ここはどこ、あなたはだれよ

ー1ー


 一十探偵事務所は、町外れの山道にあった。森と表現してもいいくらいの山道を走り、くねくねと先の見ずらいカーブを何度も超えると、いきなり竹林が現れた。それまで視界を埋め尽くしていた針葉樹たちが、まるでうそであるかのように、その一帯だけが竹に囲まれていた。


「窓、開けてみ?」


 上田さんは車速を緩めた。わたしはドアのボタンを押して、窓を開ける。静かで清々しい和の香りが、あっというまに全身に沁みた。


「いい香り……」目を閉じて、深い呼吸をしたくなった。

「だろう? これが楽しみで、ここにくるようなもんさ。竹林の澄み切った空気ってのは、いっつも心を洗ってくれるんだよ」


 上田さんも、ハンドルを握りながら深呼吸をした。


「町んなかでぎゃあぎゃあと犯罪者を追っかけて、署内のくだらねぇ上下関係に揉まれているとよ……。心身が淀んじまって困る。じゅういちに会うといいつつ、癒されにきてんだよなぁ」


 時速二〇キロで走る車は、車四台分の駐車場に止まった。右端の駐車スペースには一台の軽自動車が止まっていた。


「先客がいますね……」

「おう、まぁいるだろうな」

「じゅうい……」わたしは言いかけて、「一十さんに用事でしょうか?」

「じゅういちではないんじゃないか?」

「それなら、だれに?」

「まぁまぁ——。車を降りるぞ」


 上田さんはシートベルトを外しはじめた。


「もう、上田さんってちょっとずつ隠しごとしますよね」わたしはすこしの不機嫌を投げてみた。

「それ、カミさんからも言われるんだよなぁ……。あんた、って言うばっかりで、行った先になにがあるのかすぐに言わない、ってよ」

「カミさん以外の人には、なにがあるのか言ってくださいね」


 はっはぁ、と上田さんはごまかすように笑った。


「止まっている車の主は、一十さんの事務所に用があって、いまもなにか依頼の件に関して話し合っているのでは……? やっぱりわたしたち、車で待ってたほうが……」

「大丈夫だって。見りゃわかるさ」

「もう……」わたしはちいさくため息をついて、「いまだったら、上田さんの奥さんと話が合う気がする。仲良くなれそう」

「おれの立場としてはよ、見てびっくりしてほしいんだよ。なんだっけ——若いやつが言う、ネタバレ回避? だっけか?」


 だはは、と笑いながら上田さんは車を降りた。わたしもそれにつづく。車の外は、竹の葉のすきまから射しこむ木漏れ陽に彩られ、太陽の熱がほどよくさえぎられていた。とおり抜ける風も爽涼で心地よい。


 いままで避暑地というものを経験したことがないが、ここがまさにそれかもしれない。とても涼しくて、湿度も温度もちょうどいい。その場に立っているだけで、昼寝ができそうだ。


「どうだ、見えるか?」上田さんは、ぐっ、と気持ちよさそうな背伸びをした。

「見える……? 幽霊のことですか?」

「ああ。このあたりには霊が寄りつかない、とじゅういちが言っていてな。だからここに住んでいるんだそうだ」

「それって……、常に霊が見えていると、気が休まらない、ってことですか?」

「本人から直接聞いたわけじゃないが、おおかたそんなところだろう。おれにだって、警察手帳を持たなくていい時間くらい必要さ。人間、どんなに得意なことでも、毎日毎日それと向き合っていたら疲れちまう。だから休憩が必要なんだ」


 霊能力者にも休憩の時間はある——。まだ実感がわかないが、霊を見なくていい時間があるなら、どれほど気が休まるだろう。


 ほんのわずかだけでも希望が見えた気がした。霊感に苦しむばかりではなく、この能力をコントロールして、楽しめるようになるのでは……。そう考える自分がいた。


「なにをしていても、どこにいても霊が見える……。そして疲れる、絶望する……。霊感って、そういうものだと思ってました」

「いずれにしても、おれにはさっぱりだぜ」上田さんは降参の仕草をした。アメリカのコメディアンみたいな動きだ。「だが、じゅういちがというなら、ほんとうにそうなんだろう。おれは、あいつよりも信頼できるやつを知らない」


 上田さんの口調は次第に真剣なものになった。

 しかし数秒待たずに、ふざけたような顔をした。


「あ、カミさんのほうが信頼できるけどな。そう言っとかねぇと、うちで殺されちまう」


 スイーツメーカーのマスコットキャラみたいに、ペロッと舌を見せてきた。


「うーん……」


 わたしは難しい顔で、上田さんの変顔をにらんだ。


「二〇点、ですね」

「あ?」上田さんはキョトンとした顔で、「なんの点数?」

「ペロちゃんの再現度です」

ひっくいなぁ、おい……」



 竹林に沿った道をしばらく歩いた。カッコウの鳴き声が聞こえる度、妙な眠気に襲われた。それくらいにここはリラックスができる場所だ。トントントン……、と聞きなれない音が鳴り、音のほうを振り向くとキツツキが竹を突いていた。スズメの鳴き声も聞こえるし、カラスが道で胡桃を転がしている。


「なんだか、鳥類の博物館でも歩いているみたいです」

「たしかにここは鳥が多いな。あんまり気にしたことなかったが……」すると上田さんは、両手をメガホンのようにして顔に当てた。「おおい! カラこう! こんなところで胡桃転がしたって、車なんかこねぇぞ!」


 カラスの返事はアー! のひとことだけだった。上田さんの忠告を気にもせず、胡桃の位置を微調整している。


「まったく」顔から手を離して、上田さんは柔らかく微笑んだ。「ここに住んでると自由気ままになっちまうのかね。鳥も人間も」

「ところで、なぜ上田さんは一十さんのことを、じゅういちと呼ぶんです?」

「なんでだっけかなぁ。呼びやすいから、だったかな?」

「ご本人は気にしてない様子でしたけど……」

「かれこれ何年も前から、じゅういちと呼んでんだよなぁ。最初こそ、じゅういちじゃない、一十だ! いい加減覚えろ! なんてどやされたが。いまとなっては怒られる気配すらねぇ」

「怒るのもめんどうになった、とか?」

「あり得るぜ」


 話していると、左のほうに石畳の細道が見えた。その道のずっと奥に、古民家らしきものが建っている。


「あれが……、一十さんの事務所?」

「そうだ。この道を行くぞ」


 舗装されたアスファルトの歩道から、石畳の道に切り替わった感触を足裏に感じつつ。わたしたちは奥に見える古民家を目指した。距離にして三〇メートルあるかないかの道だ。


 古民家に近づくほど、太陽の光はさらにさえぎられた。見慣れない植物がアーチ型に生えていたのが、その原因だ。


 大葉に似た葉を何枚も茂らせる、緑色の蔓植物——よく見ると、葉の一枚一枚に紫の血管みたいな筋が走っている。なんだか人の肌みたいで、うす気味わるい。その植物のことは、あまり凝視しないことにした。


 頭を低くして、アーチ型植物が織りなす緑のトンネルをくぐるように歩いた。石畳の細道の脇にはプランターがならべてあり、そこに根付いているカラフルな花々も、見たことがないものばかり。ゆいいつ、花々のそばを飛び交うミツバチだけが、既視感のあるものだった。


「なんだか、すごいですね……。外国のジャングルに入ったみたい……。一十さん、こういう趣味があるんですね」

「ところがなぁ」上田さんは口調を濁して、「これはじゅういちの趣味じゃあ、ないんだよなぁ」

「それならだれの? 事務所には一十さんしかいないのでは?」

「そいつぁ——」

「見りゃ——」わたしはわざとらしくさえぎった。

「わかる」

「ですよね……」



 古民家の前にたどり着いたとき、まずおどろいたのが黒板の看板——それに書いてあった文字の内容だった。


「本日のメニュー、鶏肉の煮込みカレー。チキン南蛮丼プレート。サラダセット、プラス一五〇円。本日のコーヒー、キリマンジャロorモカブレンド……」


 棒のように読み上げて、いま一度目の前の建物を見た。三角の屋根は赤茶色のトタン製。外壁は上下に色が分かれていて、上半分は古い丸太をならべたような木製。下半分は明るい色味のレンガが積まれている。


 さらに下のほうを見ると、土台部分がしっかりとコンクリートになっているのがわかった。建物の周囲は高さ一メートルほどの生垣に囲まれていて、緑彩豊か。


 生垣に沿うようにプランターもならべられてあり、それもまたカラフルな花々に装飾されている。そして、この敷地全体を包んでいるのは、どこまでつづく広大な竹林——。まるで異世界だ。


「で……、この黒板はカフェのやつ……、ですよね?」

「おう。カフェだ。ちょうど昼の時間だし、なんか食おうぜ」


 あー腹へったぁ、とオヤジっぽくつぶやいて、上田さんは古民家に入ろうとする。


「ちょ、ちょっと待って!」わたしは呼び止めた。

「おう? どした?」

「どした、じゃないですよ。わたしたち探偵事務所に来たんですよね?」

「そうだぞ。ここがじゅういちの事務所だ」

「どこからどう見ても雰囲気のいい古民家カフェじゃないですか」

「そうだな。実際、そうだしなぁ」


 上田さんは困った顔で、髭の生えた頬を指で掻いた。すると、古民家の片開きドアが開いて、カランカラン……、とおしゃれなドアベルの音が鳴った。香ばしいコーヒーの香りとともに現れたのは、ひとりの女性だった。

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