十二月十六日 午後十一時(3)

 警視庁公安部。それが千和さんの所属する組織だった。それ以上の詳細な説明はされない。恐らくチヨダとかサクラだとか、そういう類の表に出ない人間であることは確実そうだ。

 俺はEV自動車の後部座席で、運転席の千和さんと助手席のクロが二人揃って煙草をすぱすぱ吸いながら話しているのを、まさに話半分で聞いていた。やれ諜報活動がどうたらなんて話、俺が聞いてもなんにもわかりゃしない。

 重要な点は、千和さんは東京に未だ残っている警察組織に属し、ここに来たのはその監視下から離れて寝坊病を独自に研究している人間の調査のためだということと、彼女は壁の内外を自由に行き来できる手段を持っている、ということだけだ。これ以上の情報の多くは俺にとってちんぷんかんぷんで、精査できそうにない。

 窓から入ってくる風が、火照った頬を冷やしてくれる。時刻は午前三時。本来であれば眠気が来てもおかしくない時刻だったが、この車の中にいる人間は誰も睡魔に襲われたりはしていなかった。恐らくそれぞれが別の理由で。

「このままどこにも寄らずにここを出る、それでよろしいですね?」

「ああ。もうこの場所になんの未練もねぇ。見るもんは見たよ。なあ、ハチ?」

「俺に聞くなっての」

 俺がクロに返した言葉に、千和さんはくすりと小さな笑いを漏らした。ミラー越しに目が合った。俺達の存在は彼女の計画を著しく邪魔する存在だろうに、不思議と敵意は見えてこなかった。

「あなた達、仲が良いんですね」

「皮肉ですか?」

「素直な感想ですよ。どういう関係なんです?」

 千和さんの言葉に、俺は首を捻った。

 俺とクロはどういう関係なんだろうか。幼馴染み? 同級生? そのどれもが正しい。正しいがしっくりは来ない。

「相棒同士だよ。そうだろ?」

 クロは車の灰皿に吸い殻を入れると、窓枠に手を乗っけて、言った。

「それ以上でもそれ以下でもねーよ。ま、こいつの方はそう思っていないかもしれねえけどな」

「……俺も、そう思ってるよ」

「嘘つけ」

 クロはとても愉快そうに、大声を上げて笑った。哄笑は誰も居ない町に響いていく。

「なあ、千和さんよぉ。壁の中はともかく、壁の外はとてもじゃないが車で走れる状態じゃねぇ。どうするんだ?」

 クロは興味深そうに運転する千和さんに顔を向けた。千和さんは前を向いたまま、慣れた手つきでハンドルを操っている。身長の低さとスレンダーな体形、化粧をしていない顔つきが見せる若い印象とは裏腹に、もう何年も自動車を扱っているような、そんな雰囲気がある。やはり俺達よりも相当年上なのだろうか。

「簡単ですよ。使うのは地下道です。地図にも載っていない、非常事態に備えた運搬用の通路があるんです」

「はあん、読めたぞ。それを使って東京からここまで色んなもん運んできたわけだ。なんつうか、用意周到だなあ、アンタら」

 クロが言うアンタら、というのは警察組織を含めた日本そのものだろう。隠し通路なんてものがあることに一国民として若干の疑念を思わないでもないが、一般人に知られちゃいけない活動なんて、沢山あるだろうし。クロも揶揄うような口調とは裏腹に、その視線はすっきりとしている。思うところが何もないのは千和さんにも伝わったのか、彼女は口角を上げた。

「どれだけ有事に備えられるか、という仕事をしていますからね。私達や他の同僚が作った手段は使われない方がいいに決まってますし、それ故に隠蔽する必要があります」

 千和さんが吐いた真っ白な呼気はすぐに後ろに流されていく。EV自動車がアスファルトを踏む音と一緒になって。

 三十分ほど車で移動すると、街の中は完全に真っ暗になっていく。主要な施設から遠ざかり、そこが放つ光が届かなくなったせいだ。車のライトが街灯一つない道路を照らすだけで、それ以外は黒い絵の具に塗りつぶされたよう。棄てられた街は、俺が知っている通常の住宅街の丑三つ時よりも、遥かに寂しく、静かだった。

 幸いなことに警備員達の巡回に鉢合わせることも無く、壁沿いまで辿り着いた。いや、公安刑事の彼女のことだ。警備ルートなんて全て網羅しているに決まっている。道路の角を曲がった瞬間に敵にぶつかるような間抜けな真似を、諜報員だとかスパイだとか、そんな風に呼ばれる人種が犯すはずもない。

 補給用の秘密の抜け穴は、存外綺麗なものだった。プレハブで作られた即席の検問所は、ご丁寧に進入禁止の車止めまでついていた。しかし人気は無く、すぐ後ろの住宅街同様、がらんとした廃墟だった。

 自動車が停まり、千和さんが機敏な動作で車を降りる。必要はないのだけれど、なんとなく手持無沙汰になるのは目に見えていたので、俺は車を降りた。クロはシートを倒して、ぷかぷかと煙草を燻らせたまま、ダッシュボードの上に足を乗っけていた。行儀悪いことこの上ない。

 千和さんは手持ちの懐中電灯で道路を照らしながら作業をしていたので、それを手伝うことにした。俺が彼女の横にしゃがんでタイヤの侵入を防ぐための棘のついたシートを動かすと、彼女は僅かに目を細めた。

「ありがとうございます」

「いえ、別に。当然のことでしょう。クロはまあ、アレですが」

 俺はちらりとクロを一瞥してから、再び作業に戻った。俺の横を通り過ぎて、車止めのバーを固定するチェーンを解きにかかった。

「この検問所は、後々説明はしますが、もう使われなくなっています。だから誰かが来る心配もありませんし、ここを通り過ぎた痕跡が見つかるのはかなり後になってのことでしょう」

「来るときもここから?」

「いいえ。食料品を詰め込んで、他のゲートから入ってきました。こことは真反対、東京から一番遠くなる通路はまだ生きているんですよ」

「なるほど。そっちの方がこの都市にいる人たちにとっては都合が良いですもんね」

「同時に、私にとっては一番都合が悪い場所でもありましたけどね」

 千和さんが作業を終えると同時に、俺も作業を終えた。これで一応、タイヤがパンクせず、なにかを突き破って外に出る必要も無いはずだ。

 検問所の奥を自分のライトで照らしてみる。どうもかなりの急勾配で地下に潜っているらしい。この施設が元々なにでカモフラージュされていたのか気になるところだった。もしかすると、工事現場の目隠しとかで隠していたのかもしれない。

 俺は手を軽く払って、国境付近のパスポートチェックを行うような丸い、簡易な建物の前にいる千和さんに駆け寄った。彼女は俺を振り返って、汚れたガラスを指で拭った。

「人がいない建物は、どうしてこんなにも寂しいのでしょうね」

 初めて聞いた、感傷的な声だった。それもそのはずか。彼女は国に忠を尽くしている、筋金入りの国家公務員だ。しかし、その国家を構成するのは人間だ。

 人間が居なければ、自分の主人さえ失う。彼女は空き家に佇み家族の帰りを待つ、猟犬だった。

「千和さん」

「なんですか」

「冷えますから。行きましょう」

「……そうですね」

 千和さんは、薄く微笑んだ。下唇の先についたくぼみを、俺は見なかったことにした。

「そういえば、なんですが」

 車へと歩き出そうとした瞬間、これまでとは少し違う、穏やかな声が千和さんの口から出てきた。

「あなた達、年齢は?」

「今年で二十歳です。誕生日が六月なので。クロも同い年ですよ」

「へえ……いえ、しっかりしているなあと思いまして。自分が二十歳のころは、もっと子どもでしたよ」

「千和さんは何歳なんです?」

「あなた達より年上です。それだけで、十分じゃないですか?」

 千和さんは、チャーミングな笑みを浮かべて、車のドアを開けた。

 俺達が車に乗り込むと、クロは退屈そうに地図を眺めていた。今日の道筋はもう書かれているようだ。俺は後部座席からクロの広げた地図を見る。ここから上野まで六十キロ弱。車で進めば一時間もかからないはずだが、そう簡単にはいかないだろう。

 車のエンジンがかかり、緩やかに窓の外が流れていく。段差を乗り越え、先ほど千和さんが拭った跡が残る検問所を通り過ぎて、すぐに真っ暗なトンネルの中に入っていった。

「なあ、これからの話を聞かせてくれよ。どうせ東京まで一本道ってわけにはいかねぇんだろ?」

 クロはうんざりしたように手をひらひらと振った。俺はクロに追従するように、運転席にいる千和さんに声を掛けた。

「このルートが物資の運搬に使われていないのは、そういうことですよね。塞がれているか、もしくは東京の勢力が――あ、いや、千和さんの所属する組織が、ここを見張っているか」

「当たらずも遠からず、ですね」

 千和さんはハンドルに手を添えたまま、眉根を寄せた。

「このトンネルは東京と、ちょうど半分くらいの地点で塞がっているんです。研究学園都市に全ての機材が運び込まれた時点で、彼らは天井を爆破し、ここを使い物にならなくしました。賢明な判断だと思います」

「敵対とまでは言いませんけど、反目し合っている人間達がそう簡単に繋がるのは、面倒ですもんね」

「はい。なのでその行き止まりの近くまで行って、脱出口から地上に出ます。あまり快適な旅程ではありませんが、ご容赦を。地上に出た後は……」

「解散、ってわけか」

 クロは至極当然のようにそう言って、地図に目を落とした。どの場所に出るのか推測しているのだろう。千和さんに聞けば一発でわかるので、これは完全にただの暇潰しだ。

 俺は半ば答えの分かっている質問を、千和さんに投げる。

「一緒に上野に行く、ということではないんですか?」

「ええ。私は別の場所に用事があるので」

「どこに行くんですか?」

「国家機密です」

 千和さんの口から出てきた現実離れした言葉に、思わず眩暈がした。本当にフィクションみたいな話だ。

「一応確認しておきたいんですけど、地上に出た瞬間千和さんの仲間が来て、俺達を全員捕縛する、なんてことはないですよね」

「今のところは。私達としてはその手段を取ってもいいのですが、それだと損害は大きくなります。特に、私の命の危険が高いです。それは組織としてはかなり不味いですからね」

「人的資源、ということですか」

「ええ」

 俺は一つ頷いて、会話を切り上げる。俺達の安全はひとまず確保された。それだけで俺としては充分だ。

 真っ暗なトンネルの中は、警告灯一つついていない。ハイビームが照らす道先と、車内ライトが僅かに壁面をぼやけさせるだけだ。走行速度は時速三十キロも出ていない。行き止まりとやらに着くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

「千和さん、カロリーバーでも食べます?」

「いただきます。すいません、包装を剥いてもらっても? 流石に目を離すのは」

「ああ、そうですね。警察官が道交法違反なんて、溜まったもんじゃないですからね」

「いえ、普通に危険なだけです。死にたくはないので」

 死ぬ、なんて単語がいとも容易く出てくると、流石にぎょっとする。くわばらくわばら。俺は千和さんの口元にカロリーバーを後ろから、まるでナイフでも突きつけるみたいにして差し出した。器用に口だけを使ってそれを咥えると、千和さんの咀嚼音が暫く車の中に響いていた。

「クロは?」

「オレはいいよ。オマエが食っとけ。なんなら少し寝といたほうがいいんじゃねぇか?」

「そんな気にもならねーよ。目が冴えて頭がおかしくなりそうだわ」

 そもそもお前に蹴られた場所がまだ痛むんだよ。そう言おうとして、やめた。千和さんの前でそんなに無様な発言をしたくない。

「はほ」

 千和さんは口をもごもごさせながら、俺とクロを交互にミラー越しで見た。暫く経ってから、もう一度、千和さんが口を開く。

「あの、ずっと気になっていたんですが、あなた達二人は眠いとか、そういう感覚は無いんですか? 時間的に見ればもうすぐ午前四時、普通の人なら眠くなっていてもおかしくないですが」

「ええ……色々と事情がありまして」

 俺はクロの後頭部に目を向けた。相変わらずこの手の話には興味が無いらしい。俺は仕方なく、クロの分まで説明を始めた。

「こいつは本物のショートスリーパーなんですよ。三時間寝れば普通の人間が九時間寝るより頭がすっきりするっていう、アレです」

「本物の、ですか。なるほど……あなたは?」

「俺は……ただの不眠症患者ですよ。寝たくても寝られない時が多いんです」

「心因性ですか?」

「恐らくは。自分でも心当たりはありますしね。心配性なんですよ」

「睡眠導入剤は一応持ってますよ。いりますか?」

「お気持ちだけ。効かないんですよ、その手の薬。ただ意識レベルが下がるだけで、入眠できないんです。気絶するとかなら別ですけどね」

「……つまり、お二人とも睡眠が普通ではないと」

 千和さんは俺の説明を聞いて、前を向いたまま、しかし意識を遠くに投げたように視線を忙しなく動かした。クロに関してはともかく、俺に限ればそれほど珍しい話でもないと思うが。どうも千和さんは何かに引っかかっているらしく、ハンドルに添えた指を、規則正しく動かしている。

「アンタの思ってることは大体わかるぜ。それじゃ理屈に合わない、だろ?」

 クロの言葉に、千和さんは大きな反応を示さなかった。だからこそ理解できてしまう。クロの言葉が、なんらかの核心をついているということを。

「オレの仮説を聞くかい? 公安刑事さん」

「……ええ、是非」

 千和さんの声はまるで何でもないような話題に言及するような自然さだった。

「千和、いくら本職じゃねぇとはいえ、ある程度は勉強してきたんだろ。それならあの研究を見てわかったはずだ。寝ぼけちまう人間の特徴ってやつ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。聞いてねぇぞ、それ」

 俺が入れた横槍に、クロはにやけた。意地悪く犬歯をちらつかせて、喉の奥で笑う。

「オマエにゃ後で説明するつもりだったんだよ。そう拗ねんな」

「拗ねてねーよ。シンプルな驚きだよ」

「どっちでも似たようなもんだろ。寝坊病が感染症だってのは、千和から聞いたろ?」

「お、おう」

 俺が千和さんから説明を受けていた時、クロは研究データに没頭していたはずだけど、聞き耳はしっかり立てていたのか。マルチタスクというか器用な真似というか。

「感染するかしないか、ってのは正直どうでもいい。なんでかって言うと、オレもお前も、千和も感染自体はしているからな」

「そんな」

「話は最後まで聞けよ。ここで重要なのは、感染しているの何故眠りこけないのか、ってところだ。その答えは単純。ウイルスが活性化してねーからだ」

 飄々とした態度のまま、クロは煙草に火を点けた。火花の赤が弾けたのは一瞬だけ。百円ライターをポケットに突っ込んで、クロは続けた。

「月の重力下でのウイルス及びその感染細胞の観察経過、って実験があの球の中で行われていたことだ。だが、あの実験はそこまで成果を出していなかった。少なくとも、地球外の環境でウイルスが活性化することができる、程度のことしかわかってねぇ」

「……なんでそんな研究してたんだよ」

「簡単な話、人が眠るのは夜が来るからだよ。その象徴はなんだ? そう、月だよ。だから月に関わる研究をアイツらはしていた」

 頭の中で必死に整理を続ける。しかしクロは俺に構うことも無く、朗々と続けた。

「夜になると眠り、そこから全く起きなくなる。そう、ここが肝心だ。夜になると、だ。そうなりゃ自然と体内時計を司る脳か、あるいは日照時間に起因しているって大体の見当はつく」

「あーはいはい体内時計ね。わかったわかった。それで?」

 嘘である。全く分かっていない。何が自然なのかもよくわかっていなかった。

 千和さんは、無言のままクロの言葉に耳を傾けている様だった。身じろぎ一つしない。俺と同じように頭の中が疑問符で埋め尽くされているわけではなさそうだが。

「あそこの研究者達は、月が出ている、っていうのがウイルス活性のキーになると見当をつけたんだろうな。その発想は恐らく当たっている。少なくとも時間じゃねぇのは、オレを見りゃわかんだろ」

「……あー、時差か」

 おぼろげながら輪郭がはっきりしてきた。

 つまり、寝入ってしまう人間は、その体内の寝坊ウイルス(仮称)が活性化している状態にあり、それは時間と関係がないということ。最後にクロがどこにいたのかは聞いていないが、そこと日本には時差があったはずだ。飛行機の中で眠りこけ、そのまま眠ったままの人間も見ているはず。そうなると、時間がスイッチになっているとは考えづらい。

 そうなると、月。

 だが、まだ俺の中のウイルスが活性化されていないのと、月が関係しているかどうかは繋がらない。俺は思わず運転席と助手席の間に頭を突っ込んだ。クロは俺の頭を乱雑に撫でると、また喉で笑った。

「焦んなよ。問題はその次だ。ウイルス活性化の鍵は――多分、月光だよ」

「なんでまた」

「さあな。その理由はわからんが、月の光を多く受けるとウイルスが活性化するとオレは見ている。ここで問題だ。オレとお前は揃って夜に眠らない人間だ。そうなるとどうなる?」

「……えーと、月の光が……」

「月光を見ている時間が長い人間、ということですよ」

 千和さんが、ぼそりと呟いた。その声の中にはどこか観念したような、諦めのような音が混じっている。

「はあ、本当にあなたは何者なんですか? 私達がそこまで辿り着くまで、そこそこ頭を捻ったつもりなんですが」

「オレみたいに頭の中でこねくり回してるだけのとはワケが違うだろ、アンタらのそれは」

 クロは珍しく自虐的な笑みを浮かべた。それでも千和さんの顔は全く変わらず、口だけが動く。

「私達の元で保護されている研究者たちは、月光に当たった時間の長い人間が寝坊病を発症すると、そう予想しています。それと同じくらいの重要性の高いファクターとして、睡眠時間の短さ、ひいては寝不足であることが確認されています。また、大人の方がより寝坊病を発症しやすいというデータもあります。大人の方が労働や体力不足で睡眠時間が確保できない、ということでしょうね。因果関係があるか科学的に認める段階には至っていませんが」

「あー、なるほど。俺とクロみたいな、夜起きている人間は真っ先に眠りこけてしまわなければおかしい、ということですね」

「そうです。ただ、ショートスリーパーであるクロさんにもそれが当てはまるのかはわかりませんが。少なくとも、ハチさん、あなたのような重度の不眠症の人間がまだ起きている、ということは腑に落ちませんね」

 前提が間違っているか、それとも俺がなんらかの特殊性を持っているか。そのどちらかだろう。後者ではないのは何となく想像がつく。特異体質なんて持っていない。

 しかし、だ。クロはやっぱりというか、ここまで考えていたのか。そうなると当初の目的である月の石、というのにもなんらかの意味があると見ていいだろう。俺を旅のツレに選んだことにも、クロなりの論理があるのかもしれない。

「まだまだわかんねぇことばっかだよ、この世は」

「楽しんでるなあ、お前」

「はは、わかるか? オレはな、ハチ。今この状況が楽しくて仕方ないんだよ。わかんねぇことが山程あって、それを調べるのになんのしがらみもない。ま、それも短い時間だろうけどな」

 クロは自嘲気味な笑みを浮かべて、灰皿に煙草を押し付けた。

 人間社会の秩序と崩壊の狭間に世界が揺蕩う時間が、それほど多くないことを、こいつだってわかっている。

 俺はシートに座り直した。クロのように楽しめる性分じゃない。自分がいつ眠りに入ってしまうのかわからないことに、恐怖を覚える。眉間に皺が寄っている自分の顔が、ミラーの中にぼんやりと見えた。

 まあ、でも。

 普段と同じか。

 眠るのが怖いことなんて。

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