第19話 特殊な体質
ギギーが目を覚ましたとき、目の前にレオルの顔があった。レオルに身体を抱えられていて、唇にはレオルの指が触れている。
「……れおう?」
レオル、と呼んだはずの声は不明瞭になった。
「よかった、意識が戻ったんだな」
「えっと……」
どういう状況なのかと訊く前に、レオルが手に持っていた小瓶をギギーの口元に押しつけてきた。
「説明はあとだ。まずは回復薬を飲んでくれ」
ギギーが気を失っているあいだに、レオルたちがギギーを魔物から救ってくれたらしい。身体を貫いていた魔物の牙の感覚は、もう消えていた。
「ごめん……それ、必要ないと思う」
「なにを言っている。いまからでも遅くない。早く――」
「そうじゃない」
レオルの顔がこわばり、小瓶を持つ手が震えはじめたのを見て、レオルがギギーのことばを悪い意味に取り違えているのだと気づいた。
「そうじゃなくて……回復薬を使わなくても大丈夫なんだ」
「大丈夫なわけがないだろう。牙が刺さっていたんじゃないのか? 出血だって……」
ふいに、レオルのことばが途中で止まる。レオルは、大きく穴の開いたギギーの服を見ていた。正確には、その穴の中を。彼は気づいてしまったのだ。ギギーの身体に起こっている違和感に。
できれば、体質のことはだれにも知られたくなかったが、この状況ではきっと隠し切れない。
「……もう、見てもらったほうが早いか……」
穴の開いた服を捲り上げると、レオルの息を飲む音が聞こえてきた。
「……傷が、ない?」
「うん、肩も同じ」
傷は完全にふさがっていた。自分の身体を見なくても、感覚でわかる。さすがに牙が身体に刺さっているあいだは傷が開いたままだったが、牙が抜けてすぐにふさがったのだろう。血をだいぶ失ったので身体はひどく重かったが、それだけだ。
「痛みは? 毒は? テールサーペントの牙には毒がある。大丈夫なのか?」
「なんともないよ。俺、毒は効かないから。レオルこそ、けがしてただろ? 回復薬飲んだほうがいいんじゃない?」
「見られていたのか。俺はただのかすり傷だ。……それより、念のため背中を見せてもらってもいいか? 牙が刺さったのは、背中のほうからだったな?」
「うん、いいよ」
ギギーは頷いて後ろを向き、マントを外してから革の防具とシャツを脱いだ。たとえ裸になって全身を隈なく見たとしても、ギギーの身体には傷ひとつないはずだ。
物心がついたときには、すでにギギーは特殊な体質だった。ギギーの身体は、けがをしてもすぐに治ってしまう。たびたび高熱に悩まされる以外は、病気にかかった経験もない。
毒物が効かない体質なのも、実体験でわかっていた。幼いころにいとこたちのいたずらで毒素のある植物を食事に混ぜられたが、腹を壊すことも、吐き気を催すこともなかった。
「確認した。もう服を着ていい」
「ね? 大丈夫って言っただろ」
ギギーの声は上擦り、震えていた。服を着て身体の向きを変えたが、顔を上げてレオルの反応を見るのが怖い。
――気持ち悪い。
――化け物。
――なんて気味が悪いの。
幼いころ、いとこたちや義母から言われたことばが耳によみがった。扇でギギーの頬を叩いた義母は、見る間に傷が癒えた顔を見て、悲鳴を上げた。
「ごめん、気味悪いよね。昔からこうなんだ」
いやだな。レオルにそんな目で見られるのはいやだ。せっかく友達になれたのに、また距離を置かれてしまうのか。
「いや、驚いただけだ。おまえが無事ならいい」
顔を上げられないでいるうち、上から降ってきたレオルのことばに驚いて、思わず顔を上げてしまった。
「……え?」
レオルは笑っていた。目元はやわらぎ、心の底から安堵したと言いたげな顔をしていた。その声にも表情にも、否定的な気持ちはかけらもない。
「気味、悪くないの?」
「そんなこと、思うはずがない。むしろ、今回はおまえの体質に助けられた」
そこまで言って、レオルはギギーを抱える腕に力を込めた。深い息を吐き出し、レオルが掠れる声でつぶやく。
「本当に……おまえが無事でよかった」
「あ……心配かけて、ごめん。ありがとう、レオル」
移動してきた手に頭を撫でられて、胸がいっぱいになった。視界が涙で滲んで、まばたきをしたはずみでぽろぽろと涙が零れ落ちていく。このままではレオルのマントを汚してしまう。そう思って急いで身体を離したが、またレオルの腕に抱き寄せられた。
「あまり離れると落ちるぞ」
「え……ここ、どこ?」
ようやく周りを見て、ここが先ほどまでいたはずの高台ではなかったことに気がついた。崖の中ほどに氷の岩が刺さっていて、ふたりはその上に乗っている。氷には、落下防止の柵がついているが、さほど高さはないので身を乗り出せば簡単に落ちてしまうだろう。
驚きで、涙も引っ込んだ。
「魔物がおまえを放り投げて、崖の途中で俺が受け止めたんだ」
「えっ、だから、こんな場所に……ごめん、迷惑かけて」
「俺は受け止めただけだ。おまえを助けられたのはシュレーバーが上手く立ち回ってくれたお陰だ」
「そっか、エリオットが……」
意識を失う直前に見たのは、夢ではなく本物のエリオットだったのだ。崖の上を見ると、柵から身を乗り出してこちらを覗き込んでいる何人かの人影を見つけた。遠すぎて表情は見えないが、ひとりはエリオットに見える。
「エリオットとアルスはけがしてない? 先生たちは?」
「みんな無事だ。魔物は出て来た穴に戻っていった。いまごろ、先生方が対処してくださっているだろう。生徒たちは宿舎に避難しているはずだ」
「そっか、よかった」
ギギーが安堵のため息を吐き出したところで風が吹き、羽ばたきが耳に届く。見上げると、一羽の白い鳥がギギーとレオルの頭の上を飛んでいた。
「あ、先生の……」
各班の監督をしていた教師たちが伝令用に連れていた鳥だった。レオルが持ち上げた手にとまった鳥の足には、ちいさな筒がくくりつけてあり、中には丸めた手紙が入っている。
「……あいつ」
手紙に書かれた文字を読んだレオルが、盛大に顔を顰めた。
「あいつ?」
「書いたのはシュレーバーだ。早くギギーの体調を報告しろと書いてある。あとは、崖の下に先生方が迎えに来てくださるそうだ。そのまま待っていろと」
「それだけ?」
「……それだけだ」
間があった。
「レオルって嘘が下手だよね。本当は、ほかにもなにか書いてあるんじゃないの?」
「く……おまえが無事なら、いつまでもひとりじめするな、だそうだ。礼も書いてある」
「直接言えばいいのに。ふたりとも素直じゃないなあ。……レオルとエリオットって、意外と仲良いよね」
レオルからの返事はなかった。
「報告か……あのさ、俺の体質のこと、ほかのひとには黙っててくれないかな?」
だれもが、レオルのように受け入れてくれるとは限らない。むしろ、受け入れてくれるひとのほうが圧倒的に少ないだろう。
「それは構わないが、医師の診察は避けられないぞ。先生方も心配している」
「う……そうだよね。身体に牙が刺さってなかった、ってことにするのはだめ?」
「確かに、けがの状態を考えればそのほうが説明に無理はないが……服を見られたときに説明がつかなくなる」
ギギーの服の肩と脇腹の部分には、大きな穴がふたつも開いている。しかも、肩は革の防具を貫いた状態で、それはそのまま牙が刺さっていた場所を示していた。身体は勝手に治っても、破れた服や防具までは元に戻ってくれない。
レオルはしばらくなにかを考えるように黙り込んだあと、口を開いた。
「やはり、回復薬を使ったことにしたほうがいいだろうな」
「でも、実際には回復薬なんて使ってないよね? 返却しないとだめって聞いたけど」
「……いや、すでに少量だが使っている」
「え? いつ?」
「おまえが目を覚ます前だ」
「そっか、だからあのとき口に指入れてたんだ」
そう言うと、レオルは気まずそうに視線を逸らした。助けるためにしてくれたのだから、なにをされても気にしないのに。
「回復薬って、すごく貴重なものなんだよね?」
回復薬は貴重なものであるがゆえに、本来ならば簡単に使用できるものではない。実際の騎士の遠征では一隊につき一本の携帯が推奨されているが、騎士学校の生徒に配布された前例はほとんどない。一年生の期末試験で回復薬が配布されたのは、近年ではめずらしいことだと教師が言っていた。
今回は、各班長に一本ずつの回復薬が配布されていて、使用しなかった場合は、そのまま返却する必要がある。使用は班長の判断にゆだねられているが、使用した場合は報告書を提出し、回復薬を投与された生徒は医師の経過観察が義務づけられる。
「使ったことにするって、どうやって? まさか、捨てるわけにもいかないだろ」
たくさんのひとの命を救えるものを、無駄にはできない。限りあるものならなおさら。
「その件は、俺に任せてくれないか? 今回の試験で同行している医師の中に知り合いがいるんだ。回復薬使用の報告書は、医師と相談して俺が書いておこう」
「え、でも……そんなの、レオルの迷惑になるよ」
レオルが引き受けようとしているのは、かなり厄介な問題だ。そこまで迷惑はかけられない。
「おまえが困っているんだ。構わない。それに、おまえの体質は隠したほうがいいと俺も思っているからな」
「やっぱり、俺の体質って、めずらしいよね?」
「ああ。まわりに知られれば、騒ぎになる可能性もある。下手をすると、国の……いや、とにかく、隠しておくべきだ」
レオルは、国の研究機関に連れていかれる可能性もあると言いたかったのだろう。騎士学校を辞めることになったら困る。
「そっか……ありがとう」
鳥が運んできた手紙の返事には、ギギーが無事であること、深手を負ったが回復薬を飲ませてけがの治療は完了したことを書いてもらった。あとは、教師の助けが来るのを待つだけだ。
ほっとしたら、なんだか急に身体がだるくなってきた。うとうとしてしまい、寄りかかりそうになった身体をあわてて起こしたが、そっとレオルに抱き寄せられてしまった。
「顔色が悪い。つらいなら、そのまま眠っていろ」
「ん、いや……つらいっていうか、眠くて……」
「血を失えば、眠くなるのは当然だ」
「そう、なの? ……でも、重いだろ。悪いよ」
「おまえは少しも重くない。もっと食え。これなら、暖も取れてちょうどいい」
ぶっきらぼうな声が、耳に心地良く響く。エリオットと同じことを言ってるのがおかしかった。レオルにおまえと呼ばれるのは、やっぱりいやじゃない。
「そういえば、氷の上なんだっけ……」
「寒いか?」
「ううん……」
レオルの腕の中は温かい。氷の上だと忘れてしまうほどに。
レオルの言うように血が足りないせいなのか、だんだんと眠気がひどくなってきた。とどめのように頭をやさしく撫でられて、その気持ちよさに瞼が落ちていく。
レオルに頭を撫でられると、どうしてなつかしい気持ちになるんだろう。
そう思いながら、ゆっくりと意識を手放していった。
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