第15話 願いの見返り

 焦げた木の匂い。

 生命を飲み込むように広がっていく炎と、青い空を染めていく黒煙。

 もといた大樹からそう遠くない場所にあるこの一帯は、緑豊かだった木々の世界とは隔離されたかのように赤々としている。


「……ひどい」


 喉が焼けるような熱さにマナは思わず口をおおった。

 燃えている木々のそばには、たくさんの妖精が集まっている。

 泣いている妖精、怒りに震えている妖精、立ち尽くす妖精。

 

 平穏が崩れ去っていくその光景は、王宮での出来事を思い起こさせる。

 胸が締め付けられるような感覚。

 込み上げる痛みが、マナを突き動かした。


「……私が結界を張ります! それで火は食い止められるはずです!」


 妖精たちは不安げな表情を浮かべながらも、「下がっていてください」というマナの指示に従い、木から距離を取った。

 

 マナは最前に立ち、目の前の悲劇と向き合う。

 風に煽られた炎の熱気は、肌を焦がすように吹き抜けていく。

 思わず一歩後ずさりしそうになるが、必死に踏みとどまった。


 ──これ以上、被害が広がる前に……!


 胸の前で手を組み意識を集中させ、燃えている木々の周囲に結界を展開した。


 ──間に合った……!


 結界の内側に火を封じ込めると、マナは安堵の息を漏らし、額の汗を拭った。

 想像以上に火の回りが早く、駆けつけるのがあと少しでも遅れていたら結界は届かなかったかもしれない。


「どうしてこんなことに……」


 結界内で轟々ごうごうと燃え上がる木々を前に、周囲の妖精たちは落胆の色を見せている。

 そんな中でも、レティシアだけは声を張り上げいた。

 

「みんな無事⁉︎」


 焦燥に駆られた様子でみんなの安否の確認をしていた彼女に、苦しそうな顔をした妖精の女の子が近づいた。

 火の粉にやられたのだろうか、その女の子の羽根は一部が焦げている。


「羽が焼けてるじゃない! 大丈夫なの⁉︎」

「私は大丈夫……。それよりもレティシア……」


 静かに涙を流した女の子は、身体をこわばらせながら口を開いた。

 

「ダニエルたちが……人間に捕まったの……」

「…………嘘でしょ? そんなことって……」


 レティシアの顔から覇気がなくなっていく。

 それを聞いていた一人の妖精が、怒りをあらわにしながらマナたちのそばまで飛んできた。


「俺、見てた……! シルクハットを被った男! そいつが煙草を投げ捨てたと同時に、大きく炎が上がったんだ……!」


 マナは瞬間的に理解する。

 

 ──シルクハット……。まさか!


「ダニエルたちはその付近にいた。火から逃げているところを狙われたんだ。ただ煙草を投げただけで、あんなに一気に燃え広がるはずがない。奴ら、絶対に何か仕組んでいたはずだ……!」


 力強く握り拳を作った妖精はうつむいて肩を震わせた。今にも泣き出しそうだ。

 そして、レティシアもマナと同じように理解したようだった。

 事実を確認するため、レティシアは絞り出したような声で妖精に尋ねる。

 

「……何人捕まったの? それと、その男、三人組じゃなかった……?」

「捕まったのは三人……。そう、三人組だった、シルクハットの男は木の枝を杖のようにして立っていた」


 もう疑いようがない。

 木の枝はレイに傷つけられた足をかばってのものだろう。

 

「……ごめんなさい。私が……私のせいで……!」


 自責の念にさいなまれ言葉にならない嗚咽を交えながら涙を流すレティシアを、マナは黙って見つめていた。


 ──もう許せない……!


 レティシアをはじめとした妖精たちの泣いている姿に、マナはすでに怒りを隠しきれずにいる。

 

「その男たち、どこに行ったかわかる⁉︎」


 声を強めて、男たちを目撃していた妖精に聞く。「向こうの方に……」と、遠くを指差した妖精は悔しそうに続けた。


「力のない俺たちにはどうすることもできないんだ。頼む……仲間を連れ戻してくれ」


 悲願するよう頭を下げた妖精に、マナは「大丈夫、絶対帰ってくる」とはっきり答えた。

 答えなんて、最初から決まっている。


「レイ! お願い! ダニエルたちを連れ戻して!」

「断る」


 マナの必死な声に対する返答は、彼女が思っていた以上に冷たいものだった。

 そのせいで、一瞬言葉を失ってしまう。

 そして、しれっとした態度で即答するレイに少しずつ苛立ちも湧き上がる。


「……どうして⁉︎ リリィの時は聞いてくれたじゃない! 私は結界を見てなきゃだし、火傷した妖精たちの治療をしたいの!」

「あれは気まぐれだと言ったはずだ。それに、お前の『お願い』を聞いたところで、なんの見返りもない」


 肩をすくめたレイの姿を見て改めて実感した。

 彼は悪魔なのだ、と。

 決して善意で動いてはくれないのだろう。

 

 気がついたら、腕を組んで呆れ顔をしているレイの前に一歩踏み出していた。

 彼の言う『見返り』が何を指しているのかなんて──聞かなくてもわかる。


「人任せにするのも大概たいがいに……」


 そう続けているレイの襟元を唐突に掴む。

 ぐいっと彼の顔を引き寄せ、自ら唇を重ねた。

 

「…………レイにしか頼めないの! お願い! 連れ戻して!」


 ゆっくりと唇を離したマナは、気迫がこもった眼差しでレイを見つめる。

 

「『命令』ではなく『お願い』とは、実にお前らしい」


 久々にマナの生気を堪能たんのうしたレイは青い瞳に陶然とうぜんとした輝きを宿すと、にやりと口角を上げ舌なめずりをした。

 

 マナが咄嗟とっさに「お願い」と口走ったのは、命令なんてしたことがない彼女の性格の現れだった。

 レイを大樹の中へ誘ったときとは違い、今は一刻を争う状況。

 そんな中でさらっと「命令」と発するなんて、彼女にはできなかった。


「……! やっぱり命令!」


 マナは顔に赤みを含ませて、慌てるように訂正する。

 ふっとかすかに口元を持ち上げたレイは、彼女の命令通り男たちの元へと向かっていった。

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