第37話 ようやくわかった
「おや、みんなお揃いでめずらしいね。いったい、なにごとかな?」
執務室を訪れたギギーと騎士たちを、エドワードはいつもの冷たい視線で出迎えた。机の前に座ったまま、腰を上げる気配もない。
見つめられるだけで凍りつきそうな視線だとしても、怖くはなかった。レオルやアルス、ルーファスが見守ってくれているから。ギギーにとってなによりも怖いのは、エドワードと話をできないまま疎遠になってしまうことだ。
「エドワードと、話がしたい」
「僕はきみに話なんてないよ。忙しいんだ。お引き取り願いたい」
そう言って、エドワードが手元の書類に視線を落とす。ギギーが執務机の正面に移動していっても、やはり顔を上げなかった。
「ごめん、忙しいのはわかってる。でも、話がしたいんだ」
いまエドワードと話をしないと、取り返しがつかなくなる。そんな予感がした。
「俺は、またエドワードといっしょに話がしたい。いっしょに食事がしたい。いっしょに笑いたい。――いっしょにいたい」
ことばを重ねるたび、エドワードの眉間に刻まれた皺がどんどん深くなっていく。
「きみにはスタンレイがいるだろう。僕にも婚約者がいる」
エドワードの口から、婚約者ということばを直接聞くのは、だいぶこたえた。
「……っ、その婚約者って、エドワードの好きなひとなの?」
「僕はこれでも王族なんだ。そんな条件で相手を選ぶと思うのかい?」
「好きなひとじゃないなら、婚約なんてやめてほしい。相手にも失礼だ」
「いくらきみが貴重な光の魔法使いだとしても、きみに命じられる筋合いはないよ。相手だって、了承しているに決まっている。王族や貴族の婚姻とはそういうものだ。そんなこともわからないなら、軽々しく口を挟まないでほしいね」
「俺が、光の魔法使いなのは関係ないよ。王族の結婚が、そういうものなのもわかってる。でも、エドワードのことが大切だからやめてほしいって言ってるんだ。大切なひとが望まない相手と結婚しようとしているなら、放っておけない」
「安心してほしい。僕が望んだ婚約だよ」
「本当に、エドワードが心の底から望んでいる婚約なの? 好きな相手じゃないなら、そうじゃないよね?」
「結婚して情が湧く場合もあるだろうね。子どもができればなおさら」
思わず、想像してしまった。
「……や、だ」
「いま、なんと言ったのかな?」
「俺はいやだ。俺は、エドワードに婚約者ができるなんていやだ。俺は、エドワードのことが好きだから」
青緑色の瞳が大きく見開かれる。
「……きみは、まだそんなざれごとを言っているのか。だいたい、きみにはスタンレイがいるだろう」
「レオルのことは好きだよ。でも、エドワードのことも好きなんだ」
「……は?」
茫然とした顔がこちらを見ていた。エドワードのそんな顔を見たのは、はじめてだった。今日、まともに視線が合ったのもはじめてだ。
背後でアルスの笑い声が上がって、エドワードがそちらを睨みつける。「失礼しましたー」と笑いをこらえきれていない声が聞こえてきた。
アルスの隣では、レオルが穏やかな笑みを浮かべていた。レオルとエドワードがどちらも好きで、どちらもあきらめたくない。そんなギギーのわがままを、レオルは受け入れてくれている。
「なにを言っているんだ? 理解ができないな」
「わがままでごめん。でも、それが俺の本心だよ。……エドワードは? エドワードは、本当はどうしたいの?」
「僕の望みは、王族としての役目をまっとうしたい。それだけだ。余計な感情など、邪魔なだけだ」
「じゃあ、エドワードが俺のことを好きな気持ちも、邪魔なものなの?」
「――は?」
ギギーが的外れなことを言って驚いた。エドワードの顔は、そんな表情には見えなかった。どちらかと言えば、絶対に気づかれてはいけないことを気づかれてしまった。そんな顔だ。
「なにを言って……うぬぼれるのもいいかげんにしてほしいね。僕は、以前きみに言ったはずだ。きみの気持ちには応えられないと」
「応えられないのは、理由があったからなんだよね?」
ギギーの問いかけに、エドワードは無言を返した。
「俺、気になってたことがあって……騎士学校で光の魔法使いの話をしたとき、エドワードは言ってたよね。光の魔法使いは、エドワードにとってあこがれで、寝ても覚めてもそのひとのことを考えてる、って。そのひとを守るのが僕の望みだ、って」
いつか、騎士学校で聞いたエリオットのことばをギギーはよく覚えている。熱のこもった声で、熱のこもった瞳で、彼が語ったことばを。
――光の魔法使いは、僕にとってあこがれなんだ。
――寝ても覚めても、そのひとのことばかり考えているよ。
――そのひとを守るのが僕の望みだ。
「僕はあのとき自分が光の魔法使いだって忘れていたけど、エドワードは僕が光の魔法使いなんだって知ってたよね?」
エドワードは、ギギーが光の魔法使いだと知っていた。ギギーに接触するために騎士学校に入学したのだと言っていた。それが本当なら、あの時点でも知っていたはずだ。
「あのときのエドワードの……エリオットのことば、俺には光の魔法使いが好きだって言ってるように聞こえた。声だけじゃないよ。エリオットの瞳が、好きだって言ってた」
あれは、告白だった。伝わらないとわかっていたから告げられたことば。
エドワードは、まだなにも言わない。視線は逸らされたまま、きつく唇を引き結び、なにかをこらえるようにして顔をゆがめている。
「エドワードは、俺のことが好きなの?」
しばらくのあいだ沈黙が落ちた。やがて、掠れた声でつぶやきが落とされる。
「――言いたくない」
「え? ……好きだって言いたくない、ってこと?」
「ギギーのことが好きじゃない、と言いたくないんだ」
揺れる青緑色の瞳がこちらを向いていた。ひさしぶりにエドワードの本心を聞いたような気がした。
「じゃあ――」
「でも、やっぱり僕はきみの気持ちに応えられない」
「どうして?」
「本当のことを知ったら、きみは僕を好きだなんて思えなくなるよ」
「前も言ってたよね。……本当のことってなに?」
――僕はね、ギギーが思っているような人間じゃないんだ。本当のことを知ったとき、ギギーは僕から離れるよ。
こちらに向けられている瞳に陰りが落ちて、息を飲んだ。うつくしい顔から、また表情が消える。
「どうせ、いずれ話そうと思っていたことだ。ちょうどいい」
エドワードの顔は、ちょうどいいなんてかけらも思っていなそうに見えた。顔は蒼白で、身体がこわばり、話したくないと全身が告げてくる。
ギギーがとっさに止めようとするよりも先に、エドワードはもう一度唇を開き、続きを口にした。
「――僕が、きみの母親を殺したんだ」
なにを言われたのか、わからない。思考が停止して、ひとつひとつの単語の意味さえ理解できなくなった。
ぼくが。きみの。ははおや。ころした?
エドワードはなにを言っているのか。
「騎士学校の期末試験と学校の敷地内で魔物が侵入した事件は、僕の大叔父の仕業だという報告を聞いただろう?」
「……聞いた、けど」
騎士学校で起きたふたつの事件の黒幕は、エドワードの大叔父――現国王の叔父であるファルケンシュタイン公爵だった。公爵は魔物を操る特殊能力者を使い、騎士学校の試験に潜入させ、ギギーを襲うように仕向けた。期末試験で現れたテールサーペントはギギーの血を摂取して暴走してしまったが、本来ならばギギーを捕らえるだけの計画だったらしい。
騎士学校に入学した当時、光の魔法使いがギギーであることは、極秘の情報だった。国王とエドワードの部下である一部の人間以外には知らされていなかったが、公爵が別の特殊能力者を使い、調べ上げたのだという。
公爵がギギーを狙った理由は、第三王子であるエドワードが王位継承争いに加わるのを阻止するためと聞いている。新たな魔法の開発や災害の対策や法案など、第三王子は幼少のころから国の運営に携わってきた。さらに光の魔法使いを見つけたとなれば、国に多大な貢献をしたとしてエドワードが注目を集めてしまうのは必至だった。
実行犯である特殊能力者たちや、首謀者であるファルケンシュタイン公爵は捕まり、いまも幽閉されている。余罪や関係者を調べている最中だが、事件は幕を下ろしたと聞いていた。
それと、ギギーの母の死因になんの関係があるというのか。
「大叔父の標的は、僕なんだ。もともとは僕が狙われていた。毒を盛られたこともあるよ。騎士学校に入学する前から犯人は大叔父だとわかっていたが、長いあいだ証拠がつかめずにいたんだ」
「……わかって、た?」
「夢で見ていたからね。実際に、大叔父の自白とも一致していたよ」
そんな話をエドワードにさせたくない。させたくないのに、ギギーはその話を聞かなくてはならない。
「八年前、東の外れの町が魔物に襲われた。それも、大叔父の指示だった」
レオルの息を飲む音が聞こえた。
八年前。東の外れの町。魔物。
指やつま先から、身体が冷えて固まっていく。
「エドワード様!」
めずらしくルーファスが声を荒らげたが、エドワードはそれを無視して話を続けた。
「町に魔物を放った理由は、僕を殺すためだ。僕がわがままを言ってあの町に滞在したから、あの町は襲われた。僕を匿っていたとみなされてギギーの母親は殺され、町の住民やスタンレイの母親も巻き添えになった。僕がわがままを言わず、ただ町の宿に一泊しただけなら、町は魔物に襲われなかった」
「エドワードを、俺の母さんが匿っていた……?」
「きみは覚えてないだろうが、僕はきみの家で一週間暮らしていたんだよ。スタンレイともギギーの家で会っている」
「覚えてないって、なんで、記憶は……戻ったはずなのに」
封印されていた記憶は、すでに戻っているはずだ。でも、ギギーには幼いころのエドワードと会った覚えがない。一週間も家に滞在していたのなら、単に忘れたわけではないはずだ。
「僕がアルスに命じて、僕に関する記憶だけ引き続き封じさせているんだ。きみとスタンレイの記憶をね」
「なん、で……」
「そのほうが、都合がいいからだよ。きみに光の魔法使いとしての仕事をしてもらうには。僕が親の仇だと知ったら、きみは僕の指示で働くのをいやがるかもしれないだろう。――記憶については、嘘だと思うならアルスに訊けばいい。言っておくが、アルスに記憶は戻せないよ。そういう条件づけなんだ」
後ろを振り向くと、こわばった顔のアルスと視線が合った。
「……ああ。おれが殿下に関するふたりの記憶を封じてる。あのときは一族に命令されてやったんだけど、そのまま封じてほしいと殿下に頼まれた。俺には解除できないようにしてある」
ようやくわかった。
「……そっか、わかった」
「わかったなら、さっさと部屋を出て行ってくれないか」
話は済んだとばかりに、エドワードがふたたび机の上の書類に視線を落とす。
「そうじゃない。エドワードがどうしてずっと俺を突き放してたのか、ようやくわかったって言ったんだ」
「……なに?」
「エドワードは怖かったんだよね。真実を知った俺に憎まれるのが。だから、先に自分から離れた。――ごめん、エドワード。俺は、もっと早くエドワードと向き合うべきだった。遅くなってごめん。ひとりで苦しませてごめん」
「……どうして、きみが謝る? むしろ、きみは僕を責めるべきだ。罵るべきだ」
理解できない。エドワードの目がそう言っていた。責めるべき、罵るべきと言いながら、エドワードは怯えた目でこちらを見ている。まるで、真っ暗な狭い部屋の中で震える、ちいさな子どものように。
「母さんが死んだのは、エドワードのせいじゃないよ。エドワードが気に病む必要はないんだ」
「違う。僕が、きみの家に行きたいと言い出したから」
「そんなの、関係ないよ。エドワードは悪くない」
「関係ある。僕は取り返しのつかない罪を犯した。僕がきみの母親を――マリアさんを殺した。僕は許されないことをした。それだけじゃない。……きみは、オルランディ家に引き取られて、ひどい扱いを受けていた。アルスに教えてもらうまで、僕はきみがどれほどつらい目に遭っているかも知らずに、のうのうと生きていた。きみを不幸にした元凶は、僕なのに」
ギギーは大きな机をぐるりと回り込み、エドワードのそばへ近づいていった。互いの距離が縮んでいくにつれてエドワードの声は震え、子どものように怯えた目はギギーから逸らされていく。
「違う。母さんが死んだのはエドワードのせいじゃない。オルランディ家のことだって、エドワードは悪くない。俺の母さんなら絶対にそう言う。俺もそう思ってる」
母さんがエドワードのせいにするわけがない。それは絶対だ。
「それに、もし世界中のひとがエドワードのせいだって言ったとしても、俺はエドワードを許すよ」
「……な」
「それに、きっと僕だけじゃない」
振り向くと、ルーファス、アルス、レオルの三人が次々に頷いてくれた。エドワードは茫然と三人を見ている。
「ねえ、エドワード。やっぱり、俺の気持ちは変わらなかったよ。――エドワードが好きだよ」
エドワードをぎゅっと抱きしめて、額に、頬にそっとキスを落とした。大好きだって気持ちを込めて。母がギギーにそうしてくれたように。
腕の中の身体は次第にこわばりをほどいていき、やがて震えが止まっていく。顔を上げると、青緑色の瞳と間近で視線が合った。
「記憶を戻してほしい。エドワードのこと、忘れたままなのはいやだよ」
いままで息を止めていたかのように深く息を吸い、唇を引き結んだエドワードが、ゆっくりと唇を開いた。
「ギギー……とレオルに、『僕の記憶を返す』よ」
学校で記憶が戻ったときと似た感覚が訪れたあと、自分の中に記憶が戻ってきたのがわかった。
「……あ」
記憶が戻って、エドワードが記憶を封じていた理由がわかった気がした。エドワードと過ごした一週間の記憶を戻したら、ギギーが苦しむと思ったのかもしれない。ギギーがエドワードを憎むには必要のない記憶だと思ったのだ。それは、エドワードのやさしさだった。
エリオットといっしょに過ごした一週間の記憶に満たされて、胸がいっぱいになる。兄弟ができたみたいで、毎日が楽しかった。握られた手の温かさが、つい昨日のことのようによみがえる。いつか迎えに行くと言っていた意味がようやくわかった。
「エリオットは、約束通り俺を迎えに来てくれたんだね。また会いに来てくれた。ありがとう、エリ――エドワード。記憶が戻ったら、もっとエドワードを好きになったよ」
笑いながらそう言ったら、エドワードはうれしそうに目を細めた。ギギーが大好きな、やわらかな光をたたえるうつくしい瞳がこちらを見つめてくる。じんわりと滲んだ瞳からぽろぽろと零れる涙を、エドワードの指にそっと拭われた。
「エリオットでいいよ。母にもらった僕の本当の名前なんだ。ギギーには、そう呼ばれたい」
「うん、エリオット……」
ひさしぶりに呼びかけた名前は、しっくりと自分の耳になじんだ。
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