第5話 エミリーと長い廊下 4


 事務員さんと螺旋階段を上って三階に上がった。三階のフロアに入る前に事務員さんは鍵を出して重たい扉を開けた。


 眩しい--


一瞬、頭の中が真っ白になった。同じ建物とは思えないくらい温かな雰囲気が流れ込んできた。


「ここからユニットがね、つまり棟が違うんです」


 事務員さんは鍵をポケットに戻した。この鍵の音はさっき暗がりで聞いた金属音だ。


 三階の「相談室」と書いてある部屋に通されると、肩にかかるふんわりとしたウェーブの髪の女の子がいた。ガーネット色の髪はとても好感が持てた。

 彼女はなにか書き物をしている。


「あ、こんばんは! 待ってたわー。はじめましてエミリー。制服とても似合ってるわよ。あたしはジャスミンよ。学級代表をしています。ちょっとぉ、遅くないですかぁ? レイモンドさん」


 夜九時のテンションに合わないくらい明るいジャスミン。あたしも慌てて自己紹介をしてお辞儀をした。すると事務員さんも頭を下げる。


「ごめんね、ジャスミンさん。遅れてしまって……ちよっとハプニングがあってね」


 私の顔を見て微笑む事務員さん。まさかあたしが人感センサーのライトにパニックを起こしたことやっぱり言うつもりなの?


(もしやこの男、チクリ魔?)


 どうしたのとジャスミンは嬉しそうに問いただす。


 (やめて!)


 これからのあたしの寮生活に大いに関わることよ。変な子が来たって初日から言われてしまう。


「ええと…………僕が鍵を落してしまってね。こちらの棟に入るやつ」


「やっばいわ、レイモンドさん。始末書だわ」


 ジャスミンは深刻な顔で言った。もちろん深刻なフリをしてるのだ。


 レイモンドと言われた事務員さんは、遅れた理由を内緒にしてくれ、しかもそれを自分のせいにした。これは後でお礼をしっかり言わないといけない案件だ。


「鍵はすぐに見つかりましたよ」

「なんだぁ、つまらないの」


 二人の会話は、普段から仲がいいってことがわかる。


 あたしは背負っていた小さなピンク色のリュックを肩から外し床に置いた。

 ほとんど物は入っていなかった。小なリュックだから筆箱や財布など小物しか入らないのだ。


「では僕は下に戻るよ。エミリーさん、わからないことがあったらジャスミンに聞くといいよ。あとはソニアとか……アマンダかな」 


 そう言って事務員さんは軽くウインクをして爽やかに去っていった。


 ジャスミンが下を向いたほんのわずかな時間にあたしにウインクをしたので、それは気づかれていない。

 あたしがパニックを起こしたこと、彼が鍵をなくしたと嘘を言ってかばってくれたこと……それらを気にしないでって意味でウインクをしたんだろう。優しい人だわ。


 ジャスミンは事務員のレイモンドさんに大きく手を振った。もう相手には見えていないのに。


「さて、気を取り直して……もう夜の九時か。やらなくちゃいけないことはいろいろとあるわね。でも今夜はもう休んでね、エミリー」


「あ、はい」


「制服一式とジャージや文房具などは、もう部屋に運び込まれているわ。それも明日確認すればいいから」


「わかりました」


「談話室は夜の十時までだけど、今日は行かないで部屋でゆっくり過ごしてね。今夜、部屋で寮のルールブックを読んでほしいの」


 あたしはゆっくり頷いた。疲れているから部屋でゆっくりしたかったから、ちょうどいい。相談室を出て部屋に案内される。


 驚いた。全員が個室だった。なんて贅沢なの。普通は何名かで部屋をシェアするんじゃなくって? 


 二名とか四名とか。同室のかわいい女の子と内緒話や恋ばななんてのをベッドに入ってするのかな? ってちょっとドキドキしていた。それは無駄な妄想だった。


 こじんまりとした部屋に足を踏み入れたときは、部屋があまりに小さくて泣きそうになった。

 だけど横に見えたかわいいクローゼットと机を見たらすっかり気に入ってしまった。


「エミリー、大丈夫?」


「はい。あ、あの……クローゼットかわいいですね、使いやすそう」


「そうなの。たくさん物が入るわよ。見た目よりね。あとね、一番守ってほしいルールがあるの」


 ジャスミンは最初は嬉しそうに話してくれた。だけど最後のところでトーンダウンした。


「他の人の部屋に入ってはダメよ。絶対に。ルールブックの最初に書いてあるわ。つまり、エミリーも誰かを入れてはいけない」


「……誰かを入れてはいけない」


 あたしはオウム返しをした。 


「うん。そう」


「わかりました」


「これは絶対守ってね。トラブルの元になるから」


 あたしが頷いていると、見計らったかのように後ろから声をかけられる。


「ジャスミン終わったかい?」

 幼い男の子のような、髪の短い女の子。


「ソニア、まだ説明は全然できてないの。レイモンドさんが遅れたわ。もう遅いし、明日いろいろ二人で教えよう」


「はいはい。ええと、エミリーだね。僕はソニア。ジャスミンがいるから大丈夫だよ」


「はい。よろしくお願いします」 


 ソニアはもう一度、部屋のプレートを確認してから言った。その入り口にあるネームプレートは、エミリーと筆記体で書かれていた。

 青い鳥の絵も描かれており、デコレーションまでされていた。

 大人ではなく、絵を描くのが好きな子が作ってくれたのだろう。


「かたっくるしい挨拶はいらないよ。これからよろしく」


「あ、はい。ええと」


「ソニア」


「ソニア……よろしく」


 ジャスミンと対照的な雰囲気のソニア。二人はなにか段取りの話をしながら楽しそうに出て行った。



*****


 今にして思うと、あんな夜に転入してくるのは本当に稀だったみたい。


 やっぱり親が入院して、その間に誰もサポートしてくれる大人がいないのも珍しいのかな?


 そして、あたしが通ったルートで三階の寮に行くことは滅多にないのもわかった。昼間は普通に学生寮の方から入る。


 棟の違う職員室や面会室側を通るのは珍しかったのだ。誰に聞いてもあたしの通ったルートを知らないって言うの。そんなレアなのかな? あの長い廊下も。

 あの恐ろしい体験を誰とも共有できないのが悔しい。みんなも夜に通ってほしいのに。


 そしてあたしは、あの夜嘘をついた。


 腰が抜けたとき、確かに窓に映っていたのは毛布を持ったレイモンドさんだ。金属の音も驚いたけど、彼の持ってる鍵の音だった。それは解決した。


 だけど、手を挙げて追いかけてきた影は? あの小さな影は全く別の物。別の者だ。


 だけどそれは言えなかった。だってその影、絶対女の子だもの。何度も現れるあたしの影より、頭一つ分小さかったの。あたしは元から背は低いから、どうしたってその影は女の子だって思ってしまう。大きなレイモンドさんではない。


 そして異様に手が長く見えた。もちろん影だから長く見えるのだろうけど……。

一瞬だったからよくわからない。

 

 この話、誰にも話してないの。言ったところで、みんなに笑われちゃうもの。自分の失態をさらすことになるしね。


 だけどずっと影が気になってる。

あの影は子どもだと思う。それは間違いないわ。



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