第16話 悪夢

 エリオットが真っ青な顔でスタンレイ班の宿舎にやってきたのは、期末試験三日目の朝だった。めずらしく焦ったような顔をしていて、その表情だけでただごとではないとわかる。


「エリオット? 真っ青だけど、大丈夫?」

「僕のことはどうでもいいんだ」


 エリオットにしては乱暴な物言いだった。戸惑うギギーの腕を、エリオットがぎゅっと強くつかんでくる。


「……っ」


 痛みを覚えるほど強い力がこもっているのに、エリオットの手は凍るように冷たかった。


「――ギギー、僕といっしょに行こう」

「行くって、どこに?」


 ふたりの様子がおかしいことに気づいたらしく、レオルとアルスも近寄ってきた。大丈夫だという意思表示に首を振って見せると、ちゃんと伝わったのかふたりはその場にとどまってくれた。それでも、こちらを見るレオルの顔は心配そうに見える。


「ひとまず、森を出よう。ここにいたら、だめだ」

「だめって言われても……まだ試験は終わってないよ」


 三泊四日の試験合宿中は、特別な事情がない限りこの森から出られない。教師の許可なく森を出れば、その時点で不合格となってしまう。エリオットだって、そのくらいわかっているはずだ。試験中なのに森を出ようと言うからには、なにか特別な理由があるのだ。


「理由を教えて、エリオット」


 こちらに向けられた瞳は、不安そうに揺れていた。


「……夢を、見たんだ」

「夢? どんな?」

「ギギーが、魔物に……」


 その先は言いたくないとばかりに、エリオットが唇をきつく引き結ぶ。最後までは言わなかったが、青ざめた顔を見ればだいたい想像はついた。ギギーが魔物に襲われて大けがをするか、もしくはもっとひどい結果になったか。


「……そっか、怖かったよね」


 もし同じような悪夢を自分が見ていたら、魔物と対峙したときに足がすくんでしまうかもしれない。ただの夢だと言って笑うことはできなかった。


「俺を心配してくれてありがとう、エリオット」

「……っ、ギギー、僕は……」


 なにかを言いかけて口を開いたエリオットが、続きを言わないまま唇を閉じる。ぎゅっと目をつむって奥歯を噛みしめ、もう一度口を開いた。


「虚言に聞こえるだろうけど、僕の夢はよく当たるんだ」

「うん、エリオットがそう言うなら信じるよ」


 にわかには信じがたい話だとしても、エリオットが意味もなく嘘をつくわけがない。だから、本当だと信じる。


「それなら……」

「それでも、俺は試験を受けるよ。俺は、どうしても騎士になりたいんだ。だから、この森から出るわけにはいかない」


 母と過ごした大切な家を取り戻したい。その気持ちに変わりはない。でも、いまはほかの気持ちもある。


 エリオットとレオルといっしょに騎士になりたい。強くなって、大切なひとを守れるようになりたい。これからも、ふたりのそばにいたい。ふたりのそばにいても恥ずかしくない自分でありたい。実力でも気持ちでもまだまだ及ばないから、いまは騎士になるために自分ができることを少しずつやっていきたい。


「ギギー……」

「俺は大丈夫だ。今日……ううん、残りの二日間、無事に試験を終わらせるって約束するよ」


 笑って言ったが、エリオットからの返事はなかった。握られた腕の力は緩まない。泣き出しそうな瞳が、じっとこちらを見つめていた。


「信じられないだろうけど、俺って結構頑丈なんだ」

「……ギギーがそう言うなら、信じるよ」


 ようやく、ギギーの腕をつかむエリオットの力が緩んで、自分からエリオットの手を強く握った。


「ありがとう、エリオット。期末試験に合格できたら、みんなでお祝いしよう」

「うん、約束だ。ギギー、どうか気をつけて」


 ギギーの手を握り返したエリオットの手は、いつもの温かさを取り戻していた。顔色もだいぶ良くなっている。


「エリオットも気をつけて」


 青緑色の瞳から、完全に不安が消えたわけではない。それでも、エリオットは笑ってくれた。

 それから、エリオットはそばにいたレオルとアルスに向き直った。


「アルス、スタンレイ、ギギーのことを頼む」

「はーい、まかせといて」

「おまえに言われることでは……――いや、わかった」


 アルスが明るい声で答え、はじめはなにかを言い返そうとしたレオルもしっかり頷く。


 絶対にエリオットとの約束を守ろうと、ギギーは心に誓った。

 みんなといっしょに、笑顔で試験の合格を祝えるように。

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