして……」


 わたしが苦笑いを浮かべていると、スリッパがパタパタと小走りする音が聞こえてきた。暖簾の奥からシラツユさんがもどってきた。


「ごめんなさいね。まだ手が離せないみたいなの」


 彼女は申し訳なさそうに言った。


「いえ、大丈夫です。もし待っててもいいなら待ちます」


 目をぱちくりさせながら篠田さんが答えた。どうも、シラツユさんの露出が多い服装のせいで、どこに目をやったらいいかわからない様子だ。動くたびに弾力のある胸が揺れるから無理もない。


「おうシラツユさん、いまな、そぼろちゃんがここの助手としていかに素晴らしいかを説明していたんだよ。このあいだ事件をパッと解決しただろう? すごかったよなぁ」


 上田さんはさも当然のように言ってから、シラツユさんに向かってウィンクをした。ここは話を合わせてくれ、という暗黙の疎通だ。


「え?」


 受けとったシラツユさんは数秒固まった。しかし上田さんの意図を理解したのか、すぐに満面の笑みを咲かせた。


「そ、そうなのよ! そぼろちゃん、ほんの数秒前に助手になったような感じなのに。何年も前からこの業界にいるみたいで。ほんとうに頼りになるのよ、助手でいるのがもったいなくらいに……、あはは」


 そして魔性のウィンクを飛ばしてくるから憎めない、困った。話が虚実の一方向に進んでいる、突き進んでいる。ここはあきらめて大人たちの思惑に従ったほうがよさそうだ。


「あ、ええ、もちろんですとも」わたしは顔をひきつらせて、「亡霊、幽霊、地縛霊、なんでもござれです、はい、ははは……」


 ふたりともいまくすっと笑ったな、あとで覚えておけよ……。


「それで、署のもんが対応しているはずだが、なにか不備があったんで? こんな街はずれの探偵事務所にわざわざ訪れるくらいだ。警察がよっぽど頼りにならねぇとか……、その類ですか?」


 上田さんはまじめな口調に切り替えた。話をもどすつもりみたい。


「いえ……。警察の捜査は素晴らしいものでした。少々時間はかかりましたが、見つかったんです。妻は見つかりました。自宅から一〇キロほど離れた河川敷にいたんです」


 篠田さんは言った。

 こちらは豆鉄砲を食らった。


 いまだに妻が見つからないから、わざわざこんな竹林の奥にある隠れ家へやってきたのではないのか。警察では頼りにならないから、探偵である一十冬夜を訪ねてきたのではないのか。


 状況と言動が矛盾しているように思えた。


「見つかった……、ということは解決ですか?」上田さんが困惑の表情を浮かべる。

「見つかりました。けれどいないんです。そばにいるのに、ずっと遠くにいる……。妻はどこに行ったのでしょう……」


 突然、顔を両手で覆って、篠田さんは泣きはじめた。上田さんは怪訝な顔をするしかなかった。なにせ目の前の男がサイコパスかもしれないという疑惑が浮上したのだ、無理もない。わたしとシラツユさんも困惑を禁じ得ない。


「見つかったのは、妻の肉体だけなんです」

「つまり……、遺体ですか?」上田さんが慎重に訊く。

「いえ。生きています」


 普通に答えてくれた。篠田さんの言動に困惑するこちらがおかしいのか、と思ってしまうほどに迷いのない返答が返ってくる。


「生きていて、見つかっている……。けれどいない?」上田さんが言った。「奥さんはいま自宅にいるんですよね?」

「はい」

「この探偵事務所を選んだということは、それなりの理由があるのよね?」


 シラツユさんがたずねる。


「この近辺に霊媒師がいないか、ネットで調べたんです。闇口という霊媒一族と電話でコンタクトをとったのですが……。提示された金額がものすごくて、とても払える額じゃなかった」

「それはつまり依頼料が高額だった?」と上田さん。

「はい……。もっとリーズナブルな業者はいないかとネットを漁って……」


 辿りついたのが、この一十探偵事務所だった。


「やはり心霊系の現象にお悩みなんですね?」

「ああ、すいません」篠田さんは我に返ったように、はっと顔を持ち上げた。その目は赤味を帯びていた。「ここを頼ろうとした、その理由ですよね……」


 ここでいったん空気が止まった。

 彼の言葉を待つ数秒がとても深く重かった。

 どうしてそう感じたのかわからない。

 そう感じたのは、わたしだけかもしれない。

 ——静寂のなか、小枝が折れたような乾いた音が一回だけ鳴った。


「妻が、妻じゃないんです。精神が小学生くらいの子供になってしまったみたいで……。鞠はどこ、鞠はどこ、と何度も訊いてくるんです」

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