第23話 物憂げの悪魔
カーテンの隙間から
「……ん〜、よく寝た」
ぼんやりとした声を漏らし、目を擦る。
久しぶりに自分のベッドで眠れたという幸福感が心地よかった。
顔を洗うため下の階に降りると、わずかだがコーヒーの香りが漂っていた。
しかし家の中はしんとしていて、
きっとすぐ近くにある畑に出て野菜の収穫をしているのだろう。
夏場は特に収穫物が多く、よく二人で朝から畑に出たものだ。
ざっと顔を洗い終えて、再び自室へと階段を上がる。
伯母を手伝いに畑にでも行こうと考えたが、今は母の書物を調べたい気持ちでいっぱいだった。
──よし! 頑張って見つけるぞ!
そう意気込んで部屋の扉を開けたのに、中に入る足が思わず止まってしまった。
クローゼットにもたれかかっている黒い影。
「遅かったな」
低く響く声に、胸が一瞬跳ねた。
そこにいたのはレイ。
黒髪を無造作に垂らしながら、手にしている一冊の本に目を配っていた。
「なんでここにいるの⁉︎」
驚いて声を上げるマナには一切構わず、レイは本に視線を落とし続ける。
「寝ている時に来るなと言ったのは、お前だろう」
「……まあ、そうかもだけど。って言うか、一応女の子の部屋なんだし、勝手に入っちゃダメでしょ」
レイが淡々と告げた一方で、マナはどうにも落ち着かない気分になっていた。
昨晩、伯母に「ボーイフレンド」と言われたことが尾を引いていたからだ。
小さな声で抗議するも、彼はどこ吹く風で本を読み進めている。
さらりと垂れている髪と真剣そうな横顔に、思わず見惚れた。
妖精の聖樹地で剣の手入れをしている時にも思ったが、何か一点に集中している時の横顔は、とても綺麗に見えてしまう。
──なにを真剣に読んでいるんだろう。
そわそわしながらレイに近づき、中を覗き見る。
母の雑記とも何かの文献とも違う、小さく印字された文字がびっしりと並んでいる。
それは、母が趣味で集めていた推理小説の一つだった。
「意外。レイってこういうの読むんだね」
「人間が書いた書物などに興味はない。ただの暇つぶしだ」
ぶっきらぼうに答えながらも、ページを
それに、暇なら大きな翼でどこへでも行けるはず。
それをせずに部屋で本を片手に時間を潰しているレイの姿を見て、少しだけ嬉しくなった。
「人間が書いた本にだって面白いものはあるよ。まだ何冊かあるはずだから、私が調べ物してる間に読んでみたら」
そう言って、マナは嬉々とした様子で本棚に駆け寄った。
いそいそと本棚を開けて、あれやこれやと書物を物色し始める。
忙しない姿。
それは、鼻をひくひくとさせながら夢中で
マナを
──やはり、この小娘を見ているのが一番の暇つぶしだ。
そう思いながら、時折彼女の方に視線を向けて本を読み進めた。
机に向かい背筋を伸ばしてまじまじと本と向かい合っていたマナだったが、その背は読破した本に比例してどんどんと丸くなっていき、表情も渋くなっている。
そして、ついには机に突っ伏した。
「……だめだ! 全然見つからない!」
勢いよく顔を上げたマナが胸のうちを
頭を掻きむしり頬を膨らませたあたり、本当に行き詰まってしまったのだろう。
「そもそも、本当に形見について書いてある書物はあるのか?」
「わからない。小さい時からお母さんの書物は一通り見てるんだけど、それっぽい本の記憶はないの。だから、見逃してるのかなって思ってたんだけど……」
マナはいじけるように机に頬を乗せた。
数時間前まで見せていた小動物の動きが嘘だったかのように止まっている。
机の上で無秩序に開かれているページや積み上げられた書物は、彼女の焦燥を物語っているようだ。
「諦めるか?」
わずかな笑みを浮かべて問いかけると、机に頬を押し付けたまま不満げな目をこちらに向けてきた。
「諦め……たくないけど。もうほとんどの書物は読んじゃってるし、残ってるのは四大元素の魔法書だけ。一応読んでみるけど、その中にあるなんて思えないよ」
いつもなら少し挑発するように声をかければ、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのに、それがない。珍しく弱気だ。
レイは小さく息を吐いた。
「得てして、探し物とは追い求めるほど手から離れ、追うのをやめた途端に
独り言のように呟いた言葉に、彼女の表情がわずかに動いた。
驚いたようにこちらを見つめ、机に押し付けていた顔をゆっくりと上げる。
「……なんか、人間っぽいこと言うね」
「先ほどまで読んでいた本に、そう書いてあった」
本のページをめくりながら淡々と答ると、彼女の目がさらに丸くなった。
そして口元を緩ませ、妙に楽しそうにしながらこちらをじっと見つめている。
まるで、
「……なんだ?」
レイは視線を本に落としたまま問う。
「なんだかんだ、ちゃんと読んでるんだなって。どう? 面白いでしょ?」
「くだらん。こういう機会でもなければ、二度と読むこともない」
「ふぅ〜ん、そうなんだぁ」
頬杖をつきながら言ってきた小娘の、目元口元をだらしなく緩ませた顔が嫌でも目に入ってくる。
阿呆面にしか見えないその顔が、なんだか無性に気に
無邪気そうに笑っている彼女のその裏にある何かが、自分を刺激してくる。
だからだろうか、少々困らせてみたいと思った。
軽く本を閉じたレイは無言でマナの方へと歩み寄り、見下ろすように彼女を見つめる。
「ん? なに?」
不思議そうに顔をあげてきた。
──なんて
レイはふっと口角を上げ、マナの髪を一房すくう。
「え⁉︎ ちょっと……!」
みるみると彼女の表情が変わっていく。
目を泳がせて頬を赤く染める反応は、いつ見ても面白い。
なにも言わずにさらに顔を近づけると、飛び出したかのように現れた赤い本に視界を
「またキスしようとしたでしょ⁉︎ もういい加減わかってきてるんだからね!」
マナは口元を本で隠し、必死に抵抗する姿勢を見せる。
困惑と動揺が入り混じったその表情は、どうやっても隠しきれるものではない。
「本当に、油断も隙もない悪魔だわ」
降参するかのようにボヤいた彼女の言葉を聞いて、先ほど抱いたざわざわする感情が少し晴れた気がした。
「お母さんの日記を、こんなことに使うなんて」
なおもボヤき続ける。
どうやら盾に使った赤い本は、彼女の母の日記だったらしい。
「その日記はもう見たのか?」
彼の問いに、マナは本を抱えたまま視線を落とした。
「帰ってきてからは、開いてない」
小さく首を振る。
「小さい時からずっと見てる日記だから、内容は知ってるの。この日記には書いてないよ」
何度も何度も見返した、古びた赤い日記帳。
表紙を撫でる指に自然と力がこもる。
母が生きていた証。残された言葉たち。
ミーティスが言った「
それは形見のことが記されていたことよりも、大切な意味を持ってる気がした。
その時、一瞬だったが日記から木漏れ日のような柔らかい光が溢れ出した。
「……え?」
マナは戸惑いながらも勢いよく日記を開く。
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