こじらせ同期と私の「初めて」~処女以外、お断りですって!?~

桃田光

第1話 人生詰んでる? ダメ男ホイホイOLの憂鬱

「はぁ……」

本日何度目かわからない深いため息が、オフィスに虚しく響いた。私は、橘 葵(たちばな あおい)、28歳。中堅商社「東邦トレーディング」の営業部で営業事務をしている、しがないOLだ。現在時刻、午後3時。集中すべき時間なのに、私の意識はデスクに突っ伏したまま、どんよりとした沼の底に沈んでいる。


目の前には、親友であり同僚でもある佐伯 玲奈(さえき れな)が淹れてくれた、ちょっと高級なアールグレイのティーバッグを使った紅茶。柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐるはずなのに、今の私には、まるで濁った泥水の匂いのようにしか感じられない。


理由は明確。昨夜、三ヶ月という短い期間ながらも、本気で「今度こそ!」と思っていた彼氏に、それはもう見事なまでに、あっさりとフラれたからだ。


理由は「他に好きな子ができた」。

…はいはい、存じ上げております、その常套句。ドラマや漫画で聞き飽きた、別れのテンプレート。

どうせその「好きな子」とやらは、私と付き合う前から、あるいは付き合い始めてすぐに、ちゃっかりキープしていたんでしょう? 要するに二股。ご丁寧に三ヶ月も泳がせてくれて、どうもありがとう。さすがのダメ男ホイホイ体質の私も、そのくらいの裏は読めるようになった。成長したのか、ただ擦れただけなのか。


「で、葵さん? デスクに突っ伏してゾンビ化してるけど、まさかとは思うけど、また例の彼絡み?」

呆れと心配が絶妙にブレンドされた玲奈の声が、頭上から降ってくる。彼女は私の隣の席で、営業アシスタントとしてバリバリ働いている、クールビューティーな頼れる同期だ。私とは正反対の、しっかり者で、男を見る目も確か。…のはずなのに、なぜか私とは気が合い、こうしていつも面倒を見てくれる。


私はのろのろと顔を上げた。自分でもわかる。目の下にはクマが居座り、顔色は土気色。おまけに昨夜泣きすぎたせいで、まぶたは腫れぼったい。まさにゾンビ。

「……玲奈、聞いてよぉ……」

情けない声が出た。


玲奈は、大きなため息を一つついてから、自分のデスクチェアを私の隣まで引き寄せた。

「聞きましょう。で、今回はどんな理由でフラれたの? まさか『君は僕にはもったいない』とかいう、昭和のメロドラマみたいなセリフじゃないでしょうね?」

「もっとベタだよ…『他に好きな子、できた』…」

「うっわ、ベタ中のベタ! ある意味、清々しいわね!」

玲奈は、なぜか少し楽しそうだ。他人の不幸は蜜の味、ということだろうか。いや、彼女に限ってそれはない。きっと、あまりの私のダメっぷりに、一周回って面白くなってきたのかもしれない。


「葵、アンタ、今回の彼こそは『もうダメ男は卒業! 真面目で誠実な人がいい!』って高らかに宣言して、散々吟味して付き合い始めたんじゃなかったっけ? あの宣言、どこ行ったのよ」

「うぅ…そう、なんだけどぉ…」

「どこが誠実だったわけ? あの、口を開けば『俺ってさー』『昔はワルでさー』ばっかりの、自意識過剰なチャラ男が」

「最初は…! 最初は優しかったんだもん! 私の話、ちゃんと聞いてくれたし、『葵ちゃんみたいなピュアな子、初めてだよ』って…」


そう、最初は。思い返せば、いつだって最初はみんな優しいのだ。

今回の彼は、広告代理店勤務の爽やか系(自称)営業マン、タカシくん(30)。友人の紹介で知り合った。確かに見た目は悪くなく、コミュニケーション能力も高い。私の「誠実な人がいい」というリクエストにも、「俺、見た目はこうだけど、中身は超真面目だから!」と力説していた。


その言葉を、私は鵜呑みにした。

「絶対大事にするから」「俺が葵ちゃんを守るから」なんていう、少女漫画から抜け出してきたような甘いセリフを囁かれ、コロッといった私が、究極のバカだった。


気づけば、彼の「仕事が忙しい」という都合に合わせて深夜や早朝にデートし、彼の好きな料理を(苦手なのに)練習して振る舞い、彼の「今月ピンチなんだ」という言葉にほだされて、なけなしのお金まで少し貸してしまっていた。…まさに、教科書通りの「都合のいい女」フルコースを爆走していたのだ。返済? もちろん、まだされていない。期待もしていない。


私のこれまでの恋愛遍歴は、さながら「ダメ男の見本市」だ。あるいは「地雷男の博覧会」。

モラハラ気質の自信家、束縛系メンヘラ、女にだらしない浮気性、働かないヒモ男…。なぜか私は、そういう、ちょっと(いや、かなり)難のある男性に、磁石のように引き寄せられてしまうのだ。


彼らに共通しているのは、どこか強引で、自己中心的で、女性を少し下に見ているような態度。そして、なぜか私は、そういう危うい「強さ」のようなものに、抗いがたい魅力を感じてしまう。「俺様」的な態度に、不覚にもドキドキしてしまう。優しいだけの男性では、どうしても物足りなさを感じてしまうのだ。刺激がないと、恋をしている実感がない。…なんて、完全に少女漫画の悪影響か、それとも単なるマゾヒストなのか。


頭では、もう痛いほどわかっている。

安定していて、穏やかで、優しくて、私だけを真っ直ぐに見てくれる人。そういう、いわゆる「良い人」と一緒になれば、きっと波風の立たない、穏やかで幸せな毎日が送れるのだろう。玲奈にも、「葵はもっと自分を大事にしてくれる人を選びなさいよ! 何度同じ失敗繰り返すの!?」って、もう本当に、何百回、何千回言われたかわからない。耳にタコどころか、巨大なイカくらいできている。


でも、そういう「良い人」を紹介されてデートしても、全然ダメなのだ。

「うん、確かに良い人だなぁ」とは思う。思うけれど、それだけ。異性として見られない。キスしたいとか、触れたいとか、そういう恋愛感情が、砂漠に水を撒くように、全く湧いてこない。会話も、当たり障りのないことばかりで、正直「つまらない」と感じてしまう。そして、気づけば自然消滅。相手に失礼極まりないことをしている自覚はある。最低だ、私。


「もう、どうしたらいいんだろう…私、本当に学習能力ないのかな…一生、幸せな恋愛なんてできないのかもしれない…」

デスクに再び突っ伏し、本気で涙ぐむ。アラサーにもなって、こんなことで泣いているなんて情けない。でも、もう限界だった。


「ちょっと、大袈裟だって。大丈夫、大丈夫、次、次!」

玲奈はいつものようにカラッと笑い飛ばしてくれるけど、私の心は鉛色の分厚い雲に覆われたままだった。次なんて、もう考えられない。そもそも、私を好きになってくれる誠実な人なんて、この世に存在するんだろうか。


そんな絶望的な気分を引きずったまま迎えた、週明けの月曜日。

朝からオフィスは、普段とは違う、少しざわついた空気に包まれていた。何事かと思っていると、朝礼で矢野部長が、少し興奮した面持ちで口を開いた。


「えー、皆さん、おはようございます! 今日から我々の部署に、新しい仲間が加わることになりました! さあ、久遠くん、前へ」


部長に促され、すっと前に進み出た人物に、フロア中の視線、特に女性社員の視線が一斉に集まった。

色素の薄い、サラサラとした髪。通った鼻筋に、薄い唇。そして、何よりも印象的なのは、ガラス玉のように冷たく、感情の色を映さない双眸。寸分の隙もなく着こなされた、ダークグレーのスーツ。まるで、精巧に作られたアンドロイドか、氷の彫刻のようだ。


彼は、集まる視線を意に介する様子もなく、淡々とした口調で自己紹介を始めた。


「本日付で営業部に配属になりました、久遠 湊(くどう みなと)です。前職では企画畑におりましたので、営業業務は未経験な部分も多く、ご迷惑をおかけすることもあるかと思います。一日も早く戦力になれるよう努めますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。以上です」


…短かっ! そして、愛想がまるでない!

自己紹介の間、表情筋一つ動かさなかった。笑顔はおろか、声のトーンにすら抑揚がない。周囲の女性社員たちが、「うわ、超絶イケメン…!」「でも、なんか怖そう…」「笑わないのかな?」と囁き合っているのが聞こえる。確かに、整った顔立ちであることは認める。少女漫画に出てくるクールな王子様系、と言えなくもない。だがしかし、それ以上に、「半径5メートル以内に近寄るなオーラ」が凄まじい。空気がピリッと張り詰めているのがわかる。


(うわー…絶対、関わりたくないタイプだ…)


そう直感的に思った。見るからに堅物そうで、融通が利かなそうで、コミュニケーションが取りづらそう。私の苦手なタイプ、ど真ん中ストライクだ。


指定された彼の席は、なんと、私の斜め前。最悪だ。この距離感、息が詰まる。ただでさえ失恋でメンタルが弱っているのに、こんな氷塊みたいな人が近くにいたら、こっちまで凍りついてしまいそうだ。


「…ねえ、葵。なんか、とんでもないのが来たわね…」

隣の玲奈が、こっそりと私に耳打ちしてきた。彼女も同じことを感じているらしい。

「うん…絶対、関わりたくない。オーラがヤバい」

「わかる。氷点下って感じ。イケメンだけど、あれは観賞用だね」


私たちがそんな失礼な会話を交わしていると、ニコニコ顔の矢野部長が、とんでもない爆弾を投下した。


「あ、そうだ! 橘さん、悪いんだけど、しばらく久遠くんのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)、お願いできるかな? 君、仕事丁寧だし、面倒見もいいから、色々教えてあげてくれ。久遠くんも、橘さんはベテランだから、何でも聞くといいよ!」


「…………………へ?」


私の口から、間の抜けた声が漏れた。

え? 今、なんて? 私が、あの氷の男の、OJT担当? なんで? よりにもよって、なんで私なの?


部長は「じゃ、よろしく頼むよ!」と、私の返事も聞かずに去っていく。残されたのは、呆然とする私と、相変わらず無表情で私を一瞥する久遠湊。そのガラス玉のような瞳には、何の感情も読み取れなかった。ただ、冷たく、私という存在を値踏みしているような、そんな気さえした。


私のダメ男ホイホイ人生、今度は職場で、全く新しいタイプの試練を迎えることになったらしい。

はぁ……私の平穏な(決して平穏ではなかったけれど)社会人ライフは、一体どこへ向かうのだろうか……。

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