十二月二十一日 午後十二時

「ハチ兄ちゃん、顔色悪いぜ。ちゃんと寝たのかよ」

「寝てないよ。生活リズムがね……」

「よくわかんねーけど、寝たほうがいいと思うぞ。じゃなきゃ体力つかねーよ」

「ジロ、君はもう少しオブラートに包むってことを覚えたほうがいいかもね」

 悔し紛れで言ったものの、誰が見ても同じように勧めるだろう。それは俺が一番客観視できている。悲しいことに。

「なに? なんかのデザート?」

 それはジェラートだろ。

 そんなツッコミをしたとて、俺の今置かれている状況は全く変わらない。

 タロの申し出から一晩、いや一昼を越えて、今は午後の十二時。ここの昼夜逆転生活は徹底しているようで、無様に地べたに大の字で倒れたままの俺を、五人ほどの、目のぱっちり覚めた子どもたちが上から見下ろしていた。

 俺は視線から逃げるように立ち上がって、段ボール箱から溢れた書類を集める。これじゃあ手伝いなのかそれとも手間を増やしているのかわかりやしない。ふらつく頭と自尊心を安定させながら、段ボール箱を抱えた。

 俺達は、タロの提案を受け入れることにした。結論としては最初に考えていたものと同じだが、そこに至る過程は百八十度違う。

 タロの父親は、上野の国立科学博物館にいる、らしい。断定できないのは、タロの父親はそう言い残して東京に行ったきり、半年の間帰ってきていないからだ。

 科学者であり宇宙工学者、そして細菌学者であるタロの父親。公安である千和さんのそれとない誘導。千和さんは研究学園都市を抜けてどこに行こうとしていたのか。それらを重ね合わせると、タロの父親が寝坊病に何らかの形で関わっている、と考えるのが自然な流れだ。

 タロの父親がウイルスを作った張本人である可能性も、捨てきれない。そうであれば千和さんがその子どもであるタロと、タロが率いるスペクターズを危険視し、俺達に探らせようとしたというのは論理が破綻していない。

 問題は彼女がなぜ、自分で来なかったのかということ。これに関して、クロは寝る前に、ある仮説を立てていた。

 千和さんのような大人ではなく、俺達のような若い人間を使えば子どもギャングへの接触が容易なのではないか、と千和さんが考えていたという仮説だ。

 少し厄介な話がもう一つ。それは、俺達が直面した物理的な壁のこと。

 アスファルトを流し込んだのは、どうやらタロの指示だったらしい。子どもがやるには大々的な工事が過ぎるだろうと思いつつも、どうも子どもたちに話を聞くと夢の工事現場ごっこができて楽しかったと。良かった良かった、で済ませられる話じゃない。

 あの雑さ――大人が計画的にやったとは到底思えないずさんな工事も納得できた。なにせ子どものやったことである。その真相は中々にぶっ飛んでいたが。

 要するにあの研究都市、ひいてはあのトンネルが通じている様々な研究機関と上野を分断すれば大人が使用しなくなり、最終的にあのトンネルを使用して子ども達が物資を調達できればと考えての通路の封鎖。戦略的な決断だったわけだ。上野になにかがあると知っているタロだからこその発想だろう。

 複数の勢力がそれぞれの思惑で動いている。俺とクロはそれに巻き込まれていた。

 ただシンプルに、月の石を取りに行こうとしているだけなのに。

 そんなことをぐるぐると考えていたせいで、俺は昨日の昼、よく眠れなかった。いつものことではあるが。

 ふらつく足取りのまま、俺は段ボール箱を四階の物資置き場に運び、一息入れる。ジロは腰に手を当てる俺を呆れたように一瞥し、荷物の間を軽々と跳ね飛んだ。

 この商業施設の四階は主に使わなくなったものを置く場所として使われているようだ。ホームセンターの名残なのか、高い棚が所狭しと並んでいる。

 地階は食料の保管場所。一階は居住スペースと警備や襲撃のための装備置き場。二階は工具などが置かれている作業スペースで、三階は娯楽などを管理している。十三歳が作ったとは思えないシステム化と効率化の成果は、六十九人の子ども達が日々生き抜くためのゆりかごとして見事に機能していた。これほどまでの大規模なコロニーは、他の場所では見られない。

「なあ、ジロ」

 ジロは資材整理のためのメモから目を離さずに、髪を掻いて、なんだよ兄ちゃん、と素っ気なく返した。ニットキャップの下の髪の毛は短く刈り揃えられていて、健康的な男子小学生のお手本のようだった。

「君達はここに住んでどれくらいなんだ?」

「んー……確か三か月とか、それくらいだったと思う。大人達が町からいなくなってからだから」

 三か月しか、と言うべきかそれとも三か月も、なのか。その判断は保留しておくことにした。

「最初はすげー大変だったけど、一か月もすれば慣れたよ」

「それは、盗むことについても?」

「うん。最初は怖いなーとか悪いことだなーとか思ったけど、そうも言ってられないし。だって、何か食べなきゃ死んじゃうし」

 平坦な口調。特に動揺したような仕草は見えない。

 この子達にとっては、それが生きるために当たり前なんだ。そこに善悪も常識も、存在しない。野生動物のように生を優先し、それでいて人間らしく理性で管理を行う。そのバランスを、大人は取りづらい。

 大人、ねぇ。口の中で独りごちる。自分には縁遠いものだと思っていたけれど、いつの間にかそれになってしまっていた。成人年齢に達して、酒も煙草も摂取できるようになっても、中身は大して変わっていない。それに対する焦りは、社会が壊れてから大分消えた気がする。なにより大人の殆どは赤ちゃんよりも睡眠を取っているのだから。大人だ子どもだなんて価値観はそう大したものでもなくて、所詮社会という大きな枠組みの中のものであって、相対的なものであり、なにより自分自身の心の中で決めただけの枷に過ぎない。

 と、頭を無駄に回転させつつ一宿の恩として作業をこなしていると、吹き抜けになった階段の下から、なにやらはしゃぐ声が聞こえた。ジロはこちらにちらりと目を遣って、やたら大きな溜息を吐いた。

「クロの兄ちゃん、変な奴だね。多分下で小さい子相手になんかしてるよ。ナイフ投げとか」

「教育に悪い友人で本当に申し訳ない……」

「ハチ兄ちゃんとは全然違うタイプだよなー。どうして二人は友達なんだよ」

「君とタロにも言えると思うけどね。そういうもんじゃないか? 友達なんて」

「ふうん。そうなのかな。よくわかんねーや」

 ジロはさほど気にした素振りも無く、紙の束をぱん、と叩いて、背伸びした。今日の分の作業は終わったようだ。あまり力になれなかったのが歯痒い。

「そんじゃ、おれはそろそろ準備するかなー」

「ああ、頼むよ、それにしても、いいのかい? 君とタロがどちらも離れるなんて。リーダー不在の組織は脆いぜ」

「わかったよーなこと言うなよ。平気平気。数日くらいなら何とかなるようにしてるから。それにさ、多分おれよりもちびたちの方が長く起きてるだろ? だから引継ぎだってカンペキ。せいじかとは違うんだよ」

「政治家を何だと思ってるんだよ」

「変なおっさんたち」

 色々と厄介そうなのでこれ以上反論しないことにした。

 上野までの道のりには、タロとジロが同行することになった。単純な話、あのトンネルに入るルートを知っているのはタロだけで、ジロは体力担当だ。上野で俺達が眠ってしまった時に、もしくはそれ以外の理由でタロと別れた時に、タロを護衛する保険でもある。

 今日、これから直ぐに上野に俺達四人は向かうことになっていた。

 本来ならば体をしばらく休めて万全な状態で臨みたかったけれど、そうは問屋が卸さない。もうデッドライン、つまり冬至までの時間は多くない。クロは焦りを見せていないが、だからと言って時間を無駄に浪費するつもりもないようだ。

 ともあれ、俺達はそれぞれ装備を整え、僅かな休息を取り、来た時と同じく商業施設の入り口で集合することになった。

 午前三時。俺達は地下通路の前に集まった。

「タロ、ジロ。案内は頼むぜ」

 クロは施設内から拝借してきた、かなり高価そうなジッポーライターを手の中で弄びながら、二人を交互に見た。

 裸電球の落ちる、土がむき出しになった地面を確かめるように、ジロは足を鳴らす。タロは少し緊張したように、控えめに頷いた。タロの服はこれまで通り、ワンピースだった。動きやすいのだろうか。俺は二人のやや緊張した顔つきを見て、やや不安を強くした。

「ええと、二人とも、大丈夫?」

 俺がそう尋ねると、二人は無言で頷いた。クロは喉の奥でくつくつと笑うと、二人の頭を乱雑に撫でた。

「遠足みてぇなもんだ、気楽に行こうぜ気楽に」

 クロはそう言って、地下に降りて行った。

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