第5話 ゆくりなき召喚

 マナは結界を破ろうと、必死に足掻いていた。

 治癒魔法、鎮静魔法、解毒魔法、浄化──。

 できる限りのことを試みているが、結界は破れずにいる。


 ──どうしたらいいの……!

 

 あの魔女の言った通りなのが、悔しくてたまらない。

 どうやっても打破できない現状が、マナの目を赤く腫れさせていた。


 もがいていると、王宮の方から何度目かの衝撃音が聞こえた。

 空気を震わせ、地面さえも揺らすような音だ。

 

「一体なにが起きているの……⁉︎」


 マナは息を呑む。


 ──早くここから出なきゃなのに……!

 

 感情に任せて力いっぱいに叩いても、結界は破れない。

 為す術を失ったマナの耳に、聞き馴染みのある声が微かに届いた。

 

「怖いよお」

「なんでこんなことに」

「助けてぇ」

「マナ様どこぉぉ」

 

 あの四人の子供たちの声だった。

 精一杯恐怖に立ち向かいながらも、おびえのある声が響いている。

 

「みんな!」


 マナは思わず大きな声を出した。

 最年長の男の子が何かに気付いたような素振りを見せたので、もう一度大声で呼びかける。

 今度ははっきりとその反応が返ってきて、子供たちが必死に駆け寄ってきた。


 最年長の男の子を除いた三人は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら結界にしがみつく。


「どうしてこんな場所に⁉」

 

 そう問いかけるよりも早く、男の子はマナを見上げ、潤んだ瞳で必死に訴えかけた。


「マナ様! 助けてください! 王宮の周りが真っ暗になっていて、いま魔物と騎士たちが戦っているんです!」

「そんな……!」

 

 ──リリィの仕業しわざに違いない。


 マナは唇を噛み締める。


「『マナ様を呼べ』って、いろんなところから声が聞こえて……。また裏庭にいるかと思って……。それで、裏庭まで来たら……森の様子がおかしいって……入っちゃって……うわああん」


 嗚咽おえつまじりに話す男の子も張り詰めていた糸が切れたのか、他の子供たちと同じようにわあわあと泣き始めた。


 ──許せない……。

 

 静かに、沸々ふつふつと怒りがこみ上がる。

 リリィは二十年前の続きを楽しんでいるのだ。

 それだけではない。

 母に封印され阻止された国盗りを、再開しようとしている。


 自分ではリリィに攻撃することすら叶わない。

 それでも──。

 母が守ったこの地区が崩壊していく瞬間を、指をくわえて我慢しているだけなんて、出来るはずがない。


「……わかった! 私がなんとかする! こんな結界すぐに壊して、みんなを助けるから! 教えてくれてありがとう!」


 子供たちをはげまし、勇気づけるため笑顔につとめる。

 みんなから少しでも不安を取り除きたかった。


「ここは危ないから、森から出て裏庭のもっと遠くへ逃げて。全部終わったら、また一緒に鬼ごっこしようね」


 マナの優しい微笑みに、子供たちはうなずきながら涙を拭う。

 最年長の男の子が他の子供たちを率いて森の外へと走り出した。

 

「ごめんね……。私に力がないばっかりに……」

 

 マナは胸元に手を当て、静かに形見のブルーダイヤモンドを取り出した。

 宝石の冷たい感触を両手に感じながら、深呼吸をする。


《心からマナが何かを望んだ時、いつかマナの力になってくれるわ》

  

 母の残した言葉が、深く心に響く。

 まるで耳元で囁かれているように感じられた。

 

 ──心から何を望んでいるのか……。

 

 今なら、はっきりとわかる。

 その強い決意と共に、マナは目を閉じる。

 

「お母さんお願い……。お母さんのように、私もみんなを助けたい。守りたい……! だから、私に全てを守れる力を……!」


 祈りと共にぎゅっと手を握りしめると、ブルーダイヤモンドから青白く強い光が溢れ出した。


 ──なに、この光……⁉︎

 

 その光を初めて目にしたマナは、驚きとともに目を見開いた。

 だが、光はまたたく間に輝きを増し、周囲を包み込んでいく。

 あまりの眩しさに、思わず目を強くつむった。


 …………

 ……

 …


 恐る恐る目を開けてみると、何をしても破れなかった結界が破れていた。


「結界が……。お母さんの力……?」


 マナは不思議そうに辺りを見回す。


「俺の力だ」


 耳にしたことのない声が頭上から聞こえた。

 見上げた先の空に浮いていたのは、大きな漆黒の翼を広げている男だった。


 黒く長い髪をなびかせ、騎士のような服装で身を包んでいる。そして、その服さえも黒い。

 切れ長でするどい目つきの奥にある瞳は、ブルーダイヤモンドのように鮮やかで深みのある青い輝きをしていた。


「俺を召喚したのは、お前か?」


 男はいぶかしげにマナに問う。

 

 ──召喚……? このひとの言っている意味がわからない。でも、結界を破ってくれたのも……このひと

 

 マナは状況の整理が追いつかなく困惑していた。

 恐々こわごわと言葉を選びながら、手中にあるダイヤに祈っただけだと伝える。

 

「ダイヤか。見せてみろ」


 男はゆっくりと空から降り立ち、マナの握っているブルーダイヤモンドを見て瞬時に答えを出した。


「この中には魔法陣が描かれている。召喚の魔法陣だ」

「……そんなの見えたことない」


 改めてダイヤモンドを凝視したが、やはり中に見えるのは煌めいている結晶だけ。


「魔法しか知らないお前らでは見えんだろうな。これは魔術、全くの別物だ」

 

 ───魔術?

 

 大昔に禁忌とされ、今では誰もその力を使う者はいない。


 ──どうして、魔術そんなものが……?

 

 男の言葉にマナの困惑は深みを増していく。

 顔をしかめながら手のひらのブルーダイヤモンドを眺めるが、やはりマナからしたら綺麗な宝石でしかない。


「で、聖女様が悪魔を召喚してまで叶えたい願いとは何だ?」


 男は機嫌が悪そうに腕を組んでいたが、マナは状況を整理するので精一杯だった。

 

 ──悪魔?


 男は確かにそう言った。

 感じたことのない魔力に黒い翼で空を飛んでいたことから、普通の人間ではないと思ってはいた。

 でも、それがよりによって悪魔だなんて。

 

《いつかマナの力になってくれるわ》


 母の言葉が脳内をよぎる。

 

 ──力? この悪魔が?


 どんどんと頭の中がごちゃごちゃになっていく。

 

「さて、何を願うか決まったか? 力か、金か、あるいは死か……。なんでも叶えてやる。ただし、これは契約。その代償はしっかりいただいていく」


 マナの心情など知るはずもない悪魔は青色の瞳をぎらつかせ、いやらしく笑っていた。

 

「私は……あなたを召喚したつもりはないし、あなたに叶えてほしいこともない……!」


 マナは強張こわばった顔で悪魔を見つめる。

 わからないことだらけだ。

 それでも、聖女が悪魔と契約だなんて、そんなことあってはならない。

 それだけは、はっきりとしている。

 

 すると、悪魔は笑みを浮かべたまま近寄ってきた。

 

強情ごうじょうな女は嫌いじゃないが、お前が俺を召喚したのは事実だ。それに……」


 悪魔はマナのあごを人差し指ですくい上げ

 

「聖女の血肉、特に心臓は他の人間のそれよりも美味だと聞く。どんな味なのか……先に堪能たんのうしてしまおうか」


 と、人差し指を左胸に滑らせた。


 体にゾクッと恐怖が駆け巡る。

 心臓にナイフを突きつけられているような感覚。

 

 悪魔の青い瞳は吸い込まれそうになるほど不気味で、澄み切った星空のようにまばゆい。

 そして、笑った口の中にするどくとがった歯が見えたことが、また恐怖心をあおられた。

 

 マナの体が恐怖で硬直した直後、再び王宮の方から衝撃音がした。

 その音がマナに冷静さを取り戻させた。


 ──そうだ! 早く王宮へ向かわなきゃ!


 いま本当に困っているのは自分ではない。王宮にいる人たちだ。

 悪魔の手を振り払って、迷うことなく王宮に向かって駆け出した。


 そんな彼女の動きに悪魔は反応することなく、じっと立ち尽くす。

 そして、わずかな時間を置いて不敵な笑みを浮かべた。

 

「……なるほど、この気配は魔女か」


 悪魔は走り去るマナの後ろ姿を見つめていた。

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