第二章 絵梨花の章

第18話 レイモンドの正体


 職員用昇降口の下駄箱を通り過ぎた。

カチっと音がし、その0.5秒後に自動で一斉に廊下のライトがつく。人を感知するのだ。

 この真っ白な長い廊下は何年たっても好きじゃない。

 

 転入生のはここでパニックになったらしい。

 次々現れるこの影に追いかけられた、影が自分と違う動きをしたと言ったそうだ。

 だからこの廊下を子供に通らせたくなかったんだよな。


 長い廊下の正面には窓があり、その窓の向こうは暗闇。

 だが昼間見ればなんてことはない。窓の向こうは美しい庭園なのだから。


 僕は廊下の途中でピタリと止まった。

 目の前のローズウッドの柱時計に目を向ける。柱時計の小窓に自分の姿が写っている。


 成長しない幼い自分の姿。なぜかはわからない。そういう病気なのだ。

 窓ガラスを見ながら短い髪を耳にかけた。


 夜の八時。時間を確認し、隣の校長室の扉を三回ノックした。

 そして勢いよく扉を開ける。


「ソニア君! まだどうぞと言ってない」


「どうでもいいじゃないか」


 校長は机の上で両手を組んで座っていた。

 僕は口答えをしたが、きちんと姿勢を正して立った。

 制服の青いスカートがひらひらして、なんだか間抜けな気がした。自分は一体何なのだ?


「君は生徒の監視役なのに、一日に二回も事件を起こすなんて。どういうことですか?」


 紺色のスーツを着た若い校長。髪は綺麗に七三分けにしてピシッと固めている。普段は前髪を中央で自然に分けているけれど。


「はっ、申し訳ございません! レイモンドさん。あっ……レイモンド校長先生。アマンダは助けたつもりです。記憶がかなり戻っていて、希望岬の夢をずっと見ていたようです。しばらく入院させましょう」 


 僕はわざとらしく敬語で報告をした。


「ソニア君、普段通りに話していいから。ところでアマンダは本名を思い出しちゃった?」


「いいえ。その前に注射を打って眠らせまして……あー、敬語はやめだ。眠らせた。さすがに催眠療法は十五、十六歳までが限界だね。彼女はもう……一番年上で、もうすぐ十七歳なのに」


 思わず言葉に詰まってしまった。僕はいつも冷静だけど、さすがにだましているのが辛くなった。


「もう何回も十四歳を繰り返しているんだぞ!」


 僕はレイモンド校長の机を強く叩いた。次のボーナスが減るかもしれないな。


「…………」


「可哀想でしょ。無理がある……体も成長しているし。思春期の子は催眠にかかりやすいけど、成長したのでかかりにくくなっているかもしれない。アマンダは卒業だよ」


「いい子なのに惜しいですよ。違う施設にかい?」


「そう。心療内科のある施設に入れたほうがいい。アマンダは穏やかな子だ。もともと両親が悪いのだし」


 レイモンドは大きなため息ついた。


「アマンダか。両親を崖から突き落としたなんて、思い出したら発狂するだろう。本名は山田彩芽……あやめか」


「受け入れられないでしょうね。でも彼女なら乗り越えられる気もする。それに希望岬にいた詐欺師は捕まったそうだ」


「そうですか。ふぅ……ティーチャー・パンジーもクリスティーナもマリアンヌも大惨事だ」


 頭を抱えるレイモンド校長。彼の肩書きはたくさんあった。事務員のレイモンドさん。マグノリア学園の校長、そして収容所の所長。

 まぁ……校長と所長。この学園ではなにが違うのって話だけど。

 

 そして僕は彼の部下なのだ。普段は生徒のふりをしているけれど。


「クリスティーナは、薬を半年間捨てていたことがわかりました。それで常にあんな感じで。顔に傷が残らなければいいのですが」


「ティーチャー・パンジーは先ほど出血多量で亡くなった。誠に残念だ。家族に電話しないとな」

 校長が肩を落とした。


「レイモンド、ティーチャー・パンジーは身内がいない。天涯孤独だよ。念のため調べたら、連絡先は空白だった」


「そうなの?!」


 レイモンド校長はあからさまに喜び、裏声のような高い声を出した。彼のこういったわかりやすく物質的なところは嫌いじゃない。


「……どうします?」


「ソニア、君に任せる。大げさにしないでくれ」


「わかりました」


「マリアンヌは閉鎖病棟のほうか」


「はい。マリアンヌに至ってはノーマークです。芸術のセンスのある、重宝する子としか思ってなかった。まさか武器を持っているなんて」


「君がいて阻止できなかったのか?」


「ブラウスの袖に武器を隠し持っているとはわからなかったよ」


「急にパンジー先生を襲ったのか?」


「はい。本当に急で……あぁ、その前になにか喋りだして……前に出てきて急にです」


「暴れたのではなく?」


「全然。マリアンヌは暴れるような子じゃない」


「ソニア、授業で制作したペーパーナイフ……棚に鍵をかける前に、しっかり数えたか? 君の仕事だろ」


「すみません……忘れてました。仕事も多くてね。レイモンド校長」


 僕は意味ありげに、ゆっくりとお辞儀をした。忘れていたわけじゃない。


(まあ、ここまでことが大きくなるとは思わないじゃないか……)


「事後処理が大変だよ。マリアンヌはここから出すわけにはいかない。二年生全員……早めに合同催眠療法を行う。今日の惨事も忘れてもらわなければ」


 頭を抱えているレイモンド校長を一瞥した。


「ソニア君、皆の犯罪記録をもう一度教えてくれ……」


僕は黙って奥の引き出しに向かった。

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